筑紫の国の片隅で…

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誤報を一部認めた人民朝日、しかし・・・

人民朝日が8月5日付朝刊の1面と、16~17面で慰安婦問題の特集を組み、これまでの慰安婦報道について一部
誤報を認めました。この記事を読んで感じたのは、とても納得できるような内容ではないということです。
国家・国民に多大な迷惑をかけ不利益をもたらしておいて、言い訳と詭弁を弄して自己正当化を図り、一言の謝罪
も無しに済ませようとしています。厚顔不遜な検証記事でお茶を濁しておいて、これで“一件落着”とはいきません。
長年、慰安婦問題と人民朝日を追求し続けてきた産経新聞は勿論の事、読売新聞も6日の朝刊13面一面を使って、
朝日の記事を検証・批判していました。毎日は5日に、石破茂幹事長と記者団との“一問一答”を掲載したうえで
人民朝日の擁護にまわっていました。各紙の記事の紹介は後日にしたいと思いますが、今回、人民朝日が検証記事
を報じた経緯についての裏情報を西村幸祐氏がFBで紹介していましたので、転載しておきます。

≪某市で開催されたOB会で、元朝日のI氏が木村社長に、慰安婦について直訴した、という話。
「政府が河野談話を検証するこの時こそ、朝日側としてこれまでの報道を検証すべきではないか。もう20年以上
の歳月が経った。今それができるのは、木村社長を措いて他には誰もいない」と申し上げました。
私はさらに続けて「何も論評や評価を変えろというのではない。朝日が事実を間違って報道したと、自ら認識して
いる記事の訂正、削除を天下に闡明にするだけのことです。少なくとも、まだ訂正がなされていないままの植村隆
記者の女子挺身隊誤認記事と、吉田清治氏の済州島慰安婦狩りの記事は一人歩きをして、クマラスワミ報告や
米国下院決議、慰安婦少女像の下地や原型になっています。朝日の訂正がきっかけで、何かが動きだすかもしれ
ません」。社長いわく「今日は詳細を述べるわけにはいかないが、貴重なご意見をいただいた。記事の検証をやる
ことは、やぶさかではない」。≫

以下、8月5日の朝日新聞デジタルで公開されていた記事を紹介しておきます。普段、朝日の記事を読まれない方も
是非読んでいただいて、ご自身で検証してみて下さい。

8月5日朝日新聞



2014年8月5日 朝日新聞デジタル ≪慰安婦問題を考える≫より

慰安婦問題どう伝えたか 読者の疑問に答えます。
朝日新聞の慰安婦報道に寄せられた様々な疑問の声に答えるために、私たちはこれまでの報道を点検しました。
その結果を読者の皆様に報告します。
(慰安婦問題取材班)=文中の肩書は当時、記者の年齢は現在。記事は断りのないものは東京本社版

慰安婦問題の本質、直視を 編集担当・杉浦信之

日韓関係はかつてないほど冷え込んでいます。混迷の色を濃くしている理由の一つが、慰安婦問題をめぐる両国の
溝です。この問題は1990年代初めにクローズアップされ、元慰安婦が名乗り出たのをきっかけに議論や研究が進み
ました。戦争の時代に、軍の関与の下でアジア各地に慰安所が作られ、女性の尊厳と名誉が深く傷つけられた実態
が次第に明らかになりました。それから20年余、日本軍の関与を認めて謝罪した「河野談話」の見直しなどの動きが
韓国内の反発を招いています。韓国側も、日本政府がこれまで示してきた反省やおわびの気持ちを受け入れず、か
たくなな態度を崩そうとしません。
慰安婦問題が政治問題化する中で、安倍政権は河野談話の作成過程を検証し、報告書を6月に発表しました。
一部の論壇やネット上には、「慰安婦問題は朝日新聞の捏造だ」といういわれなき批判が起きています。
しかも、元慰安婦の記事を書いた元朝日新聞記者が、名指しで中傷される事態になっています。
読者の皆様からは、「本当か」「なぜ反論しない」と問い合わせが寄せられるようになりました。
私たちは慰安婦問題の報道を振り返り、今日と明日の紙面で特集します。
読者への説明責任を果たすことが、未来に向けた新たな議論を始める一歩となると考えるからです。
97年3月にも慰安婦問題の特集をしましたが、その後の研究の成果も踏まえて論点を整理しました。

慰安婦問題に光が当たり始めた90年代初め、研究は進んでいませんでした。私たちは、元慰安婦の証言や少ない
資料をもとに記事を書き続けました。そうして報じた記事の一部に、事実関係の誤りがあったことがわかりました。
問題の全体像がわからない段階で起きた誤りですが、裏付け取材が不十分だった点は反省します。似たような誤り
は当時、国内の他のメディアや韓国メディアの記事にもありました。こうした一部の不正確な報道が、慰安婦問題の
理解を混乱させている、との指摘もあります。
しかし、そのことを理由とした「慰安婦問題は捏造」という主張や、「元慰安婦に謝る理由はない」といった議論には
決して同意できません。被害者を「売春婦」などと、おとしめることで自国の名誉を守ろうとする一部の論調が、日韓
両国のナショナリズムを刺激し、問題をこじらせる原因を作っているからです。見たくない過去から目を背け、感情的
対立をあおる内向きの言論が広がっていることを危惧します。
戦時中、日本軍兵士らの性の相手を強いられた女性がいた事実を消すことはできません。慰安婦として自由を奪わ
れ、女性としての尊厳を踏みにじられたことが問題の本質な
のです。
90年代、ボスニア紛争での民兵による強姦事件に、国際社会の注目が集まりました。戦時下での女性に対する性暴
力をどう考えるかということは、今では国際的に女性の人権問題という文脈でとらえられています。
慰安婦問題はこうした今日的なテーマにもつながるのです。
「過去の歴史を直視し、正しくこれを後世に伝えるとともに、いわれなき暴力など女性の名誉と尊厳に関わる諸問題に
も積極的に取り組んでいかなければならないと考えております」
官民一体で作られた「アジア女性基金」が元慰安婦に償い金を渡す際、歴代首相はこんな一節も記した手紙を添え
ました。歴史認識をめぐる対立を超え、和解へ向けて歩を進めようとする政治の意思を感じます。
来年は戦後70年、日韓国交正常化50年の節目を迎えますが、東アジアの安全保障環境は不安定さを増しています。
隣国と未来志向の安定した関係を築くには、慰安婦問題は避けて通れない課題の一つです。
私たちは、これからも変わらない姿勢でこの問題を報じ続けていきます。

◇今日の特集(16・17面)では、慰安婦問題とは何かを解説し、90年代の報道への読者の疑問に答えます。
明日は、この問題で揺れる日韓関係の四半世紀を振り返るとともに、慰安婦問題をどう考えるかを専門家
に語ってもらいます。

■慰安婦問題とは
Q)慰安婦とは何か。
A)戦時中、日本軍の関与の下で作られた慰安所で、将兵の性の相手を強いられた女性。
政府は1993年8月に河野洋平官房長官が発表した談話(河野談話)で「当時の軍の関与の下に多数の女性の
名誉と尊厳を深く傷つけた問題」と指摘した。

Q)どんな人々が慰安婦にされたのか。
A)日本本土(内地)の日本人のほか、日本の植民地だった朝鮮半島や台湾出身者も慰安婦にされた。
日本軍の侵攻に伴い中国、フィリピン、ビルマ(現ミャンマー)、マレーシアなど各地で慰安所が作られ、現地女性
も送り込まれた。
オランダの植民地だったインドネシアでは現地女性のほか、現地在住のオランダ人も慰安婦とされた。
政府は38年、日本女性が慰安婦として中国へ渡る場合は「売春婦である21歳以上の者」を対象とするよう通達
した。21歳未満の女性や児童の人身売買や売春を禁じた「婦人及び児童の売買禁止条約」のためとみられる。
ただ政府は25年に条約を批准した際、植民地を適用除外とした。このため、植民地や占領地では売春婦でない
未成年女子も対象となった。朝鮮からは17歳、台湾からは14歳の少女が慰安婦とされたとの記録がある。

Q)何人くらいいたのか。
A)総数を示す公式記録はなく、研究者の推計しかない。現代史家の秦郁彦氏は93年に6万~9万人と推計し、
99年に2万人前後と修正。吉見義明・中央大教授(日本近現代史)は95年に5万~20万人と推計し、最近は
5万人以上と改めた。韓国や中国ではさらに多い数字をあげる人もいる。

Q)慰安所はいつ、どんな経緯で作られたのか。
A)満州事変の翌年、32年の上海事変で日本兵が中国人女性を強姦する事件が起きたため、反日感情の高まりを
防ぐためとして九州から軍人・軍属専用の慰安婦団を招いたとの記録がある。その後、性病蔓延による戦力低下や
機密漏洩の防止、軍人の慰安のためなどの理由が加わった。

Q)どのようにして集められたのか。
A)多くの場合、軍の意向を受けた業者がまず日本国内で、さらに植民地の朝鮮や台湾で集めた。「仕事がある」と
だまされたり、親に身売りされたりした場合も多いことがわかっている。
一方、フィリピンやインドネシアなど占領地では、日本軍が直接暴力的に連行したとの記録もある。
フィリピン政府の2002年の報告書によると、同国で日本軍は、現地の女性を暴力的に拉致・連行して日本軍の兵営
とされた教会や病院に監禁し、集団で強姦を続けた事例もあったという。

Q)慰安婦の暮らしは?
A)アジア女性基金のサイトでは、「(慰安所で)兵士は代金を直接間接に払っていたのは確かですが、慰安婦にされ
た人々にどのように渡されていたかははっきりしません」と記す。戦況や場所により、処遇にばらつきもあったことが
推定される。政府は93年河野談話とあわせて調査結果を発表し「戦地では常時軍の管理下で軍とともに行動させら
れ、自由もない生活を強いられた」と説明している。

Q)慰安婦問題が国内で知られるようになった経緯は。
A)戦後まもない時期から、兵士の体験談や手記で触れられていた。70年6月、作家の故千田夏光氏が週刊新潮で
「慰安婦にさせられた」という女性や旧軍関係者の聞き取りを紹介。73年にルポ「従軍慰安婦」を刊行した。
当時はまだ戦時下の秘史という扱いだった。

Q)日韓間の問題として認識されたいきさつは。
A)90年1月、尹貞玉(ユンジョンオク)・梨花女子大教授が韓国ハンギョレ新聞に「挺身隊『怨念の足跡』取材記」の
題で慰安婦問題の記事を連載。5月の盧泰愚(ノテウ)大統領訪日をきっかけに、植民地時代の朝鮮半島で日本の
軍人・軍属とされた韓国人らから日本に謝罪と補償を求める声が高まった。

◇慰安婦問題の主な経緯(肩書は当時)
1991年08月・・・韓国で元慰安婦が初めて名乗り出る
     12月・・・元慰安婦が日本政府を提訴。政府が調査開始
1992年01月・・・宮沢喜一首相が日韓首脳会談で謝罪
     07月・・・政府が調査結果発表。政府の関与を認める
1993年08月・・・河野洋平官房長官が談話で慰安婦の募集、移送、管理に強制性を認め
          「お詫(わ)びと反省」を表明(河野談話)
1994年08月・・・村山富市首相が談話で慰安婦問題の解決策について
          「幅広い国民参加の道を探求したい」と表明
1995年07月・・・政府主導で民間のアジア女性基金が発足。国民の寄付をもとに「償い金」を
          元慰安婦に支給するなどの「償い事業」を実施
2007年03月・・・基金が解散
     07月・・・米下院、慰安婦問題で対日謝罪要求決議を採択
2014年06月・・・政府が河野談話作成過程の検証結果を公表


■強制連行 自由を奪われた強制性あった

〈疑問〉政府は、軍隊や警察などに人さらいのように連れていかれて無理やり慰安婦にさせられた、いわゆる
「強制連行」を直接裏付ける資料はないと説明しています。強制連行はなかったのですか。

慰安婦問題に注目が集まった1991~92年、朝日新聞は朝鮮人慰安婦について、「強制連行された」と報じた。
吉田清治氏の済州島での「慰安婦狩り」証言(「『済州島で連行』証言」で説明)を、強制連行の事例として紹介した
ほか、宮沢喜一首相の訪韓直前の92年1月12日の社説「歴史から目をそむけまい」で、「(慰安婦は)『挺身隊』
の名で勧誘または強制連行され」たと表現した。
当時は慰安婦関係の資料発掘が進んでおらず、専門家らも裏付けを欠いたままこの語を使っていた
秦郁彦氏も80年代半ば、朝鮮人慰安婦について「強制連行に近い形で徴集された」と記した(注①)。
もともと「朝鮮人強制連行」は、一般的に、日本の植民地だった朝鮮の人々を戦時中、その意思とは関係なく、政府
計画に基づき、日本内地や軍占領地の炭鉱や鉱山などに労働者として動員したことを指していた(注②)。
60年代に実態を調べた在日朝鮮人の研究者が強制連行と呼び(注③)、メディアにも広がった経緯もあり、強制連
行は使う人によって定義に幅がある。
こうした中、慰安婦の強制連行の定義も、「官憲の職権を発動した『慰安婦狩り』ないし『ひとさらい』的連行」に限
定する見解(注④)と、「軍または総督府が選定した業者が、略取、誘拐や人身売買により連行」した場合も含むとい
う考え方(注⑤)が、研究者の間で今も対立する状況が続いている
朝鮮半島でどのように慰安婦が集められたかという過程は、元慰安婦が名乗り出た91年以降、その証言を通して
次第に明らかになっていく。
93年2月、「韓国挺身隊問題対策協議会」は、元慰安婦約40人のうち「信憑性に自信が持てる」(鄭鎮星〈チョンジン
ソン
〉)・挺身隊研究会会長)19人の聞き取りを編んだ証言集を刊行。「軍人や軍属らによる暴力」があったと語った
のは4人で、多くは民間業者が甘い言葉で誘ったり、だまして連れて行ったりする誘拐との内容だった。
慰安婦たちは、徴集の形にかかわらず、戦場で軍隊のために自由を奪われて性行為を強いられ、暴力や爆撃におび
え性病や不妊などの後遺症に苦しんだ経験を語っていた

93年8月に発表された宮沢政権の河野洋平官房長官談話(河野談話)は「慰安所の生活は強制的な状況で痛ましい
ものだった」「募集、移送、管理等も、甘言、強圧による等、総じて本人たちの意思に反して行われた」と認めた。
関係省庁や米国立公文書館などで日本政府が行った調査では、朝鮮半島では軍の意思で組織的に有形力の行使
が行われるといった「狭い意味の強制連行」は確認されなかったといい、談話は「強制連行」ではなく、戦場の慰安所
で自由意思を奪われた「強制」性を問題とした。
談話発表に先立つ7月には、ソウルの太平洋戦争犠牲者遺族会事務所で、日本政府が元慰安婦たちに聞き取りを
した。今年6月に発表された河野談話作成過程の検証チーム報告は、聞き取りの目的について「元慰安婦に寄り添
い、気持ちを深く理解する」とし、裏付け調査などを行わなかったことを指摘した。
河野談話の発表を受け、朝日新聞は翌日の朝刊1面で「慰安婦『強制』認め謝罪 『総じて意に反した』」の見出し
で記事を報じた。読売、毎日、産経の各紙は、河野談話は「強制連行」を認めたと報じたが、朝日新聞は「強制連行」
を使わなかった

官房長官への取材を担当していた政治部記者(51)は、専門家の間でも解釈が分かれていることなどから「強制連
行」とせず単に「強制」という言葉を使ったのだと思う、と振り返る。
「談話や会見、それまでの取材から読み取れたのは、本人の意思に反する広い意味での強制連行を認めたというこ
とだった。しかし、強制連行という語を使うと読者の誤解を招くと考え、慎重な表現ぶりになった」
93年以降、朝日新聞は強制連行という言葉をなるべく使わないようにしてきた。

97年春に中学教科書に慰安婦の記述が登場するのを機に、朝日新聞は同年3月31日朝刊でこの問題を特集した。
日本の植民地下で、人々が大日本帝国の「臣民」とされた朝鮮や台湾では、軍による強制連行を直接示す公的文書
は見つかっていない。貧困や家父長制を背景に売春業者が横行し、軍が直接介入しなくても、就労詐欺や人身売買
などの方法で多くの女性を集められたという。一方、インドネシアや中国など日本軍の占領下にあった地域では兵士
が現地の女性を無理やり連行し、慰安婦にしたことを示す供述が、連合軍の戦犯裁判などの資料に記されている。
インドネシアでは現地のオランダ人も慰安婦にされた。
97年の特集では、「本人の意思に反して慰安所にとどまることを物理的に強いられたりした場合は強制があったとい
える」と結論づけた。
河野談話が発表されて以降、現在の安倍内閣も含めて歴代の政権は談話を引き継いでいる。
一方、日本軍などが慰安婦を直接連行したことを示す日本政府の公文書が見つかっていないことを根拠に、「強制
連行はなかった」として、国の責任が全くなかったかのような主張を一部の政治家や識者が繰り返してきた

朝鮮など各地で慰安婦がどのように集められたかについては、今後も研究を続ける必要がある。
だが、問題の本質は、軍の関与がなければ成立しなかった慰安所で女性が自由を奪われ、尊厳が傷つけられたこと
にある
。 これまで慰安婦問題を報じてきた朝日新聞の問題意識は、今も変わっていない。

~読者のみなさまへ~
日本の植民地だった朝鮮や台湾では、軍の意向を受けた業者が「良い仕事がある」などとだまして、多くの女性を集
めることができ、軍などが組織的に人さらいのように連行した資料は見つかっていません。
一方、インドネシアなど日本軍の占領下にあった地域では、軍が現地の女性を無理やり連行したことを示す資料が
確認されています。共通するのは、女性たちが本人の意に反して慰安婦にされる強制性があったことです

(参考資料)
注①:「従軍慰安婦(正続)」陸軍史研究会編「日本陸軍の本 総解説」(自由国民社、1985年)
注②:外村大「朝鮮人強制連行」(岩波新書、2012年)
注③:朴慶植「朝鮮人強制連行の記録」(未来社、1965年)
注④:秦郁彦「『慰安婦狩り』証言 検証・第三弾 ドイツの従軍慰安婦問題」「諸君!」1992年9月号
注⑤:吉見義明「『河野談話』をどう考えるか その意義と問題点」 「戦争と女性への暴力」
   :リサーチ・アクションセンター編「『慰安婦』バッシングを越えて」(大月書店、2013年)


■「済州島で連行」証言 裏付け得られず虚偽と判断

〈疑問〉日本の植民地だった朝鮮で戦争中、慰安婦にするため女性を暴力を使って無理やり連れ出したと著書や集会
で証言した男性がいました。朝日新聞は80年代から90年代初めに記事で男性を取り上げましたが、証言は虚偽という
指摘があります。

男性は、吉田清治氏。著書などでは、日雇い労働者らを統制する組織である山口県労務報国会下関支部で動員部長
をしていたと語っていた。朝日新聞は吉田氏について確認できただけで16回、記事にした。初掲載は、82年9月2日の
大阪本社版朝刊社会面。大阪市内での講演内容として「済州島で200人の若い朝鮮人女性を『狩り出した』」と報じた。
執筆した大阪社会部の記者(66)は「講演での話の内容は、具体的かつ詳細で全く疑わなかった」と話す。
90年代初め、他の新聞社も集会などで証言する吉田氏を記事で取り上げていた。

92年4月30日、産経新聞は朝刊で、秦郁彦氏による済州島での調査結果を元に、証言に疑問を投げかける記事
を掲載。週刊誌も「『創作』の疑い」と報じ始めた。
東京社会部の記者(53)は産経新聞の記事の掲載直後、デスクの指示で吉田氏に会い、裏付けのための関係者の
紹介やデータ提供を要請したが、拒まれたという。97年3月31日の特集記事のための取材の際、吉田氏は東京
社会部記者(57)との面会を拒否。虚偽ではないかという報道があることを電話で問うと、「体験をそのまま書いた」
と答えた。済州島でも取材し裏付けは得られなかったが、吉田氏の証言が虚偽だという確証がなかったため、「真偽
は確認できない」と表記した。その後、朝日新聞は吉田氏を取り上げていない。
しかし、自民党の安倍晋三総裁が2012年11月の日本記者クラブ主催の党首討論会で、「朝日新聞の誤報による
吉田清治という詐欺師のような男がつくった本が、まるで事実かのように日本中に伝わって、問題が大きくなった」と
発言。一部の新聞や雑誌が、朝日新聞批判を繰り返している

今年4~5月、済州島内で70代後半~90代の計約40人に話を聞いたが、強制連行したという吉田氏の記述を
裏付ける証言は得られなかった

干し魚の製造工場から数十人の女性を連れ去ったとされる北西部の町。魚を扱う工場は村で一つしかなく、経営に
携わった地元男性(故人)の息子は、「作っていたのは缶詰のみ。父から、女性従業員が連れ去られたという話は聞
いたことがない」と語った。
「かやぶき」と記された工場の屋根は、韓国の当時の水産事業を研究する立命館大の河原典史教授(歴史地理学)
が入手した当時の様子を記録した映像資料によると、トタンぶきとかわらぶきだった。
93年6月に、吉田氏の著書をもとに済州島を調べたという、韓国挺身隊研究所元研究員の姜貞淑(カンジョンスク
さんは、「数カ所で、それぞれ数人の老人から話を聞いたが、記述にあるような証言は出なかった」と語った

吉田氏は著書で、43年5月に西部軍の動員命令で済州島に行き、その命令書の中身を記したものが妻(故人)の
日記に残っていると書いていた。しかし今回、吉田氏の長男(64)に取材したところ、妻は日記をつけていなかったこ
とがわかった。吉田氏は00年7月に死去したという。
吉田氏は93年5月、吉見義明・中央大教授らと面会した際、「(強制連行した)日時や場所を変えた場合もある」と
説明した上、動員命令書を写した日記の提示も拒んだといい、吉見氏は「証言としては使えない、と確認するしかな
かった」と指摘している(
注①)。
戦時中の朝鮮半島の動員に詳しい外村大東京大准教授は、吉田氏が所属していたという労務報国会は厚生省と
内務省の指示で作られた組織だとし、「指揮系統からして軍が動員命令を出すことも、職員が直接朝鮮に出向くこと
も考えづらい」と話す。
吉田氏はまた、強制連行したとする43年5月当時、済州島は「陸軍部隊本部」が「軍政を敷いていた」と説明して
いた。この点について、永井和・京都大教授(日本近現代史)は旧陸軍の資料から、済州島に陸軍の大部隊が集結
するのは45年4月以降だと指摘。「記述内容は、事実とは考えられない」と話した。

~読者のみなさまへ~
吉田氏が済州島で慰安婦を強制連行したとする証言は虚偽だと判断し、記事を取り消します。
当時、虚偽の証言を見抜けませんでした。済州島を再取材しましたが、証言を裏付ける話は得られませんでした

研究者への取材でも、証言の核心部分についての矛盾がいくつも明らかになりました。

(参考資料)
注①:吉見義明・川田文子編「『従軍慰安婦』をめぐる30のウソと真実」(大月書店、1997年)



■「軍関与示す資料」 本紙報道前に政府も存在把握

〈疑問〉朝日新聞が1992年1月11日朝刊1面で報じた「慰安所 軍関与示す資料」の記事について、慰安婦問
題を政治問題化するために、宮沢喜一首相が訪韓する直前のタイミングを狙った、「意図的な報道」などという指摘
があります。

この記事は、防衛庁防衛研究所図書館所蔵の公文書に、旧日本軍が戦時中、慰安所の設置や慰安婦の募集を監
督、統制していたことや、現地の部隊が慰安所を設置するよう命じたことを示す文書があったとの内容だった。
慰安婦問題は90年以来、国会で繰り返し質問された。政府は、「全く状況がつかめない状況」と答弁し、関与を認
めなかった。朝日新聞の報道後、加藤紘一官房長官は「かつての日本の軍が関係していたことは、否定できない」と
表明。5日後の1月16日、宮沢首相は訪韓し、盧泰愚(ノテウ)大統領との首脳会談で、「反省、謝罪という言葉を
8回使った」(韓国側発表)。
文書は吉見義明中央大教授が91年12月下旬、防衛研究所図書館で存在を確認し、面識があった朝日新聞の
東京社会部記者(57)に概要を連絡した。
記者は年末の記事化も検討したが、文書が手元になく、取材が足らないとして見送った。吉見教授は年末年始の休
み明けの92年1月6日、図書館で別の文書も見つけ、記者に伝えた。
記者は翌7日に図書館を訪れて文書を直接確認し、撮影。関係者や専門家に取材し、11日の紙面で掲載した。
政府の河野談話の作成過程の検証報告書によると、記者が図書館を訪れたのと同じ92年1月7日、軍関与を示
す文書の存在が政府に報告されている。
政府は91年12月以降、韓国側から「慰安婦問題が首相訪韓時に懸案化しないよう、事前に措置を講じるのが望
ましい」と伝達され、関係省庁による調査を始めていた。
現代史家の秦郁彦氏は著書「慰安婦と戦場の性」で、この報道が首相訪韓直前の「奇襲」「不意打ち」だったと指
摘。「情報を入手し、発表まで2週間以上も寝かされていたと推定される」と記している。一部新聞も、この報道が発
端となり日韓間の外交問題に発展したと報じた。しかし記事が掲載されたのは、記者が詳しい情報を入手してから
5日後だ。「国が関与を認めない中、軍の関与を示す資料の発見はニュースだと思い、取材してすぐ記事にした」と
話す。また、政府は報道の前から文書の存在を把握し、慰安婦問題が訪韓時の懸案となる可能性についても対応を
始めていた。
記事で紹介した文書の一つは、陸軍省副官名で38年に派遣軍に出された通達。日本国内で慰安婦を募集する際、
業者が「軍部の了解がある」と言って軍の威信を傷つけ、警察に取り調べを受けたなどとして、業者を選ぶ際に、憲
兵や警察と連絡を密にして軍の威信を守るよう求めていた。
西岡力東京基督教大教授(韓国・北朝鮮地域研究)は、著書「よくわかる慰安婦問題」で、「業者に違法行為をやめ
させようとしたもの。関与は関与でも、『善意の関与』」との解釈を示した。
これに対し、永井和京都大教授は「善意の関与」との見方を否定する。永井教授が着目するのは、同時期に内務省
が警保局長名で出した文書。慰安婦の募集や渡航を認めたうえで、「軍の了解があるかのように言う者は厳重に取
り締まること」という内容だった。永井教授は、業者が軍との関係を口外しないよう取り締まることを、警察に求めた
ものと指摘。そのうえで、朝日新聞が報じた陸軍省の文書については、著書「日中戦争から世界戦争へ」で、「警察
が打ち出した募集業者の規制方針、すなわち慰安所と軍=国家の関係の隠蔽化方針を、軍司令部に周知徹底させ
る指示文書」との見方を示している。
92年1月11日の朝日新聞記事に関し、短文の用語説明で、慰安婦について「主として朝鮮人女性を挺身隊の名
で強制連行した。その人数は8万とも20万ともいわれる」と記述したことにも、「挺身隊」と「慰安婦」を混同した、な
どの批判がある(両者の混同については「『挺身隊』との混同」で説明)。慰安婦の人数に関しても議論があるが、公
式記録はなく、研究者の推計しかない(「慰安婦問題とは」の中で説明)。

~読者のみなさまへ~
記事は記者が情報の詳細を知った5日後に掲載され、宮沢首相の訪韓時期を狙ったわけではありません。
政府は報道の前から資料の存在の報告を受けていました。韓国側からは91年12月以降、慰安婦問題が
首相訪韓時に懸案化しないよう事前に措置を講じるのが望ましいと伝えられ、政府は検討を始めていました。


■「挺身隊」との混同 当時は研究が乏しく同一視

〈疑問〉朝鮮半島出身の慰安婦について朝日新聞が1990年代初めに書いた記事の一部に、「女子挺身隊」の
名で戦場に動員された、という表現がありました。今では慰安婦と女子挺身隊が別だということは明らかですが、
なぜ間違ったのですか。

「女子挺身隊」とは、戦時下の日本内地や旧植民地の朝鮮・台湾で、女性を労働力として動員するために組織され
た「女子勤労挺身隊」を指す。44年8月の「女子挺身勤労令」で国家総動員法に基づく制度となったが、それまでも
学校や地域で組織されていた。朝鮮では終戦までに、国民学校や高等女学校の生徒ら多くて約4千人が内地の軍
需工場などに動員されたとされる(注①)。
目的は労働力の利用であり、将兵の性の相手をさせられた慰安婦とは別だ。
だが、慰安婦問題がクローズアップされた91年当時、朝日新聞は朝鮮半島出身の慰安婦について、「第2次大戦の
直前から『女子挺身隊』などの名で前線に動員され、慰安所で日本軍人相手に売春させられた」(91年12月10
日朝刊)、「太平洋戦争に入ると、主として朝鮮人女性を挺身隊の名で強制連行した。その人数は8万とも20万と
もいわれる」(92年1月11日朝刊)と書くなど両者を混同した。
原因は研究の乏しさにあった。当時、慰安婦を研究する専門家は殆どなく、歴史の掘り起こしが十分でなかった。
朝日新聞は、国内の工場で働いた日本人の元挺身隊員を記事で取り上げたことはあったが、朝鮮半島の挺身隊の
研究は進んでいなかった。記者が参考文献の一つとした「朝鮮を知る事典」(平凡社、86年初版)は、慰安婦につい
て「43年からは〈女子挺身隊〉の名の下に、約20万の朝鮮人女性が労務動員され、そのうち若くて未婚の5万~7
万人が慰安婦にされた」と説明した。
執筆者で朝鮮近代史研究者の宮田節子さんは、「慰安婦の研究者は見あたらず、既刊の文献を引用するほかなか
った」と振り返る。宮田さんが引用した千田夏光氏の著書「従軍慰安婦」は、「“挺身隊”という名のもとに彼女らは
集められたのである(中略)総計二十万人(韓国側の推計)が集められたうち“慰安婦”にされたのは“五万人ない
し七万人”とされている」と記述していた。
朝鮮で「挺身隊」という語を、「慰安婦」の意味で使う事例は、46年の新聞記事にもみられる。44年7月に閣議決定
された朝鮮総督府官制改正の説明資料には、未婚の女性が徴用で慰安婦にされるという、「荒唐無稽なる流言」が
拡散しているとの記述がある。
挺身隊員が組織的に慰安婦とされた事例は確認されていないが、日本の統治権力への不信から両者を同一視し、
恐れる風潮が戦時期から広がっていたとの見方がある
(注②)。
元慰安婦の支援団体が「韓国挺身隊問題対策協議会」を名乗っており、混同が残っているとの指摘もある。
92年1月の宮沢首相の訪韓直前、韓国の通信社が国民学校に通う12歳の朝鮮人少女が、挺身隊に動員された
ことを示す学籍簿が見つかったとする記事を配信。「日本は小学生までを慰安婦にした」と誤解され、対日感情が悪
化した。
朝日新聞は93年以降、両者を混同しないよう努めてきた。当時のソウル支局長(72)は、「挺身隊として日本の軍需
工場で働いた女性たちが『日本軍の性的慰みものになった』と、誤解の目で見られて苦しんでいる実態が、市民団
体の聞き取りで明らかになったという事情もあった」と話す。

~読者のみなさまへ~
女子挺身隊は、戦時下で女性を軍需工場などに動員した「女子勤労挺身隊」を指し、慰安婦とはまったく別です。
当時は、慰安婦問題に関する研究が進んでおらず、記者が参考にした資料などにも、慰安婦と挺身隊の混同がみら
れたことから、誤用しました


(参考資料)
注①:高崎宗司「『半島女子勤労挺身隊』について」デジタル記念館「慰安婦問題とアジア女性基金」
注②:藤永壮「戦時期朝鮮における『慰安婦』動員の『流言』『造言』をめぐって」
   :松田利彦ほか編「地域社会から見る帝国日本と植民地 朝鮮・台湾・満洲」(思文閣出版、2013)


■「元慰安婦 初の証言」 記事に事実のねじ曲げない

〈疑問〉元朝日新聞記者の植村隆氏は、元慰安婦の証言を韓国メディアよりも早く報じました。
これに対し、元慰安婦の裁判を支援する韓国人の義母との関係を利用して記事を作り、都合の悪い事実を意図的
に隠したのではないかとの指摘があります。

問題とされる一つは、91年8月11日の朝日新聞大阪本社版の社会面トップに出た「思い出すと今も涙 元朝鮮人
従軍慰安婦 戦後半世紀重い口開く」という記事だ。
元慰安婦の一人が、初めて自身の体験を「韓国挺身隊問題対策協議会」(挺対協)に証言し、それを録音したテー
プを10日に聞いたとして報じた。植村氏は当時、大阪社会部記者で、韓国に出張。元慰安婦の証言を匿名を条件
に取材し、韓国メディアよりも先んじて伝えた。
批判する側の主な論点は①元慰安婦の裁判支援をした団体の幹部である義母から、便宜を図ってもらった②元慰
安婦がキーセン(妓生)学校に通っていたことを隠し、人身売買であるのに強制連行されたように書いたという点だ。
植村氏によると、8月の記事が掲載される約半年前、「太平洋戦争犠牲者遺族会」(遺族会)の幹部梁順任(ヤンスニ
)氏の娘と結婚した。元慰安婦を支援するために、女性研究者らが中心となってつくったのが挺対協。
一方、遺族会は戦時中に徴兵、徴用などをされた被害者や遺族らで作る団体で、挺対協とは異なる別の組織だ。
取材の経緯について、植村氏は「挺対協から元慰安婦の証言のことを聞いた、当時のソウル支局長からの連絡で韓
国に向かった。義母からの情報提供はなかった」と話す。元慰安婦はその後、裁判の原告となるため梁氏が幹部を
務める遺族会のメンバーとなったが、植村氏は、「戦後補償問題の取材を続けており、元慰安婦の取材もその一つ。
義母らを利する目的で報道をしたことはない」と説明する。8月11日に記事が掲載された翌日、植村氏は帰国した。
14日に北海道新聞のソウル特派員が、元慰安婦の単独会見に成功し、金学順(キムハクスン)さんだと特報。
韓国主要紙も15日の紙面で大きく報じた。植村氏は前年の夏、元慰安婦の証言を得るため韓国を取材したが、話
を聞けずに帰国した経緯もあり、詳しい取材のいきさつは、朝鮮半島問題を扱う月刊誌『MILE(ミレ)』(91年11月
号)に書いた。この時期、植村氏の記事への批判はまだ出ていなかった。
また、8月11日の記事で、「『女子挺身隊』の名で戦場に連行され、日本軍人相手に売春行為を強いられた『朝鮮人
従軍慰安婦』」などと記したことをめぐり、キーセンとして人身売買されたことを意図的に記事では触れず、挺身隊
として国家によって強制連行されたかのように書いた――との批判がある。
慰安婦と挺身隊との混同については、前項でも触れたように韓国でも当時慰安婦と挺身隊の混同がみられ、植村氏
も誤用した。
元慰安婦の金さんが、「14歳(数え)からキーセン学校に3年間通った」と明らかにしたのは、91年8月14日に
北海道新聞や韓国メディアの取材に応じた際だった。キーセン学校は、宴席での芸事を学ぶ施設だ。
韓国での研究によると、学校を出て資格を得たキーセンと遊郭で働く遊女とは区別されていた。中には生活に困る
などして売春行為をしたキーセンもおり、日本では戦後、韓国での買春ツアーが「キーセン観光」と呼ばれて批判さ
れたこともあった。
91年8月の記事でキーセンに触れなかった理由について、植村氏は「証言テープ中で金さんが、キーセン学校につ
いて語るのを聞いていない」と話し、「そのことは知らなかった。意図的に触れなかったわけではない」と説明する。
その後の各紙の報道などで把握したという。
金さんは同年12月6日、日本政府を相手に提訴し、訴状の中でキーセン学校に通ったと記している。
植村氏は提訴後の91年12月25日朝刊5面(大阪本社版)の記事で、金さんが慰安婦となった経緯や、その後の
苦労などを詳しく伝えたが、「キーセン」のくだりには触れなかった。植村氏は「キーセンだから、慰安婦にされても仕
方ないというわけではないと考えた」と説明。「そもそも金さんは、だまされて慰安婦にされたと語っていた」といい8月
の記事でもそのことを書いた。
金さんらが日本政府を相手に提訴した91年12月6日、別の記者が書いた記事が夕刊1面に掲載されたが、キーセン
については書いていない。その後も植村氏以外の記者が金さんを取り上げたが、キーセンの記述は出てこない。

~読者のみなさまへ~
植村氏の記事には、意図的な事実のねじ曲げなどはありません。91年8月の記事の取材のきっかけは、当時のソウ
ル支局長からの情報提供でした。義母との縁戚関係を利用して、特別な情報を得たことはありませんでした。


■他紙の報道は
他の新聞社は慰安婦問題をどう報じてきたのか。
国立国会図書館に所蔵されているマイクロフィルムや記事を、検索できる各社のデータベースなどを参考に、特に
1980年代後半以降の読売新聞、毎日新聞、産経新聞の記事を調べた。

論点は、朝日新聞が今回の特集で点検の対象とした、吉田清治氏(故人)をどう報じたか
▽「慰安婦」と「女子挺身隊」を混同したか ▽慰安婦問題を報じる際、「強制連行」という言葉を使ったか
――の3点。

韓国・済州島での「慰安婦狩り」を証言していた吉田氏。同氏を取り上げた朝日新聞の過去の報道を批判してきた
産経新聞は、大阪本社版の夕刊で1993年に「人権考」と題した連載で、吉田氏を大きく取り上げた。連載のテーマ
は、「最大の人権侵害である戦争を、『証言者たち』とともに考え、問い直す」というものだ。同年9月1日の紙面で、
「加害 終わらぬ謝罪行脚」の見出しで、吉田氏が元慰安婦の金学順さんに謝罪している写真を掲載。
「韓国・済州島で約千人以上の女性を従軍慰安婦に連行したことを明らかにした『証言者』」だと紹介。
「(証言の)信ぴょう性に疑問をとなえる声があがり始めた」としつつも、「被害証言がなくとも、それで強制連行がな
かったともいえない。吉田さんが、証言者として重要なかぎを握っていることは確かだ」と報じた。
この連載は、関西を拠点とした優れた報道に与えられる「第1回坂田記念ジャーナリズム賞」を受賞。
94年には解放出版社から書籍化されている。
読売新聞も92年8月15日の夕刊で吉田氏を取り上げている。「慰安婦問題がテーマ 『戦争犠牲者』考える集
会」との見出しの記事。「山口県労務報国会下関支部の動員部長だった吉田清治さん」が、「『病院の洗濯や炊事
など雑役婦の仕事で、いい給料になる』と言って、百人の朝鮮人女性を海南島に連行したことなどを話した」などと
伝えている。
毎日新聞も、吉田氏が92年8月に謝罪のために訪韓した様子を、同年8月12日と13日の朝刊でそれぞれ報じ
た。90年代初期には、「慰安婦」と「挺身隊」の混同もみられた。
朝日新聞の過去の記事に両者の混同があったことなどを批判した読売新聞は、91年8月26日朝刊の記事「『従
軍慰安婦』に光を 日韓両国で運動活発に 資料集作成やシンポも」の中で、「太平洋戦争中、朝鮮人女性が『女子
挺身隊』の名でかり出され、従軍慰安婦として前線に送られた。その数は二十万人ともいわれているが実態は明ら
かではない」と記載している。また、92年1月16日朝刊に掲載された宮沢喜一首相の訪韓を伝える記事でも「戦時
中、『挺身隊』の名目で強制連行された朝鮮人の従軍慰安婦は十万とも二十万人ともいわれる」と記述するなど
混同がみられた。
毎日新聞も、元慰安婦の金学順さんを取り上げた91年12月13日朝刊「ひと」欄の記事の中で、「十四歳以上の女性
が挺身隊などの名で朝鮮半島から連行され、従軍慰安婦に。その数は二十万人ともいい、終戦後、戦場に置き去り
にされた」と報じた。

朝日新聞社は、ここで取り上げた記事について各社の現時点での認識を尋ねました。毎日新聞社と産経新聞社か
らは次の回答がありましたが、読売新聞社は回答しませんでした。

〈毎日新聞社社長室広報担当の話〉
いずれの記事も、その時点で起きた出来事を報道したものであり、現時点でコメントすることはありません。

〈産経新聞社広報部の話〉
当該記事では吉田清治氏の証言と行動を紹介するとともに、その信ぴょう性に疑問の声があることを指摘しました。
その後、取材や学者の調査を受け、証言は「虚構」「作り話」であると報じています。




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