筑紫の国の片隅で…

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

1月の訃報ですが・・・

以下の投稿は、1月24日か25日にUPしたと思っていたのですが、小生の手違いか勘違いのためUPされていませんで
したので、内容を一部追加し、改めて投稿させてもらいました。

昨年1月17日に声優の加藤精三さん(「巨人の星」の星一徹役など)が86歳で、27日には同じく声優の永井一郎さん
(「サザエさん」の磯野波平役など)が82歳で鬼籍に入られました・・・。 そして1年、またベテラン声優さんのお一人が
この世を去られました。声優界の大御所的存在だった大塚周夫さんが、1月15日、虚血性心不全でお亡くなりになられ
ました。享年85歳でした。
                    大塚周夫
洋画の吹替えでは、リチャード・ウィドマークやチャールズ・ブロンソンなど渋みのある俳優を担当されていました。
アニメでは、「ルパン三世」の初代石川五右衛門をはじめ、「ゲゲゲの鬼太郎」のねずみ男、「美味しんぼ」の海原雄山や
「忍たま乱太郎」の山田先生などの吹き替えをされていましたね。
時の流れとはいえ、慣れ親しんだ声優さんが一人、また一人とこの世を去られるのは淋しい限りです。皆さん、あの世で
集まってアテレコ大会でもやって、息の合った会話とアドリブ連発で楽しんでいらっしゃるかもしれませんね・・・。
謹んでご冥福をお祈りいたします。。。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
2015年1月17日 朝日新聞デジタルより
大塚周夫さん死去 共演者ら追悼
アニメ『ゲゲゲの鬼太郎』のねずみ男や『美味しんぼ』の海原雄山の声で知られる、声優で俳優の大塚周夫さん
(享年85)の訃報を受け、生前の共演者らがブログやツイッターを通じて悲しみをつづっている。
『美味しんぼ』で息子・山岡士郎を演じた井上和彦は、17日にツイッターで「え?今知った。大塚周夫さんが…」と
の書き出しで「心からご冥福をお祈りいたします」と追悼。
「美味しんぼの時は朝一緒にコーヒー飲みながらいろいろな話を聞かせてくれたな~」と回顧し、「ありがとうござ
いました」と感謝した。
『バビル2世』で共演した神谷明は自身のブログで「本当に驚いています。初めての主役、バビル2世の収録の時
には、いつも隣に座って下さり、ご自身の体験談などを沢山お話してくださいました」と思い出を振り返り「大塚さん、
ゆっくり休んでください。いつまでも忘れません」とつづった。
『機動戦士ガンダム』のアムロ・レイ役の古谷徹はツイッタで「僕が子役の頃からだから、もう40年以上のお付き合
いだ。ことあるごとに演技に関する独自の拘りをお話ししてくれた。演技も人柄も個性的な、素晴らしい役者だった。
謹んでお悔やみ申し上げます」とツイート。
また、『うしおととら』の原作者・藤田和日郎氏は、大塚さんが「とら役」を演じた時を思い出しながら「寂しいっす。
大塚さん。とらを生かしてくれて、どうもありがとうございました」と偲んだ。
大塚さんは東京都出身。『ONE PIECE』のゴールド・ロジャーや『忍たま乱太郎』の山田伝蔵のほか、吹き替えでは
米俳優のチャールズ・ブロンソンを担当していた。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
2015年1月23日 日刊スポーツより
大塚周夫さん葬儀、野沢雅子らが弔辞
15日に虚血性心不全で亡くなった、声優で俳優の大塚周夫さん(享年85)の葬儀・告別式が23日、東京・青山葬儀所
で営まれた。この日は大塚さんがねずみ男を演じた「ゲゲゲの鬼太郎」で主人公鬼太郎を演じた声優野沢雅子と、山田
伝蔵先生役を演じたNHKEテレのアニメ「忍たま乱太郎」の原作の漫画「落第忍者乱太郎」の作者・尼子騒兵衛氏が
弔辞を読んだ。
野沢は「チカさん、呼びかけても、今日はもう返事ないね。ひどいわよ。私に別れの言葉を言わすなんて…どうしたらいい
の?」と涙ながらに祭壇に語りかけた。
尼子氏は「中学の頃、洋画が大塚さんとの出会い。“ひと聞きぼれ”という言葉があっていいと思うほどほれ、アイドルを
追いかけるように追いました。『忍たま乱太郎』がアニメ化される時『ワガママは申しませんが、伝蔵先生の声は大塚さん
で』とお願いしました」と涙した。
喪主を務めた長男で声優の大塚明夫は、父の遺影に向かって「おやじ…僕がこの道(声優)を始める一歩を踏み出し
て、父と子だったもの(関係)が師匠と弟子に変質し、おやじの背中を見て育ったのか師匠の背中を見て育ったのか…。
弟子として…と言うより、子から親へ一言だけ。おやじ…ありがとう。そして、お疲れ。ほんじゃあ、またな」と語りかけた。
この日は野沢のほか、井上喜久子、田中真弓、平田広明、森田成一、山寺宏一、田中理恵夫妻ら、声優界を中心に約
250人が参列した。関係者によると、大塚さんは戒名はつけなかったという。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
2015年2月7日 産経ニュース 【さらば愛しき人よ】より
声優、大塚周夫氏
「ブロンソン」「ねずみ男」「ゴールド・ロジャー」…“声の彫刻家”亡くなった日も「収録」


 ゲゲゲの鬼太郎のオールナイトニッポンの収録で
 (ゲゲゲの鬼太郎のオールナイトニッポンの収録にて)

63歳のとき、体力低下などの理由から俳優を引退し、声優に専念する。声優としての当たり役は数多い。
日本では、男性用化粧品のCMで広く知られた米国の俳優チャールズ・ブロンソンの吹き替えをはじめ、アニメ「ゲゲゲ
の鬼太郎」のねずみ男、「チキチキマシン猛レース」のブラック魔王、「美味しんぼ」の海原雄山、「ワンピース」のゴール
ド・ロジャー…。
昭和40年代にテレビで洋画を楽しんだ日本人なら、著名俳優の吹き替えを誰が担当しているかそらで言えたはずだ。
アラン・ドロンなら野沢那智、クリント・イーストウッドなら山田康雄、マリリン・モンローなら向井真理子、オードリー・ヘプ
バーンなら池田昌子、そしてブロンソンなら大塚さん。この組み合わせは絶対に崩せない。
大塚さんは男らしさの権化であるブロンソンと完全に一体化していた。多くの視聴者は大塚さんはブロンソンに似た風
貌をしていると勝手に思いこんでいたように思う。
同じように向井真理子はセクシー、池田昌子は清楚な美貌を持った女性に違いない、と感じていた。
それが、ずるさの権化であるねずみ男の声を演じるとは。この落差。プロとはそういうものかもしれない。
テレビドラマのアクション俳優として売り出していた1961年、東京新聞のインタビューで大塚さんは「子供のときには彫
刻家になりたかった」と発言している。父の辰夫は日展無鑑査の彫刻家、叔父は「東洋のロダン」と称された彫刻家の
朝倉文夫。文夫の娘は舞台美術家の朝倉摂。芸術一家の生まれであった。東京都出身。
中学時代にボクシングとダンスを始め、自らの体を彫琢(ちょうたく)しながら上野の美術学校をめざしていた。ところが、
新宿第一劇場で見た芝居に心奪われ、戦後創設された劇団東俳に入り役者稼業に。
テレビドラマの放送が始まると、鍛え抜かれた身体を見込まれ、悪役のアクション俳優として重用された。特に殴られ役
として丹波哲郎さんに愛されたという。
米俳優リチャード・ウィドマークに憧れ、彼の芝居を熱心に研究していたおり、テレビで洋画の吹き替えが求められるよう
になる。テレビ関係者に「ウィドマークの吹き替えをやらせてほしい」と頼んで回り、願い通りその仕事を獲得する。
こうして、俳優と声優の掛け持ち人生が始まった。
先輩俳優である森川信さんの影響で自在な「間」を体得しようと寄席に通った。趣味はヘラブナ釣りだが、釣り仲間の言
動を観察して、「間」を研究した。2004年、朝日新聞でこう語っている。
「ある若手が、声の仕事は塗り絵みたいなものだって言った。決められた所に決められた色をあてはめる、という意味で
しょう。僕は絶対違うと思う。彫刻なんだ。声でその役に立体感をださなきゃ意味がない」
まさに声の彫刻家として歩んだ後半生だった。長男の声優、大塚明夫さんによると、亡くなったその日も吹き替えの収録
をしたという。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
2015年01月21日 NHKオンライン BSコラムより
追悼 大塚周夫さん
1月15日に、クセのある脇役を演じさせたらピカイチと定評のある、俳優・声優の大塚周夫さんが亡くなられました。
生前、何度かインタビューさせていただきましたので、ご遺族である長男・明夫さんのご了解を得て、大塚さんの足跡を
たどりながら、その言葉のいくつかを再録し、故人をしのぶこととさせていただきます。 (略)
大塚さんは、親しい人には「ちかちゃん」という愛称で呼ばれていました。風貌を思い浮かべると、笑みを浮かべている顔
しか出てきません。いつも、にこやかに話される方でした。
お話ししていると「ようござんす」、「しちまう」、「そっすね」などの昔懐かしい東京下町の言葉がよく出てきました。ですか
ら下町の生まれだと思っていましたが、うかがってみると生まれは東京・山の手の世田谷だそうです。
趣味は人間観察と釣りでした。特に釣り(池や川専門)は大好きで、今のお住まいを決めた時も、近所に釣りができる池
があったからだとおっしゃっていました。また、釣りに行くと、いろいろな方が居て、よく観察することで、演技の勉強になっ
たとも……。
大塚さんの役者人生は長く、さまざまな経験を積んできたそうです。例えば戦後まもなく、ショービジネスの世界に入った
きっかけは戦前にダンスを習っていたからだそうです。これはもともと身体が弱かったため、ダンスを習わされたからだ
そうで、ソシアルからタップまで、数多くのダンスを会得していらっしゃいました。タップダンスでは、その昔、有名店だった
赤坂にあるグランドキャバレー(今の“キャバレー”とは異なり、歌や踊りを食事しながら楽しむ場所だったそうです)にも
出演していたそうです。

大塚:戦争で死んじゃったけど、ボクには歳の離れた兄がいてね、ダンス教室にボクを通わせるよう母に勧めたんです。
戦前だけど時局が厳しくなっていたから、高校生が繁華街を歩くと問題になる。そこで『弟の迎えです』と言って、兄は
ダンス教室のある新宿をぶらついていたというわけ(笑)。
戦後、進駐軍がやってきて、あちこちのキャバレーでダンサーが必要になったんです。オーディションがあって、ダンサー
はABCのランクに分けられるんだけど、それに合格してダンサーをやっていたの。おかげで姿勢が良くなって、自然とこ
う(上着の胸元を広げる仕草をしながら)胸の部分がスッと張れるの。だから見栄えが良くって『大塚さん、良い洋服着
てるんですか?』って、よく言われました。ダンスもクラッシック(手を伸ばしてソシアルダンスの仕草をする)からタップま
でやっていたから(いきなり立ち上がって足を踏み鳴らす)。

ダンサーとして活躍していた大塚さんですが、膝の関節炎を患ったため、芝居の道を志し、劇団東芸に入団します。
この頃はまだテレビ放送も始まっておらず、当然、吹き替えなどの仕事もありませんでした。大八車などに小道具や衣装
などを積み、都内の小学校などを回って、昔話を題材にした芝居を演じて糊口(ここう)をしのいでいました。
やがてラジオドラマの仕事が少しずつ来るようになり、続いてテレビドラマの仕事が入るようになったそうです。

大塚:ラジオも最初はドラマのエキストラばかりで、俗に言うガヤでした。その後、テレビドラマや映画に端役で出るように
なったの。ほとんどが殴られてのびるチンピラ役ばかりだったけど(笑)。

そうした中で外画(がいが・外国制作の映像作品)の声優をやろうと思うきっかけが訪れます。

大塚:たまたま観た映画に出演していた、俳優のリチャード・ウィドマークの芝居が気に入って、何度も観て、その凄みの
ある演技を研究したのがきっかけ。そのあと外画の吹き替えが始まると、TV局にリチャード・ウィドマークの吹き替えをや
らせて欲しいと売り込みに行ったの。当時、そんな変なことを言う奴はほかにいなかったし、NTV(日本テレビ)のプロデ
ューサーに、それならやらせてみようと、『襲われた幌馬車』(1956年アメリカ・NTV初回放送は1963年10月13日)の
仕事が来たんです。そこで念願のウィドマークの声を演じたの。

ウィドマークの役は、コマンチ族に育てられたコマンチ・トッド役で、映画では主人公でした。
この作品以降、舞台と吹き替えの両方をこなすようになっていきます。大塚さんは吹き替えの黎明期である1950年代、
外画の吹き替えだけでも1か月に48本やったこともあるそうです。これは、当時、いかに売れっ子だったかを物語る数字
と言えるでしょう。
やがて、当時はまだテレビまんがと呼ばれていたアニメ作品のレギュラー出演が立て続けに決まります。それが「ゲゲゲ
の鬼太郎」のネズミ男役と、「チキチキマシン猛レース」のブラック魔王でした。この頃になると、リチャード・ウィドマークと
チャールズ・ブロンソンの吹き替えは、各局とも大塚さんに依頼するようになっていました。
なお、当時は、ジョン・ウェインなら小林昭二、アラン・ドロンなら野沢那智、オードリー・ヘプバーンなら池田昌子、という
ように、声のキャスティングが俳優ごとに決まっていた時代でした。現在、キーファー・サザーランドやジョージ・クルーニ
ーの吹き替えといえば小山力也さんが担当する、といった形式はこの延長線にあると言えます。
そうした中で大塚さんは、その歯切れの良い滑舌と、アドリブも多用したはまり役を得ます。新聞記者のカール・コルチャ
ックが、さまざまな怪事件に出会い、怪物や超常現象と戦う異色の海外ドラマ『事件記者コルチャック』でした。

大塚:コルチャックを演じたダーレン・マクギャヴィンっていう俳優さんは、けっこう気難しい人なんだそうです。お芝居に
アドリブがそうとう入っているらしい。ですから、その感じを出すために、台本になくても、向こうの口の動きに合わせて入
れたり、また背中を向けたときに音声がなくてもディレクター(『事件記者コルチャック』の演出は、『ER 緊急救命室』
と同じ佐藤敏夫さん)と相談して入れたりしました。
そうした演技には演出家・俳優の早野寿郎から誘われて入った俳優小劇場での経験が役に立ちました。コルチャックが
ゾンビの口に塩を詰めて糸で縫うときなんかも、『やだね、あー、いやだいやだ』とかぼやくでしょ。ああいう台詞(せりふ)
は台本にはなくてあたしのアドリブなんです。あのシリーズでは、『やだね~』と『やだね』と『やだやだ』、『やっだっねぇ
え』、みんな違うんですよ。場面によってはいくらでも「やだね」が入れられたの。だから、たくさん使ったねぇ。アドリブは、
コルチャックを演じる前に『ブラック魔王』で、さんざんやらされましたからね…

米国のアニメ「チキチキマシン猛レース」や、そのスピンオフ「スカイキッドブラック魔王」では、原音には台詞があまりな
いため、収録の時は朝から晩まで、何度もアドリブを交えながらリハーサルをしたそうです。犬のケンケン役の神山卓三
さんは、あの「クッシッシッ」っていう独自の笑い声が決まるまでは、何度もテイクを重ねられたそうです。
現在の海外ドラマでは、製作会社の意向で、台詞の変更や、現場でアドリブを入れるのは禁止されていますが、当時は
かなりおおらかだったそうです。

大塚:あるとき『チキチキ』の収録現場に制作会社のハンナ・バーベラ・プロダクションの担当者が見学に来て、ボクらが
演じているのを見て『どうぞご自由にやってください』と言ってくれたもの。 面白くしようという気持ちがみんなにありまし
たから。

大塚さんが演じた『事件記者コルチャック』の主人公コルチャックは、江戸っ子みたいなべらんめぇ口調が多かったので
すが、そのヒントになった作品があります。

大塚:映画『男はつらいよ』の初代おいちゃん役の俳優で有名な森川信さんという人がいるんだけど、あの方はコメディ
アンもやっていたの。一緒に仕事させていただいてからその影響で落語を勉強して、その成果が『あらやだ!』『?なんす
かねぇ』とか、面白い間(ま)を覚えたんです。 海外ドラマの場合は、束縛があっても、その中でどのくらい自分の演技が
できるかが問題なんです。

役者にとって大事なことはなんでしょう? という質問には、こういうお答えが返ってきました。

大塚:良い芝居を見て勉強するのも大切。そしてやはり“間”は大事です。間だけで芝居する人が大好きなんです。あとは
人間観察。ボクは趣味がヘラブナ釣りなんだけど、釣り仲間を観察するの。
『どう?』と訊いて、パッと『全然ダメ!』と間のない人もいるし、『………今日はだめです』と間をすご~く、とる人もいる。
そうした人たちの“間”を覚えて、頭の中の引き出しに入れておくわけ。

映画や海外ドラマ、アニメなどで様々な役を演じている大塚さんは、画面を観ただけで、演技プランがひらめくそうです。

大塚:そうね。ここ(頭を指す)に色々なしゃべり方とか間が入っているの。だから画面を観たらスッと入っていけるんです。
ああ、このキャラクターはあれとあれを組み合わせて、こうすればいいとか出てくるんです。

そうした吹き替えの仕事中で、もっとも勉強になったのは、NET(現テレビ朝日)の日曜洋画劇場だったといいます。
この映画枠、毎週約30人が固定でキープ(拘束)されていたそうで、それも達者な人ばかり。そのメンバーで毎回吹き替
える作品の配役を決めていく……。つまり、同じ劇団で毎週、異なる公演を行うようなモノだったそうです。

大塚:だから毎週、収録スタジオに行って、30日に1回くらいのペースで主役が来る。1回主役したら、あとはちょい役で
かまわないんですよ。その代わり、『あ、じゃあ俺やるよ。それもやるやる、大丈夫』なんつって。『ここ空いてんのに誰か入
れないの?』『じゃあ二役やっちゃえ』とかね…。

最近はご自分が声の出演をされた作品を、家で見返すこともあるそうです。

大塚:若い頃のは恥ずかしいんで、あまり見たくないです。自分で意識してこうありたいというふうになってからは、どのく
らいできているか見たいことがありますけど、むやみやたらとやっている頃のは、恥ずかしいほうが多い。
『コルチャック』はもう少し役者が目覚めていますから。このくらいやりゃあどこに出しても平気だろうって(笑)。
ナレーションなんかとくに一所懸命やりましたよね。どなたでもけっこうです、勝負しましょうっていう気持ちありますもん、
コルチャックは。

インタビューを行った時は、メインが『事件記者コルチャック』についてでした。大塚さんに、このシリーズのパイロット版
(2本あります)の日本吹き替え版がないと説明すると「やりてぇなぁ。元気なうちに」とおっしゃっていました。
今ではそれもかなわぬことになりましたが、今まで吹き替えされた多くの作品が、ソフトとして遺(のこ)されています。
これからはそうしたソフトでしか、お声をお聞きすることができないのかと思うと残念でなりません。
ご長男で、同じく声優業についていらっしゃる大塚明夫さんによると、周夫さんは、亡くなった当日も収録されていたそう
です。 まさに「生涯現役」を絵に描いたような人生でした。 大塚さん、長い間お疲れさまでした。

by 岸川靖(編集者・ライター)









関連記事
スポンサーサイト

テーマ:芸能ニュース - ジャンル:ニュース

コメント

コメントの投稿


管理者にだけ表示を許可する

トラックバック

トラックバック URL
http://metalhorse.blog.fc2.com/tb.php/376-d16e61f5
この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)

FC2Ad

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。