筑紫の国の片隅で…

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

トルコで愛される日本人ヒーロー

5月27日以降、トルコ全土で大規模な反政府デモ続いています。
今回の反政府デモは、タクシム広場再開発に反対する抗議集会から発展したものが、保守的・権威
主義的な傾向を強める政府に対する抗議へと拡大したようです。エルドアン首相は「冷静になるべきだ」
と、国民にデモの中止を呼び掛け、ギュル大統領も、政権への反発に理解を示した上で事態収拾を訴え
ました。 これ以上の混乱が広がらないことを願うばかりです。
混乱が続くトルコ共和国で、現在、一人の日本人が“ヒーロー”として、多くのトルコ国民から愛されて
いるのをご存知でしょうか?私はFNNで取り上げている映像を見るまで、まったく知りませんでした。
悲しいですけど、素敵なお話しなので紹介させてもらいます。

***********************************************************************

~2013年5月30日 FNNnewsCHより~

 

トルコで日本人男性がヒーローとして愛されています。
   
日本人の宮崎 淳さんが、トルコでヒーローとして愛されています。このヒーロー・宮崎さんとは、
いったい誰なのか。現地取材で見えてきたのは、溢れる感謝の気持ちでした。

日本から、およそ9,000km。取材班が訪れたのは、東西文明の十字路、トルコ共和国。
そこで取材班が目にしたのは、「ATSUSHI MIYAZAKI」と日本人の名前が書かれた看板だった。
そして、記念撮影の背景にも、宮崎さんの写真が使われ、そこには「心のヒーロー、ミヤザキ」と書かれ
ていた。眼鏡をかけてほほ笑む宮崎さんは、トルコ国民の殆どに知られている有名な日本人。
トルコ・ワン市では、市民から「日本人でしょう? 皆知ってるさ」「皆を助けていたよ。物質的にも、精神的
にもね」といった声が聞かれた。
2011年10月、600人もの犠牲者を出したトルコ東部大地震。街が混乱する中、いち早く最大の被災地
ワンに駆けつけたのが、当時、NGO(非政府組織)「難民を助ける会」に所属していた宮崎淳さんだった。
宮崎さんは、混乱する被災地で、いくつもの避難所を回り、食料や水を配る活動を続けていた。
当時、トルコのテレビ局が撮影した宮崎さんの映像が残っている。トルコで取材に応じる宮崎さん(当時
41)は「東日本大震災が起きた時に、トルコの人たちに助けてもらいました。ここに支援に来るのは当然
のことです」と話した。そこには、笑顔で支援物資を配る姿があった。
しかしこの後、思わぬ悲劇が宮崎さんを襲った。突然、襲った大きな余震で、宮崎さんが泊まっていた
ホテルが倒壊した。宮崎さんは、瓦礫の下敷きとなり、帰らぬ人となった。まだ41歳という若さだった。
あれから1年半。当時取材をした記者が、あの現場への立ち入りを許された。
生々しく残る地震の爪痕。現在、建物が倒壊した責任をめぐり、裁判が行われているため、ホテルは当時
のまま、残されているという。この日、取材班とともに跡地を訪れた、宮崎さんを知るチョバン姉妹。
2人は当時、避難所でボランティアをしていた宮崎さんに会ったという。
宮崎さんを知るチョバン姉妹は「犠牲祭で用意された肉を、避難所のみんなに配ったりしていたんです。
特に子供たちは大喜びで、宮崎さんの後ろを走ったりして。みんな宮崎さんのことが好きでした。
私達を助けに来てくれたのに、瓦礫の下に埋まってしまうなんて」と話した。
宮崎さんの母・恵子さんは「これ(眼鏡)は、土の中に埋まっていたんです。それを掘り起こしてくださって。
眼鏡を見ただけで、手が震えたりして」と話した。
土埃が残る遺品を大事そうに見せてくれたのは、母・恵子さん。恵子さんは「2週間便りがなかったから
元気にしているんだろうなと思ったけど、心配だなってよぎったんです。それが地震の4時間前。やっぱり
虫の知らせでしょうね。落ち着かなかったです」と話した。
国際協力への道を志していた宮崎淳さん。東日本大震災をきっかけに、国際NGO団体の門をたたき、
その4カ月後にトルコで大地震が発生したことから、自らトルコ行きを志願した。大きな志を抱いて向か
ったトルコでの悲劇だった。宮崎さんの死はトルコ中に伝わり、大統領が天皇陛下へ宛てた書簡には
宮崎さんらへの感謝が綴られていたという。大分の実家には、トルコから数え切れないほどの手紙が
届いていた。恵子さんは「トルコの地震で、あなた方の手助けに、心からありがとうを言わせていただき
ます。宮崎淳さんを亡くされたことは、本当にお気の毒でした」と手紙の内容を読み上げた。
手紙には、宮崎さんへの溢れんばかりの感謝の思いがしたためられていた。
縁もゆかりもなかった、遠く離れたトルコの地で、宮崎さんは多くの人の心を震わせていた。
チョバン姉妹も宮崎さんに影響を受け、ある決意を抱いたという。チョバン姉妹は「災害にあった人の
気持ちはわたしたちが一番わかっています。その思いを分かち合うために、被災者のそばにいたいと
思っています」と話した。トルコでは、宮崎さんの志を受け継いでいこうという動きが各地で起きている。
真新しい看板には「アツシ・ミヤザキ中学校」の文字。アツシ・ミヤザキ中学校の関係者は「彼の精神を
このトルコで受け継ぎたいと思ったんです。そこで彼の名前を学校について、彼の魂を永遠に生かそう
と思ったのです。子供たちには、いつも敬意を持って宮崎さんを思い出して欲しいです」と話した。
さらに、この秋の開校を前に、ある計画も浮上している。アツシ・ミヤザキ中学校の関係者は「学校の前
の道にも、宮崎さんの名前をつけることを約束します。校庭の遊技場にもね」と話した。
今、トルコ各地では、学校などの公共施設に続々と「ミヤザキネーム」。こうして個人の名前がつけられ
るのは、トルコでは異例のことだという。
ある大学では、歯科診療所に宮崎さんの名前がつけられ、今後、図書館にもつける予定だという。
さらに最大都市イスタンブールには、ミヤザキ防災公園。子供たちが、防災や交通について学んでいる。
ミヤザキ防災公園のエミネ・エルデムさんは「被災地で宮崎さんと一緒に働いたんです。世界の果て
からやってきて、わたしたちを助けてくれたことが、今、こうやって活動する情熱となっている」と話した。
トルコの人たちが口にするのは、遠く日本からやってきたヒーロー・宮崎さんへの感謝の思い。
それは、2つの国をつなぐ新たな絆となっている。
恵子さんは「人助けの1つの軌跡をつくってくれたのでは。志・活動を認めてたたえてくださるので、親と
しては、淳が喜んでいるだろうなと思って、嬉しいです。淳は天国で喜んでいると思います」と話した。

 

 

 

 

 

関連記事
スポンサーサイト

コメント

コメントの投稿


管理者にだけ表示を許可する

トラックバック

トラックバック URL
http://metalhorse.blog.fc2.com/tb.php/135-8d164b0b
この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)

FC2Ad

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。