筑紫の国の片隅で…

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宮崎駿監督 引退

引退することが明らかになった宮崎駿監督(72)は6日午後2時から、東京都内で記者会見を開いた。
会見にはスタジオジブリの鈴木敏夫プロデューサー(65)と星野康二社長(57)も出席。
会場には海外11の国・地域を含む国内外のメディア関係者約600人が詰めかけた。

 

【 宮崎監督引退会見 】

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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宮崎駿監督が6日、報道陣に配布した「公式引退の辞」の全文は以下の通り。


               公式引退の辞
                                  宮崎 駿

ぼくは、あと10年は仕事をしたいと考えています。自宅と仕事場を自分で運転して往復できる
間は、仕事をつづけたいのです。その目安を一応“あと10年”としました。
もっと短くなるかもしれませんが、それは寿命が決めることなので、あくまでも目安の10年です。
ぼくは長編アニメーションを作りたいと願い、作って来た人間ですが、作品と作品の間がずん
ずん開いていくのをどうすることもできませんでした。要するにノロマになっていくばかりでした。
“風立ちぬ”は前作から5年かかっています。次は6年か、7年か…それではスタジオがもちませんし、
ぼくの70代は、というより持ち時間は使い果たされてしまいます。
長編アニメーションではなくとも、やってみたいことや試したいことがいろいろあります。
やらなければと思っていること---例えばジブリ美術館の展示---も課題は山ほどあります。
これ等は、ほとんどがやってもやらなくてもスタジオに迷惑のかかることではないのです。
ただ家族には今までと同じような迷惑をかけることにはなりますが。
それで、スタジオジブリのプログラムから、ぼくをはずしてもらうことにしました。
ぼくは自由です。といって、日常の生活は少しも変わらず、毎日同じ道をかようでしょう。
土曜日を休めるようになるのが夢ですが、そうなるかどうかは、まぁ、やってみないと判りません。
ありがとうございました。
                                   以上
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~平成25年9月7日 産経新聞 より
宮崎駿監督『風立ちぬ』は“遺言”か…周囲の“無理解”に嫌気?

 

◇「ゼロ戦」へ寄せる強い思い
「今回は本気です」。アニメ界の巨匠、宮崎駿監督(72)が制作現場からの引退を発表した。
現在公開中の新作「風立ちぬ」が興行収入80億円を超えるヒットを続けているだけに残念なニュースだ。

長年にわたりジャンルを超えた数々の傑作を繰り出し、世界の映画ファンを驚かせ、感動を与えてきた
名匠がついに筆を置く。
これは宮崎監督の遺言、遺書ではないのか-。 「風立ちぬ」を見て、こう思った映画ファンや関係者は
少なくないだろう。
宮崎監督の父は一族で経営する「宮崎航空興学」の幹部だった。
航空部品が並ぶ工場を毎日のように眺めていた幼い頃の宮崎監督は、ある日、工場にゼロ戦の風防が
置いてあるのを見て、こう感動したという。「とても美しい」と。
以来、飛行機好きの趣味は高じ、航空機の知識はもちろん、世界の航空産業の歴史から航空戦史など
の膨大な知識を習得。
アニメーターとして活躍する一方、模型雑誌に航空漫画の連載を持つなど、その博覧強記ぶりを披露し
てきた。だが本業のアニメ監督としては、第一次大戦期のイタリアを舞台に、ブタに姿を変えた戦闘機
パイロットを主人公に描いた「紅の豚」(平成4年)で、戦闘機をテーマにした以外、「風の谷のナウシカ」
(昭和59年)や「天空の城ラピュタ」(61年)などに一部、飛行シーンを入れたぐらいで、“あえて”戦闘機
をメーンに描く映画作りは避けてきた。つまり戦闘機ものは封印してきたのだ。
長年、宮崎監督の映画作りを支えてきた盟友、鈴木敏夫プロデューサーはそんな宮崎監督のフラスト
レーションに気づいていたはずだ。
まだ心身ともに元気だとはいえ、70代を迎えた監督に、「そろそろ遺書を書いておけば」という意味も
込められていたのだと思う。「一番好きで描きたいものを描かないか」と背中を押したのだ。
そして宮崎監督は「風立ちぬ」を製作する意志を固めた。

 

◇「ハイジ」で世界へ
宮崎監督は駆け出し時代、アニメーターとしての転機ともいえるテレビアニメを制作している。
昭和49年に放送された「アルプスの少女ハイジ」だ。テレビアニメ史上初という海外ロケをスイス
敢行。演出は高畑勲監督、作画監督は小田部羊一さん。そして宮崎監督は場面設定・画面構成を担当
した。実は3人は元東映動画で仲の良かった先輩後輩。ハイジを制作するために、東映動画を3人一緒
に飛び出した“戦友”でもあった。
後に日本アニメ界を牽引する3人が心血を注いで作り上げた「アルプスの少女ハイジ」は来年1月で
放送開始から40周年を迎えるが、今だに再放送が繰り返される傑作として語り伝えられる。
小田部さんが当時を振り返り、こんな話を教えてくれた。
「3人でよくアニメ作りをめぐって口論しましたよ。でも仲は良かった。3人の思いは共通していました

からね。世界に通用するアニメを作ろうという思いです」
当時、ディズニーなどとまともに戦おうと考えたアニメーターが日本にどれほどいただろうか。
この3人と漫画家、手塚治虫ぐらいだったのではないか。また、そんな彼らを見て関係者の多くは冷やや
かに見ていたはずだ。できるはずがないと。
テレビや映画で数々の名作アニメを手掛け、その卓越した技量を証明しながらも宮崎監督が世間で、
映画監督として認知されたのは意外に遅い。
「風の谷のナウシカ」で一躍脚光を浴びたのはベテランの域に入った43歳のときなのだから。

 

◇世界と戦った日本技術
ハイジの制作に臨む際、「世界で戦おう」と決意したとき、宮崎監督の脳裏には、「風立ちぬ」の主人公、

堀越二郎の姿が浮かんでいたのではないかと想像できる。
まだ豊かでない小国・日本で、世界を相手に戦い、誰もなし得なかった偉業を達成した先人の後を追う
ことで、彼は「世界と戦うことは決して無謀ではない」と信じ続けることができたのではないか。
第二次大戦の頃、日本の航空機技術、航空産業は世界から致命的な遅れをとっていた。
そんな時代に堀越は、米英など世界列強を驚愕させる高性能の戦闘機「ゼロ戦」を開発した。
堀越は完成したゼロ戦を見てこんな感想を残している。
「自分がこの飛行機の設計者であることも忘れて“美しい”と心で叫んでいた」
ゼロ戦設計者を描いたことで、宮崎監督は一部のマスコミなどから、「殺人兵器の開発者をなぜ賛美
するのか」などという批判にさらされている。
「美しいものを作りたい」という創造者(クリエーター)としての堀越の純粋な情熱に宮崎監督は惹かれ
「風立ちぬ」を作ったというのに。

“遺言”は世代交代へのバトンを引き継ぐメッセージとも受け取れる。
自らが道標(みちしるべ)となり、世界と戦うことは無謀ではないと示してくれた先人への感謝の思い、
恩返しを込めて。そして日本の子供や若者たちが、決して夢をあきらず、堀越や自分の後に続いてくれ
るようにと願いを込めて…。その思いが通じない世の中ならば、彼はもうアニメ映画を作る意味は見い
出せないと感じ取ったのかもしれない。
「僕の時代は終わった」と言いながらも、彼は会見でこう言った。「まだやりたいことはある…」
「風立ちぬ」から何を学ぶか。見る者自身が問われている。 (戸津井康之)
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~2013年9月7日 毎日新聞 【社説】より
宮崎駿さん引退 深くて自由な作品世界
主人公たちはよく空を舞う。飛行装置で滑空する少女。ほうきに乗って懸命に飛ぶ練習をする魔女。
悪者と戦う飛行艇乗り。大空を進むことで、人間の自由や正義や想像する力を応援するように。
数々の名作を世に問い続けてきたアニメ映画監督、宮崎駿さんが公開中の映画「風立ちぬ」を最後
に引退する。6日に東京都内で開かれた記者会見では、長編アニメ映画から退くだけでなく、監修や
アドバイザーもやらないと明言した。
宮崎さんは72歳。今の日本ではまだまだ引退は早いように感じるが、長編アニメ制作の重労働を思う
と仕方ないのだろうか。「やってみたいことはいろいろある」という今後に期待するしかない。
宮崎さんは、長編アニメを芸術表現として確立した人と位置づけられる。しかも、それが興行的な成功
と結びついた。芸術性と大衆の支持の両方を獲得した、まれな表現者といえるだろう。
質の高さと面白さを兼ね備えた作品群は国際的にも高く評価されてきた。
「アバター」のジェームズ・キャメロン監督や「トイ・ストーリー」のジョン・ラセター監督ら多くの

映画人に影響を与え、世界中のファンに愛された。引退会見に数多くの海外メディアが集まったのは

それを雄弁に物語っている。
これまでの軌跡を振り返れば、作品を生み出すたびに新しい挑戦を続け表現を深めてきたのがわかる。
まず、人物や自然の繊細な動きが魅力的だ。子供がころんだり、はしゃいだりするようす。
寄せては返す波や流れていく雲。雨のしずくが道路にはねる光景。単なる写実ではない。
美しく変形されながら、本当らしさが味わえる。
深い思想性も見逃せない。環境問題を扱っても、薄っぺらな解決を描かない。
人間の愚かさを踏まえたうえで、人間も自然の一部であるような世界観を前面に出している。
お化けや幽霊など、日本の民俗的世界の魅惑を引き出したり文明全体のあり方を問いかけたりもした。
そして、起伏に富んだストーリーが観客をひきつけた。意外な展開が多いのは、結末を定めず作りながら
ストーリーが変わっていく制作方法に由来しているのだろう。
これからの日本の長編アニメ界は宮崎さん抜きになってしまう。寂しさはぬぐえないが、後に続く多くの
作り手が育っていることも確かだ。
アニメ界全体が豊かな実りを得るためには、さまざまな環境を整えることが必要だ。現場で働く人々の
労働条件の厳しさの改善は、その一つだろう。才能が育ち、個性を発揮できるような支援が望まれる。
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~平成25年9月3日 産経新聞 【主張】より
宮崎駿監督の引退 発信力を担う若手よ続け
アニメーション映画の宮崎駿監督が引退するという。この世界で72歳の引退は早すぎる。
世界を喜ばせてきた巨匠の退陣は残念でならないが、日本の強力な発信力の担い手として、宮崎氏
の後を継ぐ若手の台頭を期待したい。
現在公開中の「風立ちぬ」をはじめ、「風の谷のナウシカ」「となりのトトロ」「もののけ姫」など、
宮崎氏の作品は子供も大人も魅了し、国内外で高い評価を受けてきた。
平成13年に公開された「千と千尋の神隠し」は興行収入が304億円となり、日本の映画興収記録を
更新した。同映画は米アカデミー賞長編アニメ作品部門でオスカーを獲得した。
宮崎氏の引退表明には、海外メディアも敏感に反応した。AP通信は「アニメ界で最も称賛され成功を
収めた監督の一人」と紹介し、ロイター通信は、「『日本のウォルト・ディズニー』とも評される監督」

と表現した。クールジャパンとも称される国際的に高い評価を受けた日本のソフト文化を、宮崎氏は先頭
ランナーとして牽引してきた。
映画の黒澤明監督、漫画の手塚治虫氏の系譜にある巨匠の引退を、世界が惜しんでいる。
世界における日本の存在感はこのところ、薄くなっているといわれてきた。
「日本たたき(バッシング)」から「日本軽視(パッシング)」、そして「無視(ナッシング)」へ、などと

揶揄されることもあった。そうしたなかで気を吐いてきたのが、宮崎氏をはじめとする文化の担い手である。
ただ、宮崎氏も突然一人で現れたわけではない。手塚漫画に感化され、「アルプスの少女ハイジ」など
で知られる高畑勲氏に師事し、次第に自らの世界観を完成させていった。
数多くのノーベル賞受賞者を輩出してきた日本では、理想的な研究体制に「八ケ岳型」を求めている。
高い頂上を持つ孤高の富士山よりも、広い裾野と分厚い中腹があり、複数の頂上を持つ八ケ岳がふさ
わしいということだ。
幸い、日本の漫画家、アニメーターには、国内外で高く評価される後進が数多く続いている。
映画や音楽、あるいは文化以外の分野でも、どんどん世界に勝負を挑んで「日本」を発信してほしい。
今後の宮崎氏にも、その手助けをお願いしたい。
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~2013年9月3日 日本経済新聞 春秋より
 

飛ばない豚は、ただの豚だ」。そんなセリフが印象的な宮崎駿監督のアニメーション映画といえば
1992年公開の「紅の豚」だ。魔法で外見が豚になってしまった中年パイロットの冒険を描くこの映画は

主人公が操縦する赤い飛行艇が後にプラモデルにもなった。
▼発売元の模型会社、ファインモールド(愛知県豊橋市)の鈴木邦宏社長は、宮崎氏の許可を得ようと
初めて訪ねた時のことが今も鮮明だ。「実際に空を飛べる構造にするなら、翼はこんな形状にした方が
いい」「航空力学的には、これはこう……」。専門家に引けを取らない指摘も多々受け、知識の豊富さ
に驚いたという。
▼プラモの場合もこうだから、細部へのこだわりは映画づくりで徹底していた。70歳を過ぎても絵を描く
のを人任せにせずに、机に向かい続けてきた。「紙の上であっても実際に絵を(動画のように)動かして
みて初めて人物に血が通う。そうして初めて登場人物のことが分かってくる」。最近も本紙の電子版で
語っている。
▼そんな宮崎氏が引退を決めたとの知らせがあった。
零戦の設計者、堀越二郎を主人公にした公開中の「風立ちぬ」が最後の作品になるという。
堀越氏は軽くて高速の飛行機をつくるという夢を追って、機体の重さや重心の緻密な計算を重ねた
エンジニアだ。職人肌の異才が区切りを付ける作品として、いかにもふさわしい。
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~2013年9月3日 zakzakより
宮崎駿監督引退で「ジブリ」どうなる? 後継者とやがて来る正念場
長編映画からの引退を発表した宮崎駿監督(72)。日本が誇る名クリエイターの引退は、世界でも珍しい

長編アニメスタジオ「スタジオジブリ」の今後にも大きな影響を与える。
「紅の豚」や「風立ちぬ」でも飛行機マニアぶりがうかがえる宮崎監督。
スタジオジブリの名称もまた、飛行機と関わっている。
1984年、「風の谷のナウシカ」がヒットした宮崎監督は、盟友・高畑勲監督(77)と2人で長編アニメ映画
を製作する拠点作りにとりかかる。翌85年に設立されたのがスタジオジブリだった。
同社の公式ホームページには名前の由来として、「ジブリ」はサハラ砂漠に吹く熱風と紹介されている。
第2次大戦中に使われたイタリアの軍用偵察機の愛称でもあり、飛行機マニアの宮崎監督がスタジオ名
にした。「日本のアニメーション界に旋風を巻き起こそう」という意図があったという。
宮崎・高畑両巨匠と、ジブリの顔といわれ一時は社長も務めた鈴木敏夫プロデューサー(65)の
“3人4脚”でジブリは巨大スタジオに成長。実際は「ギブリ」と発音する方が普通だが、「ジブリ」の方が
しっくりくるほど世間に定着した。
とりわけ、興行では宮崎監督作品が頼りで、そのハイレベルな作品を製作するために300人の社員を
抱え、常に成功作を送り出さなければならない使命も背負うことになった。
映画評論家の垣井道弘氏は「長編映画は長い年月と大人数が必要なプロジェクトでクリエイターには
気力、体力が必要。立ちゆかなくなれば経営に影響するだけに、引退を決意したのだろう」とみる。
高齢となり、長編製作中に病気など万が一の事態になれば経営の根幹を直撃する。
若いクリエイターが先頭に立った方がよい、という判断だ。
これまでもジブリは若手の才能を試してきた。宮崎監督の長男、吾朗氏(46)も監督として2作を送り出し、
「借りぐらしのアリエッティ」ではジブリ所属の米林宏昌監督(40)を抜てきした。
外部からも「猫の恩返し」で森田宏幸監督(49))を起用。すべての作品でヒットとなったが、宮崎作品に
期待される「興収100億円超え」には至っていない。
「ジブリの不運は、『耳をすませば』の近藤喜文氏が98年に急逝したこと。存命なら文句なしの宮崎監督
の後継者だった。『ハウルの動く城』では細田守監督を起用したが途中降板。
細田氏はこの挫折をバネに『サマーウォーズ』『おおかみこどもの雨と雪』で、ジブリではない日本の
アニメ映画の旗手となった。ジブリに残っていれば…」(ベテラン映画評論家)
だが、ジブリの正念場は先にある、という見方も。
映画評論家の安保有希子氏は、「吾朗監督も米林監督も後継者としては経験が足りない。フリーの監督
を迎えて映画を作っていくか、上記2人に経験を積ませるか。
でも本当に大変なのは鈴木氏が引退する時。誰にジブリを任せるか。今、鈴木氏お気に入りのドワンゴ
会長の川上量生(のぶお)氏が有力だ。鈴木氏も宮崎監督引退は想定内だろうし、後継者問題は心配し
ていないと見受けられる」と話す。
宮崎監督が自らを投影したという「風立ちぬ」の主人公、堀越二郎は、零戦や雷電、烈風といった名機を
送り出した。だが戦後はこれも名機「YS-11」の設計に参加。生涯、航空機設計に携わった。
長編は引退してもすぐれた短編や中編映画でジブリに新たなビジネスチャンスを切り開くか。
 


 

 

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