筑紫の国の片隅で…

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最後の女帝・後桜町天皇の式年祭

後桜町天皇は9年の在位の後、明和7(1770)年に、甥である後桃園天皇に譲位し上皇となられた。
後桜町院は上皇として、幼主をよく輔導したといわれており、朝廷の権威向上に努め、後の尊皇思想
明治維新への端緒を作った光格天皇の良き補佐を務められたことから、「国母」と称されている。
文化10(1813)年、74歳で崩御。後桜町院の追号が贈られた。最後の女帝であるとともに、死後に
「院」と称された最後の天皇でもある。(参考:Wikipedia)

KyodoNewsより
後桜町天皇しのび式年祭 200回目の命日、歴代最後の女帝

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後桜町天皇 式年祭

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~2013年12月24日 日本経済新聞より~
歴代最後の女帝・後桜町天皇しのび式年祭 200回目の命日
歴史上、8人いた女帝のうち最後の後桜町天皇(1740~1813年)が亡くなって200回目の命日祭
「式年祭」が24日、京都市東山区の泉涌寺にある月輪陵(つきのわのみささぎ)と皇居で行われた。
後桜町天皇は江戸時代中期の1762年、弟の桃園天皇が急逝したため、23歳(旧暦の数え年、以下
同)で皇位を継承。桃園天皇の5歳の長男(後桃園天皇)を教育し、70年に譲位した。
天皇が即位後、初めて神々に新穀を供える重要祭祀である「大嘗祭」を、女帝として奈良時代の称徳
天皇以来、約千年ぶりに実施。和歌に秀で、約2千首を残した。生涯結婚せず、74歳で亡くなった。
この日は月輪陵に入る檜皮(ひわだ)ぶきの唐門が特別に開かれ、そのすぐ下の儀式場で午前10時
から宮内庁式部職楽部の楽師が笛や笙(しょう)、篳篥(ひちりき)で奏楽を開始。
供物台に米や酒、餅、海の幸のタイと昆布、里の幸の大根とニンジン、リンゴ、ようかん、塩、水を
載せた三方9台が運ばれ、祭祀を執り行う掌典が祝詞を奏上した。
続いて、天皇陛下からの供物として絹の反物がささげられ、陛下が「国と国民が幸せであるように」
とお気持ちを記された「ご祭文」を、黒色の装束姿の勅使が読み上げた。
古都を厳しい寒気が覆う中、故寛仁親王の長女、彬子さまや宮内庁職員、ゆかりの寺社関係者ら約
40人が参列。儀式は約30分で終了した。皇居でも天皇陛下らが拝礼された。
月輪陵は東山連峰に連なる山裾にあり、鎌倉時代から江戸時代の天皇12人や皇后ら計20人が眠る
皇室の墓域。天皇はいずれも土葬で、陵としてそれぞれ九重の石塔が建てられている。 (共同)




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