筑紫の国の片隅で…

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イノウエ米上院議員が死去・・・

イノウエ上院議員死去に先祖の地・八女から惜しむ声
今年7月の九州北部豪雨の際に、犠牲者へのお悔やみの声明を発表するなど
祖父母と父の郷里・八女市への愛着を抱き続け、17日に88歳で亡くなった
米国の日系人初の連邦議会議員ダニエル・イノウエ上院議員。
訃報に接した同市では、追悼の声が広がった。1959年に同市への初の「里帰り」
を果たしたイノウエ氏を迎えた井上賢治・市議会議長(60)は「父らが大勢で迎え、
先祖の墓まで案内した。大行列だった」と懐かしむ。
当時は小学校低学年で、会話の機会はなかった井上議長だが、今年5月、米国
ワシントンにイノウエ氏を訪ねた際に、当時の写真を持参、思い出話に花を咲かせた。
「自身のルーツを大事にされ、『また墓参したい』と言われていた。
次期上院選についても『体調が良ければ出るつもり』と笑顔で話された。
それほど、元気そうだったのに」と悼んだ。
イノウエ氏の親類に嫁いだ八女市上陽町、井上和枝さん(73)は
「突然のことでびっくりしました」と訃報に驚いた。
約20年前には在福岡米国領事館(福岡市)でイノウエ氏と会い、通訳を介して親類の
話で盛り上がったといい「日米友好の懸け橋として、まだまだ活躍されると思っていた
ので残念です」と話した。
八女市の三田村統之市長は井上議長と連名で「八女市との深い関わり合いを持たれ
ているイノウエ上院議員を失うことは大変寂しい思い。
心よりご冥福をお祈り申し上げます」との談話を発表した。
小川知事も18日、「日米両国の友好関係の発展にご尽力いただいた功績は県民に
とって大きな誇り。来年、海外県人会の会合で、お会いできるのを楽しみにしていた
だけに、残念でなりません」とのコメントを発表した。
(2012年12月19日  読売新聞)

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恥ずかしい話しですが、 私はこの記事を読んで、誰のことを言っているのか分かりませんでした。
民主党上院議員の重鎮に、福岡とかかわりのある人物がいることを全く知らなかったのです。
若い頃から2世部隊(米陸軍・第442連隊戦闘団)のことは、多少は知っていたつもりでしたが
その英雄たちの中に、イノウエ氏のような方がいるとは思ってもいませんでした。
世の中、知らない事が沢山あります。まだまだ勉強が足りません・・・。
知日家の政界の実力者がいなくなるのは、日米両国にとって大きな損失になることでしょう。
今はただ、ご冥福をお祈りするばかりです。

 

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ホワイトハウスに半旗 故イノウエ議員悼む
オバマ米大統領は18日、
日系初の米連邦議員で民主党の重鎮、ダニエル・イノウエ上院議員が
17日に死去したことを受け、ホワイトハウスや米国内の全ての公館、海外の
米大使館などで半旗を掲げるよう指示した。
大統領は「イノウエ議員の長きにわたる奉職への敬意のしるし」だと強調した。
~2012.12.19  (共同)
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 日米関係の深層に損失
米国上院長老のダニエル・イノウエ議員の死去は、日米関係の深層にも大きな損失として
波紋を広げた。イノウエ議員が近年、日米両国間の慰安婦問題など複雑な課題でも日本側の
立場や心情に配慮した言動をとってきたからだ。
イノウエ氏の半生は、自らの「日本」を否定することでもあった。
日米開戦で日本側との絆を疑われて集団収容された日系米人たちが米国への忠誠を誓って
米軍に志願し、欧州戦線で活躍した。イノウエ氏はその中心人物だった。
戦後、連邦議員となってからもイノウエ氏は長年、日本側と接触しなかった。
1980年代の日米貿易摩擦でも、あくまで米国政治家として日本の市場閉鎖性などを非難した。
だがここ10数年来、日米の利害の激しい衝突がなくなると、むしろ両国関係の緊密化のために
活動し、2007年6月、下院が日本の慰安婦問題非難の決議を推進したときは
「もう済んだ過去の問題で、現在の友好を傷つけるな」と正面から反対した。
イノウエ氏は、戦争中に日本軍捕虜となった米国人たちの抗議でも和解を求め、最近では
普天間基地問題にも両国の歩み寄りを提唱し、さらに2011年には北朝鮮に家族を拉致された
家族会」の人たちにも会って、熱い支援を送っていた。
イノウエ議員の日米関係への深いかかわりは、2008年5月まで6年半も駐米大使を務めた
加藤良三氏の説得も大きかった。
加藤氏の送別パーティーではイノウエ議員が送別の乾杯を提唱し、別れを惜しんでいた。
~2012.12.18 産経ニュース【ワシントン=古森義久
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<イノウエ米上院議員の忠告>
米連邦上院の重鎮であるダニエル・K・イノウエ議員(86)から手紙が届いた。
6月初め、来日していたイノウエ氏の日本記者クラブ(東京)での講演会に行った折、私が書いた
本欄コラム(昨年11月27日付「色褪せない日系2世の勲章」)のコピーを手渡している。
高名な日系人政治家からの、律義な礼状には恐縮するばかりだ。
「第二次大戦で、軍務に就いた日系アメリカ人兵士を取材した、あなたのコラムのコピーを、
直接私に渡してくださった気配りにとても感謝しています」
短い文面に、日本語が堪能なスタッフの助けを得ながらコラムを読み返し、中身を正確に理解し
ようとする氏の真摯な姿勢が滲む。太い筆記体の署名だった。


◆最善を尽くした2世
イノウエ氏に読んでほしいと思ったコラムは、オバマ米大統領が昨年10月、第二次大戦中に
欧州で戦った米陸軍の日系人部隊「第442連隊戦闘団」に対し、米国では最高位のメダル
である「議会名誉黄金勲章」を授与したことに触発されたものだった。
イタリア戦線での右腕を失う奮戦で知られるイノウエ氏は、日系人兵士の代表的存在だ。
日米関係をテーマにした件(くだん)のイノウエ氏の講演会で、私は勲章の意義に加えて、
「日系アメリカ人が戦後の日米同盟に果たした役割」についてコメントを求めた。
すると、氏は自らの体験を淡々と語り始めたのである。
1941年12月の日本軍による真珠湾攻撃の後、米社会が真っ先に日系人に憎悪の目を向けた
こと、ハワイ生まれのイノウエ青年は「4C(日系の敵性外国人)」という屈辱の記号分類があて
がわれたこと、そして強制収容…。
「それでも、日系2世らの85%は志願して戦場に赴きました。442連隊戦闘団は米国の歴史上
最も多く勲章を受けた部隊です。われわれは日系人がどういう存在であるかをアメリカ全体が
理解するよう最善を尽くしたのです」

◆「義務」と「名誉」
イノウエ氏は祖父が福岡県、祖母は広島県の出身という。
長男として育てられた氏は、父母から2つの言葉を教え込まれた。「義務」と「名誉」である。
「日系人が親から子へと引き継いだ、重要な言葉です」
59年、連邦下院で初の日系議員になったイノウエ氏は62年には上院議員に転じた。
以来半世紀がたつ。民主党リベラルの長老であり、80年代の日米貿易摩擦の頃には日本側の
貿易慣行を厳しく非難したこともあった。
一方、慰安婦問題で日本政府を糾弾する下院外交委員会の決議(2007年)には
「良好な日本との関係を危険にさらす」と強い反対声明を出した。硬骨の政治家なのだ。
イノウエ氏は「米国の国益」を行動の軸とする。同時に日系人の誇りを胸に日米同盟の深化に
全霊を傾けている。そう確信したのは、氏が講演後の質疑応答で、こう問い返したときだった。
「なぜ、私が上院歳出委員長に選ばれたと思います?」
上院歳出委員会は軍事予算を決定するなど「米議会で最も強力な委員会」といわれる。
「その委員長に(日系人の)私が選ばれたのは、米国のリーダーたちが日米関係の重要性を
真剣に考えているからです」

◆中国の脅威
イノウエ氏はこの講演で、あえて中国の軍備増強に論及した。
中国は『われわれが他国を侵略する必要はない』と言いながら空母を建造し、多数の潜水艦や
高度なICBM大陸間弾道ミサイル)を配備し、サイバー攻撃を強行している。
衛星を撃ち落とす能力もある。(米議会の)皆が懸念を抱いています」
尖閣諸島など日本の領土を含む東シナ海や南シナ海での最近の中国の強圧的な動きを念頭に
イノウエ氏は信念を語った。
「日本における米軍の存在は、日米双方の安全保障のためであり、この地域で問題を起こそうと
いう国に対し抑止力になる」
米軍普天間飛行場の移設問題などでの、日本の民主党政権の迷走と優柔不断に、米政府は
うんざりしながらも、東日本大震災が起きると最大限の支援を惜しまなかった。
その背景に、第二次大戦という修羅場をくぐってきた日系人政治家が、米国内で培ってきた公平な
対日観があったのは間違いない。
東北の被災地を訪れたイノウエ氏は、日米トモダチ作戦を「誇りに思う」と話したが、普天間問題に
関してはこうも言った。
「堪忍袋の緒が切れることもある、と申し上げたい」
日本人を祖先にもち、米大統領の継承順位で現在3位にいるアメリカ人からの、重い忠告である。
(2011.7.16 論説委員・鳥海美朗)

 

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ダニエル・ケン・“ダン”・イノウエ(Daniel Ken "Dan" Inouye、

日本名:井上 建(いのうえ けん)

 

  
1924年(大正13年)ハワイホノルル生まれ
1963年(昭和38年)から47年以上にわたって上院議員に在任、上院民主党の重鎮議員の1人
ハワイ大学在学中(1941年)に日米が開戦する。
アメリカ人としての忠誠心を示すためにアメリカ軍に志願し、アメリカ陸軍の日系人部隊
である「第442連隊戦闘団」に配属、ヨーロッパ前線で戦う。
イタリアでのドイツ国防軍との戦いにおいて、1945年4月21日に右腕を失い、1年8ヶ月
に亘って陸軍病院に入院。多くの部隊員とともに、数々の勲章を授与され帰国。
日系アメリカ人社会だけでなく、アメリカ陸軍から英雄として讃えられる。
1947年に陸軍大尉として名誉除隊した。
1959年民主党から、ハワイ州選出の連邦下院議員に当選し、アメリカ初の日系人議員となる。
1963年に上院議員となり、戦時補償法の制定などに尽力。
1973年にウォータゲート事件、1987年にイラン・コントラ事件の上院調査特別委委員長を務める。
欧州戦線での功績が認められ、米軍最高勲章である「メダル・オブ・オナー(名誉勲章)」を受賞。
日本からは、2000年に「勲一等旭日大綬賞」、11年に「桐花大綬賞」を受賞。
フランス政府から2007年に、レジオンドヌール勲章(シュヴァリエ)を授与されている。

 

 

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