筑紫の国の片隅で…

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訃報:三宅久之先生がご逝去されました

三宅先生が10月末に入院されたときから心配していたのですが、11月10日のFacebookで
「おかげさまで退院し自宅で療養中です」との書込みがあり、安心したところだったのに・・・。
訃報がいまだに信じられません。今はただ、ご冥福をお祈りするばかりです。。。
安倍晋三自民党総裁が、再び総理大臣に就任されるところを見守って欲しかった・・・。


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三宅久之さん急死、早朝立ち上がり直後に


政治評論家の三宅久之さんが15日午前8時46分、都内の病院で死去した。
病死とみられる。82歳だった。
三宅さんは同日午前6時ごろ「トイレに行きたい」と立ち上がった直後に倒れ
病院に搬送された。病院に到着するまで意識があったという。
葬儀・告別式は近親者のみで行う。喪主は長男彰(あきら)氏。
三宅さんは10月29日に入院し、今月3日、消化器系疾患で手術を受けていた。
8日に退院したが、その後は都内の自宅で療養していた。
亡くなる前日14日は、野田首相と安倍総裁の間で衆院解散の約束が固まった
党首討論もテレビで見ていたという。
秘書は「とても元気だった。その翌日なので信じられない。とても驚いている」
と語った。
べらんめえ口調で、討論形式のテレビ番組では大声で論戦を繰り広げたが、
普段は物腰がやわらかく、相手の話をじっくり聞く温厚な性格だった。
読売新聞グループ本社の渡辺恒雄会長(86)とは現役記者時代からの盟友だった。
テレビ番組では「ナベツネ通信」と称して直筆の手紙を読み上げる役どころもあった。
80歳を過ぎると重度の糖尿病を患い、声がかすれることが多くなった。
今年3月ごろには「私の声が聞き取りにくくなった。視聴者に申し訳ない。
政治評論家を引退する」として表舞台から身を引いた。
今年10月7日のブログには「この10月初めからステロイドを使うようになって、食欲も出、
少し好転してきました」とイスに腰掛け、本を手にする写真を添えていた。
今年9月の自民党総裁選では、当初評価の低かった安倍氏を「日本を救えるのは安倍くん
しかいない」と有志による応援団を結成。応援団長として表立って激励していた。
総裁就任翌日の9月27日、チューブつきの酸素吸入機をつけたまま、自民党本部を訪れ、
総裁室で握手を交わした。
念願だった安倍氏の首相返り咲きを目にすることなく眠りについた。

 

 

◆三宅久之(みやけ・ひさゆき)1930年(昭5)1月10日、東京都杉並区生まれ。
早大第一文学部を卒業後、毎日新聞社へ入社し政治部記者として活躍。
政治部副部長、特別報道部長を歴任し、76年退社後に政治評論家に転身。
保守派の論客としてテレビ朝日「ビートたけしのTVタックル」ではレギュラー出演していた。

 

~2012年11月16日 日刊スポーツより~

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安倍晋三Facebookより 〕

 

本日、三宅久之先生がご逝去されました。
 
三宅さんとは党首討論を迎えた昨日の朝、電話を頂きお話したばかりでした。
「今日の党首討論で総理が解散を明言しない場合には、一日も早くこの政権を
倒すため、即時内閣不信任案を提出するべきだ!」とのご意見でありました。
三宅さんの秘書の方にお伺いすると「安倍さんが三宅先生と話したのが、
外の人物と話した最後になってしまいました」ということでした。
最後まで、気に掛けて頂き感謝の気持ちで一杯です。
そしてその憂国の情に応えなければと決意を新たに致しました。
三宅さんはこの五年間私を励まし続けてくれました。
先の自民党総裁選挙の際にも、多くの方々が「今回は慎重になるべきだ」との
意見の中、「断固として総裁選挙に打って出るべきだ!君が身を捨てて先陣に立ち、
今こそ日本の為に闘え!」と、叱咤激励して頂いたのも三宅さんでした。
総理を辞職してからの五年間、三宅さんの応援がどんなに私にとって心強かったことか。
あと少し、あと少しでも、戦いぶりを見て頂きたかった。
本当に残念でなりません。
三宅先生、本当にありがとうございました。
心からご冥福をお祈りいたします。

 
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田嶋陽子氏(71)のコメント
「三宅先生は、ユーモアがあって、セクシーで礼儀正しくてハンサムで、まれに見る美しい老紳士でした。
おちゃめでいたずら好きで、私のコンサートにはいつも花と一緒に、まるでお兄さんかお父さんのような
情に満ちたお手紙を書いて手渡してくださいました。
最後は『小生は今年いっぱいで、一切の評論活動から身を引くことを決めましたが、ただひとつ心残り
は田嶋さんの精神を鍛え直すことができなかったことでございます』と締めくくっていました。
意見は違いましたが、尊敬していました」


~2012年11月16日日刊スポーツより~

 

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