筑紫の国の片隅で…

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本日は「地久節」の日

                    
                       菊のご紋


                皇后陛下お誕生日 ご近影

10月20日、皇后陛下におかせられましては、満八十歳(傘寿)のお誕生日を迎えあそばされます。
日本国民として心より慶祝を申し上げるとともに、皇后陛下の御健康、御長寿、御皇室の弥栄を祈念申し上げます。
天皇、皇后両陛下におかせられましては、国民が辛い時、苦しい時、悲しい時、いつ如何なる時も常にお心をお寄せ
になられ、国民の心の支えとなり、生きる希望と元気をお与えくださることに感謝せずにはおれません。

            皇后陛下お誕生日 ご近影00
         
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宮内庁HPより
皇后陛下お誕生日に際し(平成26年)

皇后陛下 傘寿をお迎えになって
皇后陛下80年間のお歩みを記録したものです (貴重な映像も有りますので、ご覧になる事をお薦めします)。
http://nettv.gov-online.go.jp/prg/prg10653.html



宮内記者会の質問に対する文書ご回答

(問1)
このたび傘寿を迎えられたご感想とともに、これまでの八十年の歳月を振り返られてのお気持ちをお聞かせください。

皇后陛下
ものごころ付いてから、戦況が悪化する十歳頃までは、毎日をただただ日向で遊んでいたような記憶のみ強く、とりわけ
兄や年上のいとこ達のあとについて行った夏の海辺のことや、その人達が雑木林で夢中になっていた昆虫採集を倦き
ることなく眺めていたことなど、よく思い出します。また一人でいた時も、ぼんやりと見ていた庭の棕梠の木から急にとび
立った玉虫の鮮やかな色に驚いたり、ある日洗濯場に迷い込んできたオオミズアオの美しさに息をのんだことなど、その
頃私に強い印象を残したものは、何かしら自然界の生き物につながるものが多かったように思います。
その後に来た疎開先での日々は、それまでの閑かな暮らしからは想像も出来なかったものでしたが、この時期、都会か
ら急に移って来た子どもたちを受け入れ、保護して下さった地方の先生方のご苦労もどんなに大きなものであったかと
思います。
戦後の日本は、小学生の子どもにもさまざまな姿を見せ、少なからぬ感情の試練を受けました。終戦後もしばらく田舎に
とどまり、六年生の三学期に東京に戻りましたが、疎開中と戦後の三年近くの間に五度の転校を経験し、その都度進度
の違う教科についていくことがなかなか難しく、そうしたことから、私は何か自分が基礎になる学力を欠いているような
不安をその後も長く持ち続けて来ました。ずっと後になり、もう結婚後のことでしたが、やはり戦時下に育たれたのでしょ
うか、一女性の「知らぬこと多し母となりても」という下の句のある歌を新聞で見、ああ私だけではなかったのだと少しほ
っとし、作者を親しい人に感じました。
皇室に上がってからは、昭和天皇と香淳皇后にお見守り頂く中、今上陛下にさまざまにお導き頂き今日までまいりまし
た。長い昭和の時代を、多くの経験と共にお過ごしになられた昭和の両陛下からは、おそばに出ます度に多くの御教え
を頂きました。那須の夕方提灯に灯を入れ、子どもたちと共に、当時まだ東宮殿下でいらした陛下にお伴して附属邸前
の坂を降り、山百合の一杯咲く御用邸に伺った時のことを、この夏も同じ道を陛下と御一緒に歩き、懐かしみました。
いつまでも一緒にいられるように思っていた子どもたちも、一人ひとり配偶者を得、独立していきました。
それぞれ個性の違う子どもたちで、どの子どもも本当に愛しく、大切に育てましたが、私の力の足りなかったところも多く
、それでもそれぞれが、自分たちの努力でそれを補い、成長してくれたことは有難いことでした。
子育てを含め、家庭を守る立場と、自分に課された務めを果たす立場を両立させていくために、これまで多くの職員の
協力を得て来ています。社会の人々にも見守られ、支えられてまいりました。御手術後の陛下と、朝、葉山の町を歩いて
おりました時、うしろから来て気付かれたのでしょう、お勤めに出る途中らしい男性が少し先で車を止めて道を横切って
来られ、「陛下よろしかったですね」と明るく云い、また車に走っていかれました。しみじみとした幸せを味わいました。
多くの人々の祈りの中で、昨年陛下がお健やかに傘寿をお迎えになり、うれしゅうございました。
五十年以上にわたる御一緒の生活の中で、陛下は常に謙虚な方でいらっしゃり、また子どもたちや私を、時に厳しく、し
かしどのような時にも寛容に導いて下さり、私が今日まで来られたのは、このお蔭であったと思います。
八十年前、私に生を与えてくれた両親は既に世を去り、私は母の生きた齢を越えました。嫁ぐ朝の母の無言の抱擁の思
い出と共に、同じ朝「陛下と殿下の御心に添って生きるように」と諭してくれた父の言葉は、私にとり常に励ましであり指
針でした。これからもそうあり続けることと思います。

(問2)
皇后さまは天皇陛下と共に国内外で慰霊の旅を続けて来られました。
戦争を知らない世代が増えているなかで、来年戦後七十年を迎えることについて今のお気持ちをお聞かせ下さい。

皇后陛下
今年八月に欧州では第一次大戦開戦から百年の式典が行われました。第一次、第二次と二度の大戦を敵味方として
戦った国々の首脳が同じ場所に集い、共に未来の平和構築への思いを分かち合っている姿には胸を打たれるものがあ
りました。
私は、今も終戦後のある日、ラジオを通し、A級戦犯に対する判決の言い渡しを聞いた時の強い恐怖を忘れることが出
来ません。まだ中学生で、戦争から敗戦に至る事情や経緯につき知るところは少なく、従ってその時の感情は、戦犯個人
個人への憎しみ等であろう筈はなく、恐らくは国と国民という、個人を越えた所のものに責任を負う立場があるというこ
とに対する、身の震うような怖れであったのだと思います。
戦後の日々、私が常に戦争や平和につき考えていたとは申せませんが、戦中戦後の記憶は、消し去るには強く、たしか
以前にもお話ししておりますが、私はその後、自分がある区切りの年齢に達する都度、戦時下をその同じ年齢で過ごした
人々がどんなであったろうか、と思いを巡らすことがよくありました。
まだ若い東宮妃であった頃、当時の東宮大夫から、著者が私にも目を通して欲しいと送って来られたという一冊の本を
見せられました。長くシベリアに抑留されていた人の歌集で、中でも、帰国への期待をつのらせる中、今年も早蕨が羊歯
になって春が過ぎていくという一首が特に悲しく、この時以来、抑留者や外地で終戦を迎えた開拓民のこと、その人たち
の引き揚げ後も続いた苦労等に、心を向けるようになりました。
最近新聞で、自らもハバロフスクで抑留生活を送った人が、十余年を費やしてシベリア抑留中の死者の名前、死亡場所
等、出来る限り正確な名簿を作り終えて亡くなった記事を読み、心を打たれました。戦争を経験した人や遺族それぞれ
の上に、長い戦後の日々があったことを改めて思います。
第二次大戦では、島々を含む日本本土でも百万に近い人が亡くなりました。又、信じられない数の民間の船が徴用され
、六万に及ぶ民間人の船員が、軍人や軍属、物資を運ぶ途上で船を沈められ亡くなっていることを、昭和四十六年に観
音崎で行われた慰霊祭で知り、その後陛下とご一緒に何度かその場所を訪ねました。戦後七十年の来年は、大勢の人
たちの戦中戦後に思いを致す年になろうと思います。
世界のいさかいの多くが、何らかの報復という形をとってくり返し行われて来た中で、わが国の遺族会が、一貫して平和
で戦争のない世界を願って活動を続けて来たことを尊く思っています。
遺族の人たちの、自らの辛い体験を通して生まれた悲願を成就させるためにも、今、平和の恩恵に与っている私たち皆
が、絶えず平和を志向し、国内外を問わず、争いや苦しみの芽となるものを摘み続ける努力を積み重ねていくことが大切
ではないかと考えています。

(問3)
皇后さまは音楽、絵画、詩など様々な芸術・文化に親しんで来られました。
皇后さまにとって芸術・文化はどのような意味を持ち、これまでどのようなお気持ちで触れてこられたのでしょうか。

皇后陛下
芸術-質問にある音楽や絵画、詩等-が自分にとりどのような意味を持つか、これまであまり考えたことがありませんで
した。「それに接したことにより、喜びや、驚きを与えられ、その後の自分の物の感じ方や考え方に、何らかの影響を与え
られてきたもの」と申せるでしょうか。子どもの頃、両親が自分たちの暮らしの許す範囲で芸術に親しみ、それを楽しんで
いる姿を見、私も少しずつ文学や芸術に触れたいという気持ちになったよう記憶いたします。
戦後、どちらかの親につれられ、限られた回数でも行くことの出来た日比谷公会堂での音楽会、丸善の売り場で、手に
とっては見入っていた美しい画集類、父の日当たりのよい書斎にあった本などが、私の芸術に対する関心のささやかな
出発点になっていたかと思います。
戦後長いこと、私の家では家族旅行の機会がなく、大学在学中か卒業後かに初めて、両親と妹、弟と共に京都に旅をす
る機会に恵まれました。しかし残念なことに、私は結婚まで奈良を知る機会を持ちません。
結婚後、長いことあこがれていた飛鳥、奈良の文化の跡を訪ねることが出来、古代歌謡や万葉の歌のふるさとに出会い
、歌に「山」と詠まれている、むしろ丘のような三山に驚いたり、背後のお山そのものが御神体である大神神社の深い静
けさや、御神社に所縁のある花鎮めの祭りに心引かれたりいたしました。学生時代に、思いがけず奈良国立文化財研究
所長の小林剛氏から、創元選書の「日本彫刻」を贈って頂き、「弥勒菩薩」や「阿修羅」、「日光菩薩」等の像や、東大寺
灯篭の装飾「楽天」等の写真を感動をもって見たことも、私がこの時代の文化に漠然とした親しみとあこがれを持った
一因であったかもしれません。
建造物や絵画、彫刻のように目に見える文化がある一方、ふとした折にこれは文化だ、と思わされる現象のようなものに
も興味をひかれます。昭和四十二年の初めての訪伯の折、それより約六十年前、ブラジルのサントス港に着いた日本移
民の秩序ある行動と、その後に見えて来た勤勉、正直といった資質が、かの地の人々に、日本人の持つ文化の表れとし
、驚きをもって受けとめられていたことを度々耳にしました。当時、遠く海を渡ったこれらの人々への敬意と感謝を覚える
とともに、異国からの移住者を受け入れ、直ちにその資質に着目し、これを評価する文化をすでに有していた大らかなブ
ラジル国民に対しても、深い敬愛の念を抱いたことでした。
それぞれの国が持つ文化の特徴は、自ずとその国を旅する者に感じられるものではないでしょうか。これまで訪れた国々
で、いずれも心はずむ文化との遭遇がありましたが、私は特に、ニエレレ大統領時代のタンザニアで、大統領は元より、
ザンジバルやアルーシャで出会った何人かの人から「私たちはまだ貧しいが、国民の間に格差が生じるより、皆して少し
ずつ豊かになっていきたい」という言葉を聞いた時の、胸が熱くなるような感動を忘れません。少なからぬ数の国民が信
念として持つ思いも、文化の一つの形ではないかと感じます。
東日本大震災の発生する何年も前から、釜石の中学校で津波に対する教育が継続して行われており、三年前、現実に
津波がこの市を襲った時、校庭にいた中学生が即座に山に向かって走り、全校の生徒がこれに従い、自らの生命を守り
ました。将来一人でも多くの人を災害から守るために、胸の痛むことですが、日本はこれまでの災害の経験一つ一つに
学び、しっかりとした防災の文化を築いていかなくてはならないと思います。
歓び事も多くありましたが、今年も又、集中豪雨や火山の噴火等、多くの痛ましい出来事がありました。犠牲者の冥福を
祈り、遺族の方々の深い悲しみと、未だ、行方の分からぬ犠牲者の身内の方々の心労をお察しいたします。又この同じ山
で、限りない困難に立ち向かい、救援や捜索に当たられた各県の関係者始め自衛隊、消防、警察、医療関係者、捜索の
結果を待つ遺族に終始寄り添われた保健師の方々に、感謝をこめ敬意を表します。

………………………………………………………………………………………………………………………………………

この1年のご動静

皇后さまには、本日、満80歳の傘寿をお迎えになりました。
この1年も、陛下のご様子を注意深くお見守りになりながら、数多くのお務めを果たされました。
5月には頸椎症性神経根症による左肩から左腕にかけての強いお痛みのため、出席を予定していた文楽公演のご鑑
賞をお控えになりましたが、それ以外に御不例によるお務めのお取りやめはありませんでした。
この1年間、皇后さまとしてのお立場でお務めになったお仕事は314件、この他に新嘗祭のための献穀や、祭祀に当た
りお務めする賢所奉仕団及び通常の勤労奉仕団に対するお労ねぎらいのお出ましが61件
ありました。
また、御神事では、春季及び秋季の皇霊祭及び神殿祭の折に皇霊殿及び神殿に、また、昭憲皇太后百年式年祭の折に
は皇霊殿に参られています

東日本大震災の関係では、両陛下で今年3月に開催された3周年追悼式にご臨席。7月には宮城県南三陸町、気仙沼
市をご訪問になり、知事等から復興状況等についてのご説明をお聴きになったほか、南三陸町の商店街や気仙沼市の
魚市場をご視察になりました。また、この折に、登米市の国立療養所東北新生園をご訪問になり、霊安堂にご供花の後
入所者とご懇談になりました。ハンセン病療養所は全国14か所ありますが、両陛下は、このご訪問により、昭和43年の
国立療養所奄美和光園(鹿児島県奄美市)のご訪問に始まり、すべての療養所の入所者とお会いになったことになり
ます。東日本大震災に関しては、上記の他、被災した歴史文化資料の再生に取り組む活動を紹介する特別展や、復興
を支援するチャリティーコンサート、映画試写会等にも度々お出ましになりました。
地方へのお出ましは、すべて両陛下の行幸啓として、昨年10月、全国豊かな海づくり大会ご臨席のため熊本県をご訪
問、その折に国立のハンセン病療養所・菊池恵楓園で納骨堂にご供花なさり、入所者とご懇談になったほか、水俣病慰
霊碑にご供花なさり、水俣病資料館をご視察、水俣病の語り部から話をお聴きになりました。
今年3月には、昨年式年遷宮を終えた伊勢神宮をご参拝。5月には、全国植樹祭ご臨場のため新潟県にお出ましにな
り、平成16年に発生した新潟県中越地震の被害とその後の復興を伝える小千谷市のおぢや震災ミュージアムそなえ館
をご視察、また、見附市の葛巻地区ふるさとセンターで平成16年7月に発生した新潟・福島豪雨災害の復旧状況をお
聴きになり、刈谷田川防災公園で水害復旧状況をご視察になりました。
6月には神奈川県横浜市で開催の世界作業療法士連盟大会・日本作業療法学会の開会式及びレセプションにご臨席
になり、展示をご覧。また、学童疎開船対馬丸の犠牲者を慰霊されるため、沈没から今年で70年を迎える沖縄県を訪問
され、慰霊碑・小桜の塔にご供花、ご拝礼後、対馬丸記念館をご視察、遺族や生存者とご懇談。
10月には国民体育大会ご臨場のため陛下と長崎県をご訪問になり、その折に、来年戦後70年を迎えることから平和
公園でご供花なさり、恵の丘長崎原爆ホームをお訪ねになりました。長崎県行幸啓は当初は2泊3日のご予定でしたが
大型で強い台風19号が接近したため、関係者がその備えに専念できるようにとの両陛下のお考えから、2日目の開会
式ご臨席の後のご予定をお取りやめになり、還幸啓になりました。
都内の行幸啓としては、全国戦没者追悼式等の式典、国際生物学賞等の授賞式等に陛下と共に42回お出ましになり、
お一方では、全国赤十字大会、特別支援学校・旭出学園工芸展、東日本大震災復興支援関連行事等25回の行啓があ
りました。
昨年からお始めになった両陛下の私的ご旅行としては、5月に栃木県の渡良瀬遊水地と足尾銅山跡地をご訪問、鉱毒
水の下流域対策や鉱毒ガス、乱伐等による山林荒廃を再生するための植樹活動の様子等をお聴きになり、わたらせ渓
谷鐵道沿いの新緑を列車からお楽しみになりました。
また、9月には青森県をご訪問。東日本大震災により被害を受けた八戸港をご視察、復興状況につきご聴取になった後
、種差海岸をご散策、翌日は黒石市のリンゴ生産農家と青森県産業技術センターりんご研究所をご訪問になりました。
私的ご旅行を含む地方へのお出ましは、ご静養のための御用邸へのお出ましを除き、12府県25市4町1村でした。
また、宮殿や御所では、陛下と共に、文化勲章受章者及び文化功労者、各種大臣表彰受賞者、農林水産祭天皇杯受賞
者、人事院総裁賞受賞者、昭和34年の両陛下のご成婚を記念してハワイ在住日系人等が中心となって創設した皇太
子明仁親王奨学金の奨学生、シニア海外ボランティア及び日系社会シニアボランティア、日本学士院会員、日本芸術院
会員、ソチ冬季オリンピック・パラリンピック入賞選手及び役員等々、文化、福祉、産業、国際協力、学術、芸術、スポーツ
等の分野でその発展に貢献した数多くの人々にお会いになりました。
皇后さまお一方では、例年どおり、日本赤十字社の名誉総裁として、社長からその活動状況等についてお聴きになった
ほか、皇后さまが高校時代に作詞された「ねむの木の子守歌」の著作権を基に創設され、肢体不自由・重症心身障害
児/者の世話に当たる人を対象とする「ねむの木賞」の受賞者とお会いになりました。
こうしたご接見等は47回、このほか陛下とご一緒に御所でお受けになったご説明やご進講は54回でした。
外国との関係では、昨年11月から12月にかけ、陛下に随伴され一昨年に国交樹立60周年を迎えたインド国を国賓とし
てご訪問になりました。昭和35年に訪問されて以来53年ぶりのご再訪でした。デリー市では、歓迎式典、ムカジー大統
領閣下とのご会見、同大統領閣下主催の晩餐会に臨まれたほか、既に知り合われていたシン首相夫妻のお招きで、御
四方での親しい午餐会に臨まれました。このほか、市内のロディー庭園では、お迎えに出た地元市民や在留邦人大勢と
お会いになり、ネルー大学で日本語学科の授業をご視察、図書館で蔵書をご覧になり、学生や教授たちとお話しになり
ました。インド国際センターでは、日印関係の友好親善に功労のあったインド関係者とお会いになりました。その中には、
インドの政治的立場の問題から、ご訪問が取りやめとなった平成10年のIBBY(国際児童図書評議会)ニューデリー大
会での基調講演をお願いした当時の関係者も含まれておりました。(因みに、このニューデリー大会には「子供時代の読
書の思い出」と題する基調講演をビデオに収録して現地に送られ、責任をお果たしになりました。)次いで、日本人学校
では、児童による和太鼓演奏やよさこいソーラン踊りをご覧になり、大使公邸では、53年前のご訪問時に植樹された菩
提樹を大使館員や現地職員等とご覧になった後、在留邦人代表とのご接見や大使夫妻主催のレセプションに臨まれま
した。
初めてのご訪問となった南部タミル・ナド州の州都チェンナイでは、ロサイア州知事及びジャヤラリタ州首相とお会いに
なり、同知事主催の午餐会に臨まれました。また、カラクシェトラ芸術学院では南インドの伝統的な舞踊と音楽に触れら
れ、タミル・ナド障害者協会では、障害のある子供たちのリハビリと職業訓練の様子をご覧になりました。ギンディー国
立公園内の児童公園では多くの地元市民とお会いになり、その後、ご宿舎で在留邦人との茶会に臨まれました。
国賓の接遇としては、陛下と共に、3月にベトナム国主席閣下及び令夫人、4月には米国大統領閣下をお迎えになり、歓
迎行事、ご会見、宮中晩餐、お別れのご挨拶にお出ましになりました。また、スイス国大統領閣下及び令夫人、マーシャ
ル国大統領閣下及び令夫人、エストニア国大統領閣下及び令夫人と会見されたほか、ハンガリー国首相夫妻、トルコ
国首相夫妻、イスラエル国首相夫妻をご引見になりました。さらに、タイ国王女チュラポン殿下、ルクセンブルク国皇太
子同妃両殿下を御所でのご昼餐に、カタール国前首長妃モーザ殿下、ベルギー国王女マリア・ローラ殿下を御所での
お茶に、日本・アセアン特別首脳会議に出席する各国首脳夫妻14名を宮殿での茶会にお招きになりました。
在京の外交団との関係では、陛下とご一緒に着任後間もない15か国の大使夫妻をお茶に、着任後3年を経過した16
か国の大使夫妻を午餐にお招きになり、離任する13か国の大使夫妻をご引見になりました。日本から赴任する45か国
の全大使夫妻にも出発前にお会いになり、同様に帰国した51か国の大使夫妻をお茶に招いて任地の話をお聴きにな
りました。
今年6月8日に宜仁親王殿下が薨去され、両陛下はお悲しみのうちに5日間の喪に服され、ご遺族と悲しみを共にされ
ました。薨去の直後4回にわたり桂宮仮寓所及び赤坂東邸を訪問されたほか、斂葬の儀及び百日祭の儀の後に拝礼
のため豊島岡墓地に行幸啓になりました。
お年を召された三笠宮同妃両殿下、御歩行がややご不自由におなりになった常陸宮殿下のお上にいつもお気を配られ
、宮殿行事の折などにも細やかにご便宜を図っておられます。
今年のご養蚕は4月から始められ、恒例の行事を含め17回にわたり桑畑、野蚕室、御養蚕所等にお出でになり、野蚕の
山つけや収穫、桑つみ、ご給桑、わら蔟作り、上蔟、繭掻き、毛羽取り等の作業に当たられました。特に、今年は文化庁等
の行事として2月19日から4月5日まで、フランス国パリ日本文化会館で「蚕―皇室のご養蚕と古代裂、日仏絹の交流」
展が開催され、皇后さまのご養蚕のご様子と皇室の伝統文化が広く紹介されました。DVDの映像で皇后さまが蚕に直
に触れてご養蚕に携われるお姿に驚きの声が聞かれました。
皇后さまは、今も時に発症する頸椎症性神経根症による痛みや痺しびれ、おみ足の不具合などに辛抱強く対応されつ
つ、日々のお務めを果たしておられます。陛下のご様子を案じられながら、ご自身の健康管理にも侍医の意見を聴かれ
つつ注意を払っておられます。
両陛下とも、毎日6時にはご起床になり、ニュースをご覧になってから吹上御苑内を歩かれ、7時に朝食をお取りになる
ことを日課とされています。お仕事の合間に短時間でも読書をしたり、ピアノを弾かれたりされています。
8月には例年どおり軽井沢と草津にお出でになって、草津夏期国際音楽アカデミー&フェスティヴァルに参加されるご
予定でしたが、広島県で大雨により多数の死者や行方不明者が出る災害が発生したことをお知りになり、お取りやめに
なりました。
お具合の良いときには、時折、陛下と短時間ですがテニスをご一緒にされます。御用邸へは、葉山御用邸に3回、那須御
用邸に1回お出ましになりました。

10月20日のお誕生日当日は、午前10時半から12時までは皇族方始め内閣総理大臣、衆参両院議長、最高裁判所長
官、閣僚、宮内庁職員等による祝賀を6回にわたりお受けになります。正午からは、皇族方始めとのご祝宴、午後からは
旧奉仕者による祝賀、元側近奉仕者等との茶会、母校の先生方やご進講者等との茶会が催されます。夕刻には敬宮さ
ま始め未成年の内親王、親王殿下方のご挨拶をお受けになり、夜にはお子さま方ご夫妻とお祝御膳を囲まれます。

******************************************************************************

2014年(平成26年)10月20日[月曜日] NHKニュース
10月20日 NHK 皇后陛下傘寿

◇貴重な映像や写真を公開
宮内庁は、皇后さまが、80歳の誕生日を迎えられたことを受けて、ふだんは目にする機会のない公務や日常生活の様子を映像と写真で
公開しました。このうち映像では、皇后さまがお住まいの御所で、名誉総裁を務める日本赤十字社の社長らから活動について説明を受け
たり、障害がある子どもたちの教育や福祉に貢献した人たちと懇談されたりする場面が公開されました。
また、皇居の宮中三殿で、皇后さまが祭祀に臨まれる場面を撮影した貴重な映像もあります。去年8月、静養で訪れた群馬県で国際音楽
祭に参加し、コンサートホールでピアノの演奏を披露された時の映像や、ことし5月、天皇陛下との旅行で観光用のトロッコ列車に乗車さ
れた際の様子を車内から撮影した映像も見られます。このほか、皇居の畑で、ご一家で稲や粟(あわ)の種をまいたり収穫されたりする
様子も映されているほか、御所の庭で宮内庁の職員とぎんなんを拾ったりわらびやぜんまいを摘まれたりしている映像もあります。
一方、皇后さまが聖心女子大学時代に取得した中学校の英語の教員免許や、大学の卒業証書の写真のほか、幼稚園のときに作られた
工作の写真も公開されました。さらに、皇后さまが天皇陛下と初めて出会われた軽井沢でのテニス大会のトーナメント表を宮内庁が再現
した資料の写真もあります。宮内庁はこれらの映像や写真を基に、皇后さまの80年の歩みを振り返る1時間の映像を制作し、20日から
政府のインターネットテレビで公開しています。(URLは http://nettv.gov-online.go.jp/prg/prg10653.html )

◇皇后さまの80年の歩み
皇后さまは、昭和9年10月20日、正田英三郎さんと富美子さんの長女として誕生されました。
戦争が続く中で
幼少期を過ごし、戦後の復興期に青春時代を送られました。聖心女子大学では自治会長を務め、卒業した年の夏、軽井沢のテニスコート
で当時皇太子だった天皇陛下と出会い、24歳で結婚されました。一般の家庭から皇太子妃が選ばれたのは初めてで、皇后さまは時の人
となられ、ファッションは若い女性の間で大流行しました。結婚の祝賀パレードに50万人を超える人たちが詰めかけるなど多くの国民から
祝福を受けられました。天皇陛下と国内外で公務に励むとともに、3人のお子さまを手元で育て、新たな皇室像を示されました。
昭和天皇が崩御して天皇陛下が即位されると、54歳で皇后となられました。一貫して、災害の被災者や病気や差別に苦しむ人、障害のある
人など、社会で弱い立場にある人たちに心を寄せられてきました。
平成7年の阪神・淡路大震災では、皇后さまが被災地に持参されたスイセンの花が復興のシンボルとなりました。
東日本大震災では、被災から間もない時期から7週連続で東北3県などを回り、その後もたびたび被災地を訪ねて被災者を励まされていま
す。日本赤十字社の名誉総裁として医療や福祉の関係者をねぎらうとともに、数多くの福祉施設やハンセン病の療所などを訪れて入所者を
いたわられてきました。
障害者のスポーツにも高い関心を持ち、長野パラリンピックでは、選手の健闘をたたえるウエーブに参加されました。
皇后さまは、天皇陛下の即位10年にあたっての記者会見で、「困難な状況にある人々に心を寄せることは、私どもの務めであり、これからも
更に心を尽くして、この務めを果たしていかなければいけないと思っています」と述べられました。
皇后さまは、天皇陛下と共に全国各地に出かける一方で、去年、53年ぶりにインドを訪れるなど、これまでに56か国を訪ねて国際親善に尽
くされました。
また、天皇陛下と同様、先の大戦に向き合われてきました。戦後50年を迎えた平成7年には「慰霊の旅」に出かけ、被爆地広島と長崎、そして
地上戦が行われた沖縄などを訪ねられました。さらに、戦後60年には太平洋の激戦地サイパンを訪問。追い詰められた日本人が身を投げた
断崖で黙とうをささげられました。
皇后さまは、文学や音楽に造詣が深く、とりわけ児童文学に大きな関心を寄せ、絵本など児童図書の普及に取り組む人たちを後押しされてき
ました。平成14年には、児童図書の世界大会が開かれたスイスをお一人で訪問し、児童文学への思いを語られた講演が大きな反響を呼び
ました。
一方で皇室の伝統も大切に受け継ぎ、世の中の出来事や家族への思いを短歌で表現するとともに、明治以降、歴代の皇后が続けてきた皇居
での養蚕にも熱心に取り組まれてきました。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
2014年10月20日 産経ニュースより

皇族、首相らが宮殿でお祝いのあいさつ

80歳の誕生日を迎えられた皇后さまの祝賀行事が20日、皇居・宮殿で行われた。
午前は皇太子、秋篠宮両ご夫妻ら皇族が宮殿「梅の間」でお祝いのあいさつをされた。
これに先立ち、安倍晋三首相や閣僚、衆参両院議長らのほか、宮内庁の風岡典之長官ら幹部もそれぞれ宮殿を訪れて
祝意を伝えた。
閣僚のうち経産相を辞任した小渕優子氏は欠席したが、午後に法相を辞任した松島みどり氏は出席した。
午後は宮殿の小食堂「連翠」で、皇族や元皇族、親族が出席して祝宴を開催した。皇太子家の長女愛子さま、秋篠宮家
の次女佳子さま、長男悠仁さまの3人の孫が夕方、住まいの御所を訪ねてお祝いを述べる。
夜は皇太子、秋篠宮両ご夫妻や長女黒田清子さん夫妻が御所に集まり、両陛下を囲んで夕食を共にする。







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