筑紫の国の片隅で…

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

オバマ大統領のサプライズ

5月27日夕、オバマ大統領は広島到着後すぐに原爆資料館に向かい約10分、館内を視察しました。
オバマ大統領は館内で出迎えた小中学生2人に、「私が作りました」と自作の折り鶴を一羽ずつ手渡したそうです。
同行者の一人は、「思いがけず折り鶴を出されたのでちょっとびっくりした。いつ折ったのか…」と語り、安倍総理
も「大統領が折られたのですか」と思わず質問したそうですので、オバマ大統領のサプライズだったと思われます。
そして「私たちは戦争の苦しみを経験しました。共に平和を広め核兵器のない世界を追求する勇気を持ちましょう」
というメッセージを芳名録に書き終えると、その上に別の二羽の折り鶴をそっと置いたということです。この折り鶴
にオバマ大統領が込めた思いは、佐々木禎子さんへの追悼の心、それとも「核なき世界」への決意・・・。
この出来事を、共同通信をはじめとする各マスコミも小さな記事で一様に報じていました。ただ、産経だけはオバマ
大統領のメッセージについて、懐疑的に伝えていたのが印象的でした。
日をおいて朝日が本日付の紙面で、より詳しい内容を普通に報じていました。朝日もやれば出来るじゃないですか。

5月27日 ANN オバマ大統領in広島

5月28日 時事 オバマ大統領広島へ
オバマ大統領を平和記念資料館前で出迎える安倍総理と岸田外相、湯﨑県知事と松井市長

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
2016年5月27日 共同通信
http://this.kiji.is/108936323074688508?c=51548125355900932
オバマ氏が自作の折り鶴 禎子さんの鶴に関心
オバマ米大統領は広島の原爆資料館を訪れた際、「原爆の子の像」のモデルで、被爆し12歳で亡くなった
佐々木禎子さんが闘病中に作った折り鶴を見た後、出迎えた小中学生にピンクや青色の自作の折り鶴を手
渡した。折り鶴は4羽で、10センチほどの大きさ。花柄など和風の模様入りの紙で折られている。
2羽を小中学生に渡し、残る2羽は資料館の芳名録に署名後、脇に添えた。
「少し手伝ってもらいましたが、私が折りました」と安倍晋三首相に説明した。
同行した資料館の志賀賢治館長によると、オバマ氏は、禎子さんの鶴をとても関心を持って見ていたという。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
2016年5月27日 毎日新聞
http://mainichi.jp/articles/20160528/k00/00m/040/150000c
オバマ氏、4羽の折り鶴 その思いは… 原爆資料館に寄贈
広島の原爆資料館はオバマ米大統領が訪れた後の27日夜に記者会見し、オバマ氏が佐々木禎子さんの折り鶴や
資料などを見て、自身も4羽の折り鶴を資料館に寄贈したと説明した。佐々木禎子さんは、原爆症で12歳で亡
くなり、「原爆の子の像」のモデルとして知られている。政府関係者によると、大統領が自ら折ったもので、
小中学生に手渡したという。
志賀賢治館長は「感慨深げな表情で、岸田文雄外相の説明を聞いていた。視察時間は短く残念だったが、伝え
たかったことを伝えられたのではないか」と語った。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
2016年05月27日 読売新聞
オバマ氏「自分で折った」和紙の折り鶴を持参
http://www.yomiuri.co.jp/national/20160527-OYT1T50179.html
オバマ米大統領は27日に広島平和記念資料館(広島市)を視察した際、自ら折った四つの「折り鶴」を持参
した。うち2羽は出迎えた地元小中学生2人に手渡し、残り2羽は、同資料館の芳名録のそばに置いた。
同行した安倍首相が「自分で折ったのか」と尋ねると、オバマ氏は「少し手伝ってもらったが、自分で折った」
と応じた。折り鶴は赤色や黄色で、和紙で折ったものだったという。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
2016年5月27日 産経ニュース
オバマ氏自作の折り鶴を小中学生に
「少し手伝ってもらいましたが、私が折りました」

http://www.sankei.com/world/news/160527/wor1605270057-n1.html
オバマ米大統領は広島の原爆資料館を訪れた際、「原爆の子の像」のモデルで、被爆し12歳で亡くなった
佐々木禎子さんが闘病中に作った折り鶴を見た後、出迎えた小中学生にピンクや青色の自作の折り鶴を手
渡した。折り鶴は4羽で、10センチほどの大きさ。花柄など和風の模様入りの紙で折られている。
2羽を小中学生に渡し、残る2羽は資料館の芳名録に署名後、脇に添えた。
「少し手伝ってもらいましたが、私が折りました」と安倍晋三首相に説明した。
同行した資料館の志賀賢治館長によると、オバマ氏は、禎子さんの鶴をとても関心を持って見ていたという。

5月27日 産経 オバマ大統領が記帳した芳名録
オバマ大統領が記帳した芳名録

5月27日 産経 オバマ大統領が記帳した芳名録02
オバマ大統領の直筆メッセージと添えられた折り鶴
5月28日 日経 オバマ氏から贈られた折り鶴

2016年5月27日 産経ニュース
http://www.sankei.com/politics/news/160527/plt1605270078-n1.html
原爆資料館の芳名録に記帳「私たちは激しい苦しみ体験してきた」
広島を訪問したオバマ米大統領は27日、平和記念公園の原爆慰霊碑での献花に先立って原爆資料館を訪れ、
芳名録に「私たちは戦争の激しい苦しみを体験してきた。ともに平和を広め、『核兵器なき世界』を追求
する勇気を持ちたい」と記帳した。ホワイトハウス同行記者団が確認した。
オバマ氏が記した「戦争の激しい苦しみ(the agony of war)」は、1945年8月に広島、長崎への原爆投下を
決めたトルーマン元大統領が、ラジオ演説で原爆の使用を正当化するために使った言葉
だ。
トルーマン氏は広島への原爆投下を受けた同年8月9日(米国時間)、「我々は戦争の激しい苦しみを短縮
し無数の米国の若い命を救うために原爆を使用した」と米国人向けに演説。原爆を使用したことで、日本
本土への上陸作戦で失われる可能性があった米兵の命が救われたとする「原爆投下正当化論」が広がる端
緒となったとされる。
オバマ氏としては、現在も米国民の半数以上が信じている「正当化論」を意識し、戦争そのものがもたら
す苦しみを訴えるために、敢えてこの言葉を選んだ可能性がある。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
2016年5月29日 朝日新聞デジタル
http://digital.asahi.com/articles/DA3S12382302.html?rm=150
「禎子の鶴」、オバマ氏の祈り 平和を思い、そっと2羽置く
被爆地・広島を訪れたオバマ米大統領は「サプライズ」の贈り物を残した。大統領手作りのカラフルな4羽の折り鶴。
原爆投下の10年後、白血病で亡くなった少女にまつわる「平和のシンボル」だ。核廃絶の願いを世界へ広げようと、
託された広島平和記念資料館(原爆資料館)は公開の準備を始める。
オバマ大統領は27日夕、広島到着後すぐに原爆資料館を見学した。同行者らによると、オバマ氏は約5分間、数点の
展示資料と向き合い、岸田文雄外相の説明に熱心に頷いた。 なかでも関心を示したのが、佐々木禎子さんの折り鶴。
アクリルケースを特別に外すと、オバマ氏は顔を近づけてじっと見ていたという。
「実は折り鶴を持ってきました」。オバマ氏が突然そう切り出すと、随行スタッフがトレーに載せて運んできた。
梅や桜の花が彩る和紙を丁寧に折り、「少し手伝ってもらったけれど、私が作りました」。白と淡いピンクの2羽を
小中学生2人に1羽ずつ手渡した。
「私たちは戦争の苦しみを経験しました。共に、平和を広め核兵器のない世界を追求する勇気を持ちましょう」。
芳名録にメッセージを書くとその上に別の2羽をそっと置いた。 その後、原爆死没者慰霊碑への献花や演説を終え、
原爆ドームを望む場所まで移動。岸田氏が禎子さんの像が空に手を広げる「原爆の子の像」も紹介すると神妙な面持
ちで答えた。「この一帯は、平和にとって大変重要な場所ですね」
折り鶴4羽はすべて資料館へ寄贈された。志賀賢治館長(63)は「オバマさんは禎子さんの話を米国で知り、折り鶴
を準備されたのかもしれない。なるべく早く公開したい」と話す。禎子さんの同級生で被爆証言を続ける川野登美子
さん(73)は「空に向かって大きく手を広げるさだちゃんの思いが、ついに米大統領にまで届いた。さらに多くの人
に思いが広がるよう願っています」と喜ぶ。
オバマ氏の折り鶴は海外でもさっそく報じられ、米紙USAトゥデー(電子版)は「象徴的な振る舞い」と紹介。
禎子さんの折り鶴は「核戦争の痛切さの重要な象徴」と伝えた。英BBC(電子版)は「サダコと折り鶴」と題する記
事を掲載。作り方の動画を添え、「今、折り鶴は平和の象徴」と報じた。 (岡本玄、宮崎園子、平井良和)

佐々木禎子さんの兄・雅弘さん(74)は28日、朝日新聞の取材に答え、オバマ大統領について「禎子の千羽鶴に関心
を寄せていただき大いに感激。謝罪とともに平和への強い決意、寛容な心のぬくもりを受け取りました」と感謝した。
雅弘さんは、禎子さんの生涯を語り継ぐ活動に国内外で取り組む。
オバマ氏の広島訪問にあたっては関係者を通じ米国側に禎子さんの折り鶴の意味を伝え、折り鶴も贈っていたという。
「大統領は事前に広島のことを学習してこられたと思う。心の終戦に向け、日米の新たな一歩を示していただいた」
と評価した。

■国内外から共感
28日、原爆の子の像の足元に折り鶴を納める人の姿が絶えなかった。広島女学院高校1年の岩本彩香さん(15)ら
同級生4人は、交流を続ける米ペンシルベニア州の小学生約20人から今月届いた千羽鶴を手に訪れた。
オバマ氏の折り鶴をニュースで知り、「核をなくしたいというオバマさんの思いが本気だと、よくわかりました」と
話した。
スペインからの旅行客トニー・トゥバウさん(32)は、初めて折った鶴を友人と1羽ずつ納めた。広島・宮島の宿の
人から「あす平和公園に行くなら」と折り方を教えてもらい、行きの電車の中で作ってみたという。なぜ平和を願っ
て鶴を折るのか。禎子さんの折り鶴を原爆資料館で見学し、その意味を初めて知った。「原爆で苦しんだサダコは鶴
を折れば病気が治ると信じていたんですね。平和のシンボルだと学びました」 (矢吹孝文)

■回収後再生紙に
原爆の子の像には、国内外から年間約10トンの千羽鶴が届く。広島市は一定の期間がたつと焼却処分してきたが、
2002年度以降は倉庫で保管している。NPO法人・おりづる広島(広島市南区)は、公園内にある様々な慰霊碑に
供えられた折り鶴を回収し、再生紙にする事業に取り組む。12年からは原爆の子の像の千羽鶴も原料に。約15年
間で4トン以上の折り鶴に新たな命を吹き込み、はがきや色紙、名刺に生まれ変わった。 (半田尚子)

<佐々木禎子さんと折り鶴>
平和記念公園に立つ「原爆の子の像」のモデルとなった佐々木禎子さんは2歳の時、広島の爆心地から
1.6キロの自宅で被爆。小学6年の時に白血病と診断され、闘病の末に亡くなった。鶴を千羽折ると願い
がかなうとの言い伝えを信じ、薬の包み紙などを使って1,300羽以上を病床で折り続けた。原爆の悲劇と
して国内外で広く語り継がれ、実物の一部は原爆資料館に展示されている。








関連記事
スポンサーサイト

コメント

コメントの投稿


管理者にだけ表示を許可する

トラックバック

トラックバック URL
http://metalhorse.blog.fc2.com/tb.php/422-fc2c2a58
この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)

FC2Ad

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。