筑紫の国の片隅で…

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3月10日は「東京大空襲」の日

本日は「東京大空襲」の日であります。
米軍による本土空襲は、1944年11月から終戦間際にかけて、100回以上も繰り返されました。
その中でも昭和20年3月10日の「東京大空襲」は、一夜にして10万人以上の尊い市民の命が
奪われるという、最大級の空襲だったのです。
「東京大空襲」から半年余りの間に、墨田区・江東区などの下町一帯をはじめ、原宿や銀座など
東京の各地が焼き尽くされました。この焼夷弾による無差別爆撃の犠牲者は、女性や子供そして
老人であり、その殆どが非戦闘員だったにも拘わらず、米国は「産業基盤を破壊し、戦意を喪失
させるための作戦だった」と詭弁を弄しています。
日本本土への執拗な空爆は、無差別に民間人を大量殺戮しており、明らかに国際法違反行為で
あり、断じて許されるべきものではないのです。

廃墟の東京


~参考~
WWII Occupation of Tokyo Japan 1945 - Bomb Damage


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平成26年3月10日 産経新聞より

■東京大空襲69年で法要 遺族ら参列、東京都慰霊堂
約10万人が死亡したとされる太平洋戦争末期の東京大空襲から69年を迎えた10日、犠牲者らの遺骨
が安置されている東京都慰霊堂(墨田区)で秋篠宮ご夫妻ご臨席のもと、舛添要一知事、遺族らが
参列し、慰霊の法要が営まれた。
東京大空襲は昭和20年3月10日未明にあった。300機を超える米爆撃機B29が大量の焼夷弾を無差別
に投下し、下町を中心に大きな被害が出た。
都によると、昨年1年間で新たに209人の犠牲者の氏名が判明。都が作成し、慰霊堂近くの祈念碑の
内部に保管している犠牲者名簿の人数は計8万150人になった。
慰霊堂には関東大震災の犠牲者の遺骨も納められており、毎年3月10日と9月1日に慰霊の法要が営ま
れている。

       慰霊の法要=10日

■「ここに家族がいる」 東京大空襲から69年 法要に遺族ら約400人
約10万人が亡くなった東京大空襲から69年となった10日、犠牲者らの遺骨が安置されている東京都
慰霊堂(東京都墨田区)で法要が営まれた。
法要には遺族ら約400人が出席。平和への誓いを新たにした。秋篠宮ご夫妻も参列し、焼香された。
舛添要一都知事は「東日本大震災の傷跡はいまだ消えていない」とした上で「都民が安心して暮ら
せる首都東京の創造を改めて誓う」と追悼の辞を述べた。
大空襲で祖父母や弟、叔母らを亡くした豊島区の若松紀子さん(73)は「4歳で両親と逃げた。乳母
車の中から鉛色の(米爆撃機)B29が飛んでいるのが目の前に見えた。都電の乗客がこちらに手を
振っていたが、火に包まれ助けを求めていたようだ」と振り返った。
父の慰霊に来たという練馬区の鈴木浩一さん(88)は大空襲の際、工場で当直をしていたために難を
逃れた。母や妹とともに父を探しまわったが、遺体はおろか自宅すら見つけられなかった。「遺品
は岐阜県の実家に送られた英語や漢文の本。取り寄せて今も大切に持っている」と父を偲んだ。
両親と2人の姉、弟を失い、疎開先で生き残ったという中野区の深山君子さん(78)は「墓に入れる
遺骨もない。小学6年のころから毎年、ここに家族がいると信じて会いに来ている」と手を合わせ
ていた。
東京大空襲は昭和20年3月10日未明に発生。米爆撃機B29が現在の東京都江東区、墨田区などに
焼夷弾を投下した。死者は10万人以上、焼失家屋は27万戸とされる。
都では犠牲者名簿をまとめており、昨年に新たに犠牲者209人の氏名が判明。計8万150人分が慰霊
堂脇の祈念碑に納められている。

       参列された秋篠宮ご夫妻=10日

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2014年03月10日 毎日新聞より

東京大空襲:69年「二度とおきないように」慰霊の法要

約10万人が犠牲になったとされる東京大空襲から69年となる10日、東京都墨田区の都慰霊堂で
大空襲と関東大震災の犠牲者を悼む「春季慰霊大法要」(東京都慰霊協会主催)が営まれ、遺族
ら約320人が参列した。法要には、秋篠宮ご夫妻や舛添要一都知事らも出席。
舛添知事は「戦争の悲惨さと戦災の脅威を語り継がねばならない」と追悼の辞を述べた。
慰霊堂内には焼香台が設置され、多くの遺族らが犠牲者の冥福を祈った。
大空襲で父を失った東京都品川区の池田もと子さん(78)は「あんな悲しいことが二度とおきない
ように、父がやすらかに眠れるように、毎年お祈りに来ています」と話した。
1945年3月10日未明にあった東京大空襲では、約300機の米爆撃機B29が焼夷弾を無差別に投下し
隅田川両岸の下町一帯に大きな被害が出た。
約26万戸の家屋が焼失、100万人以上が被災し、原爆を除く通常の空襲としては史上最大規模の
犠牲者が出たとされる。 【木村敦彦】




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