筑紫の国の片隅で…

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一宮市教育委員会による言論弾圧では・・・

22日の産経新聞に「削除の中学校長ブログ 激励相次ぐ」と題した記事が載っていました。愛知県一宮市の市立中学の
校長が学校のHP上のブログに書いた文章を、市教育委員会から注意をされ、削除していたというものです。
この件に関して、中日新聞が2月18日の朝刊で報じていましたが、一宮市教育委員会の対応について問題視するどころ
か、何らの疑問も示していません。

(2月18日中日新聞朝刊より)
2月18日 中日新聞より

一宮市教育委員会・学校教育課の担当者によれば、2月18日から、この件に関して大変多くのご意見を電話で頂戴して
いるが、その殆どが市教委に対する抗議であり、校長を擁護する内容だそうです。 当然の反応でしょう。
市立中学校長は一般的な定説を紹介しているだけであり、偏向したり、間違った内容の話をしている訳ではありません。
校長の伝えたかった思いは、最後の文章「私たちは日本や日本人のことを決して卑下する必要はありません。皆さんは、
世界一長い歴史とすばらしい伝統を持つこの国に誇りを持ち、世界や世界の人々に貢献できるよう、一生懸命勉強に励
んで欲しいと思います」
に込められているのが伝ってくる、とても素晴らしい内容だと思います。
それを、「断定的な書き方」「個人の考え方を押しつけかねない」などとしか判断できない市教育委員会のほうこそ、一方
的な価値観と偏向思考に陥っているとしか思えません。
一宮市教育委員会による不当な圧力、もしくは左翼リベラルが好んで口にする「言論弾圧」と言えるのではないでしょうか。

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平成27年2月22日 産経新聞より
削除の中学校長ブログ 激励相次ぐ 神話や建国記述「間違ってない」
愛知県一宮市の市立中学の男性校長(56)が、学校のホームページ上のブログに、神話に基づく日本建国の由来などに
触れながら、自国に誇りを持つよう訴える記事を掲載したところ、市教育委員会から「神話を史実のように断定的に書いて
いる」との注意を受け、記事を削除していたことが21日、分かった。
学校側には教職員組合から抗議文も出されたが、「校長は間違っていない」 「感動した」などと記事内容を評価する声も
多数寄せられているという。ブログ記事は削除しなければならない内容だったのか。 (河合龍一)

◇「誤解招く」市教委注意
市教委や校長によると、校長は建国記念の日を前にした9日、朝礼で「日本の起源」について話し、同日午後に、その基に
なった原稿をブログに掲載した。
記事では冒頭、日本の建国について「初代神武天皇が即位した日が始まり」と記し、16代仁徳天皇が家々から炊事の煙
が上がらないのを見て民の窮乏を知り、税を免除して自らもつつましく暮らしたという「民のかまど」の話を紹介。
「この話は神話」と断った上で、「こうした神話こそが、その国の国柄を示しているとも言える」と書いた。その上で「皆さんは
世界一長い歴史とすばらしい伝統を持つこの国に誇りを持ち、世界や世界の人々に貢献できるよう、一生懸命勉強に励ん
でほしいと思います」と締めくくっていた。
記事を批判する電話が12日に1件寄せられたことを受け、市教委が校長を注意。校長は「生徒や職員に迷惑をかけたく
ない」として自ら記事を削除した。
中学社会科の学習指導要領では「神話・伝承などの学習を通して、当時の人々の信仰やものの見方などに気付かせるよ
う留意すること」と明記されている。
校長は、「神話を通じ、子供たちに『自分より人のため』という古代からの日本人の精神性を伝え、自国に誇りを持ってもら
いたかった」と話した。
市教委学校教育課は、「部分的に読むと史実と受け止められかねず誤解を招く」としている。
市教委にはこれまで「偏向教育だ」という匿名の手紙が1通寄せられたほか、一部報道を受け、賛否の電話が十数件あっ
た。学校側にも海外在住の日本人を含め、電話やファクスが多数寄せられ、大半が記事を評価したり、「削除する必要は
ない」などと校長を激励したりするものだという。
元公立小学校長で狭山ケ丘高校(埼玉県)校長の小川義男氏は、「神話と断っている上、学習指導要領にも即しており、
何の問題もない」と指摘している。

2月22日 産経 一宮市立中学校長のブログ全文

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2015年2月12日 産経WESTより
日教組教師発言に見る左傾「紀元節は嘘だらけ」 日本を否定する教育の異常
またあきれる左巻き、もとへ左向きぶりを聞いた。
「紀元節(建国記念の日)は嘘だらけの日」。ある中学校男性教諭の、授業での発言。山梨県で開かれた日本教職員組
合(日教組)の教育研究全国集会で報告された。天皇制批判などもしていたという(2月7日付産経新聞朝刊)。
古典的な左翼教師がまだ教育の現場にいるものだと、改めて知った。

◇日本の成り立ちを否定したGHQ
紀元節とは2月11日、いまの建国記念の日に当たる。明治6年に定められた。
戦後、連合国軍総司令部(GHQ)はこれを祝日とすることを認めず、昭和23(1948)年の祝日法からはずされた。
建国記念の日が祝日となるのは、ようやく昭和41(1966)年のことである。こうしたいきさつがどれほど周知されているか、
筆者は知らない。建国を祝う気配がこの日、この国に満ちているかと街を見渡せば、残念ながらあまり感じられない。
実は紀元節から建国記念の日への変遷は、戦後日本の左傾ぶりをよく示す事例なのだ。この機会に振り返っておきたい。
そもそも紀元節とは、初代天皇である神武天皇の即位の日。国の成り立ちに思いをはせ祝う日である。
いろいろと形は違っても、どの国家にもあってしかるべきものであり、大切にされるべきものだ。
戦後、昭和23年に当時の総理庁(後の総理府=現・内閣府)が行った世論調査では、国民の8割はこの日を祝日とする
ことを望んでいた。そのくらい人口に膾炙(かいしゃ)した日だった。
これを認めなかったGHQの見解は次のようなものだ。
「この日が許さるべきでない根拠は、それが神話的起源の日であるからだけではなく、むしろそれが…超国家主義的概念
を公認し、かつ一般占領目的に背くものだからである」(所功氏「『国民の祝日』の由来がわかる小事典」)。
GHQは、日本の「精神的武装解除」を占領方針のひとつとし、神道や神話を敵視した。昭和23年の祝日法では、それま
での祝日の宗教色は薄められた。例えば、収穫に感謝する11月23日の新嘗祭は「勤労感謝の日」という訳の分からな
いものになった。繰り返しになるがこのとき、建国の日は祝日からはずされた。

◇日本人による日本の否定
ところで、日本が独立を果たしたあとも昭和41年まで、建国記念の日が祝日とならなかったのはなぜだろうか。
この日を祝日とする議論は独立後、国会でもなされた。しかし実を結ばなかった。ここに戦後日本の左傾があった。
GHQが定めた方針を拡大再生産し日本という国を批判してやまない勢力が、日本のなかで猛威をふるってきたのだった。
建国記念の日の制定に反対する集会が開かれ、各団体から反対声明が出された。
建国記念の日が祝日となった翌年に出された、「紀元節問題」という冊子がある。進歩的知識人らの名前が並ぶ。
寄稿文や座談会には、こんな惹句(じゃっく)がついている。「紀元節復活をかちとった右翼は、つぎの計画として明治節-
明治維新百年-安保危機突破をめざし…」 「二月十一日は日本人にとって悪夢再現の日となった。反動政策の環が
着々とつながれつつある今日…」。国の成り立ちを祝うことは「右翼」であり「反動」とされている。あるいは、「紀元節復活問
題は、対米従属下の日本に軍国主義復活の軌道が設定された時期にそのイデオロギー的核心の一つとして登場した」。
少し戦後史に関心のある人なら、こうした文言に典型的な左翼臭をかぎとるだろう。
しかしこの文章がいうように、果たして日本はその後、軍国主義の道を歩んだのだろうか。
このような言説が猛威をふるってきたのである。このたぐいの言説は、戦争への反動から、戦争につながるとみなされるもの
をことごとく否定する。共産主義のイデオロギーが根底にあるか、ないしは容共的なのだが、表層的な部分では、日本を否
定することが「進歩的」であると訴える。戦争反対、憲法護持という点でこの言説は、集団的自衛権の行使や憲法改正に
反対する論調として現在も続く。 歴史観の点でいえば、慰安婦問題に見られるような自虐史観もこの思潮の延長にある。

◇神話は国民統合の物語
冒頭の「紀元節は嘘だらけの日」という中学教師の発言は、この偏った戦後日本の思潮を、よく示している。
中学教師はこう言ったという。
「神武天皇という実在しなかった天皇が、空から高天原に降りてきて日本を治め始めた、という嘘だらけの日」。
ニニギノミコトの天孫降臨神話と混同しているだけでなく、基本的に神話を敵視するGHQ的史観をそのまま現在に持ち出
しているといってよい。
神話は史実であるかどうかより以前に、国民が神話を持てるということが重要なのだ。国民を統合する物語が、神話なので
ある。そのような物語を持っているということは、国民の大きな幸なのだ。
このような左傾教師の言葉を教室で聞かされる生徒こそ、不幸である。
(河村直哉 大阪正論室長)





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テーマ:政治・経済・社会問題なんでも - ジャンル:政治・経済

ハート・クリーン・プロジェクト

拙ブログではマスコミ・メディアが報道しない沖縄の問題を何回か取り上げてきました。 沖縄県民でもない者が、余計
なことかもしれませんが、一人でも多くの人に沖縄の実態を分かってもらえればとの思いからですので、ご理解ください。

沖縄では反戦平和団体と称する連中が、米兵たちへの執拗な嫌がらせを続けていました。その行動は横断幕を持ち
、罵声を浴びせ、米兵の妻子が運転する車のボンネットに乗り上げるなど、常軌を逸したとんでもないものでした。
こうした沖縄の自称平和団体(略)の過激行動に対し、沖縄の人たちが起こした行動が、下の動画です。 (略)
政治活動なら何をしても許されるという考え方は、それ自体が大きな履き違えだと私は思います。
(小名木善行fbより)

【Real OKINAWA】2014/04/30 に公開
ハート・クリーン・プロジェクト  Heart Clean Project

HCP(ハートクリーンプロジェクト)とは、ヘイワ団体によるアメリカ人へのヘイト
スピーチ、ヘイトクライムで心を痛めた米軍兵士やその家族を励ます活動です。

フェンス・クリーン・プロジェクト  Fence Clean Project

Fence Clean Projectは、自称平和を標榜する方々によって赤く染め上げら
れた基地のフェンスを清掃し、もとの風景を取り戻していくボランティア活動です。

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2015年2月19日 KYODO NEWS 【共同通信社】より
米基地前のテント撤去要求 辺野古反対派に国道事務所

米軍普天間飛行場(沖縄県宜野湾市)の名護市辺野古移設をめぐり、沖縄総合事務局北部国道事務所(名護市)は
19日、辺野古反対派の市民らに対し、移設予定地に隣接する米軍キャンプ・シュワブのゲート付近の歩道に設置し
たテントや立て看板、横断幕を26日までに撤去するよう求めた。

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2015年(平成27年)2月19日 NHKニュースより
反対派テント撤去求め 文書で注意
アメリカ軍普天間基地の移設計画に反対する市民グループらが、移設予定地に隣接する基地のゲート前の歩道に設置
しているテントについて、道路を管理する国の国道事務所は「不法に道路を占有している」などとして、1週間以内に撤去
するよう文書で注意しました。
名護市辺野古のアメリカ軍基地、キャンプシュワブの沿岸部では、普天間基地の移設に向けた作業が進められていて、
基地のゲート前では移設計画に反対する市民グループらが、連日、抗議活動を行っています。
先月からは深夜の資材搬入などを阻止しようと、ゲート前を通る国道の歩道にテントを設置して24時間態勢で抗議を続
けています。
19日昼すぎ、道路を管理する国の北部国道事務所の職員4人が訪れ、「国道の敷地を不法に占有している」などとして、
1週間以内にテントを撤去するよう文書で注意しました。
これに対し、市民グループ側は受け取りを拒否し、文書は職員がそのまま持ち帰りました。
また19日午後4時すぎには沖縄防衛局の職員も訪れ、「テントの支柱などがアメリカ軍基地の敷地内にはみ出している」
として、1週間以内に支柱を撤去するよう求めました。
防衛局の職員がテントの前で文書を読み上げようとしたところ、市民グループ側の数十人が取り囲んで激しく抗議し、一時
警察の機動隊も出て現場は騒然となりました。

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2015年2月19日 読売新聞より
辺野古移設反対派に、テントなど撤去の行政指導
沖縄防衛局と内閣府沖縄総合事務局は19日、沖縄県の米軍普天間飛行場(宜野湾市)の移設先となる名護市辺野古の
「米軍キャンプ・シュワブ」ゲート前で抗議活動のため歩道上にテントを張るなどしている移設反対派に対し、今月26日
までにテントなどを撤去するよう行政指導した。シュワブ前での抗議活動について、期限を区切っての撤去要請は初めて。
ゲート前を走る国道329号の歩道には現在、反対派がブルーシートで囲うなどしたテントが約30メートルにわたって立
ち並び、歩道幅の約3分の2を占拠。支柱のパイプはシュワブのフェンスにくくりつけられ、敷地内にはみ出している。
防衛局と総合事務局北部国道事務所の職員は19日、撤去を求める文書を手渡そうとしたが、反対派は「帰れ」などと
反発し、受け取りを拒否した。このため、防衛局はフェンスに要請文を貼り出し、同事務所は文面を読み上げた。

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2015年2月20日 朝日新聞デジタルより
辺野古移設の反対派テント、国が撤去を指導
米軍普天間飛行場(沖縄県宜野湾市)の同県名護市辺野古への移設計画に対する反対派が座り込みのため国道沿い
に設置しているテントについて、内閣府沖縄総合事務局と沖縄防衛局は19日、反対派の市民に対し、26日までに撤去
するよう文書で指導した。
反対派は昨年7月以降、移設予定地を抱える米軍キャンプ・シュワブ前の国道で座り込みを続けている。
テントは、シュワブのフェンス沿いの歩道にシートやパイプを使って約20メートルにわたり設置。当初、座り込みは日中だ
けで、夜間はテントを撤収していたが、今年に入ってからは24時間設営されている。
沖縄総合事務局北部国道事務所は「許可なく設置されており、これまでも口頭で指導していた。24時間態勢になり、火の
取り扱いも見られて危険だ」と説明。沖縄防衛局は「施設区域の安全確保を阻害しているとして、米海兵隊から撤去要請
があった」としている。今後、行政代執行の手続きが取られる可能性もある。
座り込みをとりまとめる沖縄平和運動センターの山城博治議長は「運動として定着し、県民の支えもある。突然来て撤去
しろというのは冗談じゃない」と話した。

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2月20日 NHKニュースより
2月20日 NHK テント撤去指導は

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2013年11月7日 zakzak(夕刊フジ) 【沖縄の真実】より
移設反対派のシンボル・辺野古テント村の実態 地元は無関係の“座り込み”
米軍普天間飛行場の移設反対派にとって最大のシンボルといえば、名護市辺野古の「テント村」である。8年以上前から
座り込みが続けられ、地元住人がこぞって反対しているような印象を全国に広めている。
「米軍基地撤去」を掲げる野党の国会議員が沖縄を訪ねた際は、辺野古漁港にあるテント村を激励する報道も見られる。
本土からの修学旅行生の見学コースの1つにもなっている。
沖縄県民ですら「辺野古の人たちは移設に反対している」とだまされているが、(略)辺野古区の住民は普天間移設先で
ある地元の米海兵隊キャンプ・シュワブと歴史的に友好な交流を続けており、移設を条件付きで容認している。
では、テント村の実態とは何なのか。
私は辺野古漁港で漁業を営む人々に確認したが、彼らは「テント村には辺野古区の住民はいない」と断言していた。
テント村は「ヘリ基地反対協議会」という団体が名護市が管理する漁港施設の一部を不法占拠してテントを設置し、全国
の市民団体などに呼びかけて座り込みを続けているのである。地元とはまったく関係がないのである。
逆に、辺野古区の住民はテント村に不快感を示し、「テント村を撤去してほしい」と団体側に要求してきた。
らちが明かないため、辺野古区の区長は2012年3月、テント村の撤去を求め、区民763人分の署名を名護市の稲嶺進
市長に提出している。当時の全国紙の記事を見ると、普天間移設に反対している稲嶺市長が、「話し合いで解決できる方
向を模索したい」と応じたのに対し、辺野古区民からは「早く解決しないと、実力行使をしようという若者も出かねない」とい
う激しい意見まで出ている。
こうした経緯があるのに、沖縄メディアはいまだにテント村について、「辺野古移設に反対する住民らの座り込み」などと伝
えている。沖縄メディアが伝えるテント村のイメージは、実態と180度違う。(略)
キャンプ・シュワブのフェンスには、移設反対派がリボンやメッセージを書いた布などを貼り付けている。そこには団体名な
どが書かれているが、それを見ると殆どが本土から来た人たちであることが分かる。

仲村 覚…ジャーナリスト、沖縄の基地問題や尖閣問題、防衛問題の取材・執筆活動を続けている)




テーマ:沖縄問題 - ジャンル:政治・経済

海自輸送艦「おおすみ」 衝突事故の調査報告書公表

2月9日、昨年1月15日に発生した海上自衛隊の輸送艦「おおすみ」と釣り船「とびうお」の衝突事故についての事故調査
報告書が運輸安全委員会から公表されました。
私は、海自にも瑕疵が有ったかもしれないが、事故の大半の原因はプレジャーボート側に有ったと思っています。
小型船は、大型船に必要以上に接近しないのが世界中の船乗りの常識であると同時に、軍艦の航行を優先させるという
のは当たり前の事です。しかし不思議の国日本では自衛隊が関係する事故が起きると、「自衛隊のほうが悪い」という先入
観と決めつけで報道がなされます。一方、海上保安庁による捜査も、海自を“目の敵”にしているとしか思えない、公正な
ものとは言い難いものでした。
朝日は9日の記事で“釣り船乗船員、報告に憤り”として、釣り船「とびうお」に乗船していた寺岡章二氏と伏田則人氏の話
を紹介していますが、この二人の釣り客の矛盾だらけの過去の証言を紹介するどころか指摘さえしていません。
どうしても、自衛隊を悪者にしたくてしょうがないようです。
ちなみに、「衝突まで、まったく護衛艦に気付いていなかった」と証言し、「護衛艦は、ジグザグに蛇行してぶつかってきた」
とも言っていました。まったく気付いていなかったのに、どうして蛇行しているのが分かったのか不思議です。
また、「後ろからあたっているのは間違いない」と言っていましたが、「とびうお」の方が「おおすみ」の左後方にぶつかってい
るのは、どういうことでしょうか?私には、自己を正当化するために「ウソ」をついているとしか思えませんが・・・。


「ザ・ボイス そこまで言うか」 勝谷誠彦



事故調査報告書の詳細はをお読みください。

『船舶事故調査報告書』  平成27年1月29日 運輸安全委員会(海事部会)議決
http://www.mlit.go.jp/jtsb/ship/rep-acci/2015/MA2015-2-1_2014tk0001.pdf


平成27年2月 運輸安全委員会 【説明資料】
「輸送艦 おおすみ プレジャーボート とびうお 衝突」
http://www.mlit.go.jp/jtsb/ship/p-pdf/MA2015-2-1-p.pdf

おおすみ、とびうお 衝突

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~2月10日 産経新聞より~
2月10日 産経05

~2月9日 NHKニュースより~
2月9日 NHK 「おおすみ」事故

~2月9日 毎日新聞より~
2月9日 毎日 「おおすみ」事故

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2015年2月9日 朝日新聞デジタルより

◇おおすみ衝突事故、釣り船が針路変え接近 調査報告書
広島県沖の瀬戸内海で海上自衛隊の輸送艦「おおすみ」(全長178メートル)と釣り船「とびうお」(全長7・6メートル)が
衝突し2人が死亡した事故で、国の運輸安全委員会は9日、釣り船が衝突直前に右転し輸送艦に接近したのが主な原
因の一つとする調査報告書を公表した。輸送艦の減速や回避が遅かった点も一因とした。
事故は2014年1月15日午前8時頃、広島県大竹市の阿多田(あたた)島沖で発生。釣り船が転覆し、船長(当時67)
と同乗の男性(同66)が死亡した。
報告書では輸送艦の船舶自動識別装置(AIS)の記録などから、両船の位置や針路、速度を解析・推定した。
輸送艦は衝突約6分前の午前7時54分頃、針路を約30度左に転じ、以降は真南にほぼ一定の時速約32キロで直進。
釣り船は、輸送艦の左前方を時速28~30キロで南南西へ直進していた。
両船がそのままの速度で直進していれば、釣り船は輸送艦の前方約60メートルを左から右へ、斜めに横切るはずだった。
輸送艦の田中久行艦長(52)と当直士官だった西岡秀徳航海長(34)は、衝突の危険はないと判断。航海長は見張り
員を通じて、釣り船の船長が輸送艦を見ているのを確かめ、より距離を広げようと7時58分48秒ごろ減速を指示した。
艦長もさらに減速を命じた。ただ輸送艦は大型で急に減速できず、減速が始まるまで約1分かかった。
一方、釣り船は7時59分ごろから右転を始め、輸送艦の船首付近に近づいた。気づいた艦長と航海長は一層の減速と
警笛、右への回避を命じたが、釣り船は輸送艦の左中央から後ろへこすれるように接触。
右旋回中の輸送艦の船尾が左に振れて釣り船を押し、5回目の警笛が鳴った7時59分55秒から、輸送艦が救助艇の
用意を始めた8時0分24秒の間に、釣り船は転覆した。
この間、輸送艦は時速32キロから21キロへ減速。釣り船は輸送艦より低速か、止まっていたとみられる。
釣り船が右転した理由として、報告書は輸送艦の針路の右側に釣り場があったと指摘したが、船長の死亡により推測にと
どめた。助かった同乗者2人は調査に「衝突まで針路を変えていない」と話したが、阿多田島にいた目撃者の証言も踏ま
え、報告書では「同乗者は釣り船が徐々に右転したため、気づかなかった可能性がある」とした。
担当の事故調査官は、輸送艦の見張りに不備はないが、より早く減速や警笛などの対応を取れば衝突を避けられたとも
指摘。海上衝突予防法上の回避義務がどちらにあるかは、「事故の責任を問う立場にない」として明示しなかった。
一般的な再発防止策として、減速しにくい大型船のすぐ近くを小型船が通らないことや、大型船も小型船に警笛などで早
めに注意喚起することを挙げた。後藤昇弘委員長は「海自は報告書をよく読んで実行してほしい」と話した。
広島海上保安部は昨年6月、輸送艦の艦長と航海長、釣り船の船長の3人を業務上過失致死傷と業務上過失往来危
険容疑で書類送検。ともに見張り不十分の疑いがあり、広島地検が捜査を続けている。(工藤隆治)

〈海上衝突予防法〉 船の交通ルールを定めた法律。
2隻の船が互いに進路を横切る場合、衝突の恐れがあれば、相手を右側に見る船に回避義務がある。
一方、後ろから別の船を追い越す場合は、追い越す側に回避義務がある。
どちらが適用されるかは、互いの角度や位置関係で決まる。ただ、切迫した危険な状況では例外規定
もあり、船員には適切な判断による最善の回避動作が義務づけられている。


◇釣り船乗船員、報告に憤り 海自艦事故「右転あり得ぬ」
海上自衛隊の輸送艦「おおすみ」と釣り船「とびうお」の衝突事故で、運輸安全委員会の報告書は釣り船の旋回を原因
に挙げた。釣り仲間2人が犠牲となり、助かった人には、割り切れない思いが残る。
過去の海自艦の事故では、事実認定が揺れている。
「今でも、とびうおは真っすぐ進んだと思っている。『右に曲がる』なんて絶対にあり得ない」
とびうおの乗船者で救助された寺岡章二さん(68、広島市中区)は、報告書の内容に憤った。もう1人の生存者の伏田
則人さん(68)も「納得できん」と語った。
とびうおの航跡は船舶自動識別装置(AIS)や15秒間隔で記録したおおすみのレーダー映像などで解析。
だが、レーダー映像は、海面の反射に紛れて事故の5分ほど前から、とびうおの記録はない。
報告書は、おおすみ乗員や阿多田(あたた)島=広島県大竹市=の目撃者の証言などをもとに、とびうおが衝突1分前
ごろから右に曲がり始めて接近した可能性が高いと分析。
両船が同じ針路と速度で航行を続けていれば、とびうおがおおすみの前方60メートルを通過した可能性を指摘した。
寺岡さんと伏田さんは運輸安全委の調査で「とびうおは針路を変えていない」と証言。だが、報告書は「(とびうおが)徐々
に右に転針したことから、気づかなかった可能性がある」として採用しなかった。
一方で高森昶(きよし)船長が死亡しているため、「(右に曲がった)操船の意図を明らかにできなかった」とした。
高森昶(きよし)船長(当時67)と約30年間ともに暮らしていた栗栖紘枝さん(71)は、「寺岡さんらの証言が無視され、
亡くなった主人が悪者になるなんて納得がいかない」と語った。
栗栖さんから相談を受けている海難事故に詳しい田川俊一弁護士(79)は、「右手に大きな船が迫っているのに、右に
曲がったとは一般的に考えにくい」。おおすみ側の問題点として「南に針路を変えた時の判断は適切だったのか。その時
おおすみはとびうおに注意する義務があったのではないか」と疑問を示した。
(根津弥(わたる)、国米(こくまい)あなんだ、杢田(もくた)光)

海の事故、割れる判断
海自の艦船が民間船と衝突した過去の事故では、原因究明と行政処分を担った海難審判と、刑事責任の有無を審理
する刑事裁判で原因や責任の判断が揺れた。
道路や信号のある陸上と違い、海の事故は位置関係や航跡を特定しにくく、どちらに回避義務があるのか判断が難しい
からだ。
潜水艦「なだしお」は1988年、大型釣り船第1富士丸と神奈川県横須賀沖の東京湾で衝突し釣り客ら30人が死亡した。
運輸安全委員会の船舶部門の前身の海難審判庁は、双方の回避の遅れが原因として、二審で同等の過失を認定。
しかし、刑事裁判はなだしお側に主因を認め、元艦長の有罪判決が確定した。
2008年にはイージス艦「あたご」が漁船清徳丸と千葉県房総半島沖で衝突し、漁船の2人が死亡。
海難審判はあたごに回避義務があり、監視不十分と判断した。刑事裁判では一転、航跡からあたごに回避義務はなかっ
たと認定し、あたごの操船責任者だった自衛官2人の無罪が確定した。
08年に機構改革した現在の海難審判所は、国土交通省が認定する免許の取り消しなど行政処分のみを担い、原因究
明の役割は運輸安全委員会に移された。
今回のおおすみの事故では、処分対象となる釣り船の船長が死亡し、海自側の艦長や航海士は自衛隊の内部資格のた
め、海難審判は開かれない。
海自は「捜査に全面的に協力する。運輸安全委の調査結果を参考に、原因究明と再発防止に全力を挙げる」との談話を
発表した。 (工藤隆治)




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平成27年 奉祝・紀元節!

      皇紀2675年  乙未(きのとひつじ)の年

   


~首相官邸HPより~
「建国記念の日」を迎えるに当たって

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本日の産経新聞1面に“建国の日「知っている」2割未満”という、愕然とするような記事が載っていました。
約8割の国民が、「瑞穂の国」の成り立ちを知らないということです。同じ日本人として、これ程嘆かわしいことはありません。
国の成り立ちを知らずして、どうして自国を愛することができるでしょうか・・・。「古事記」や「日本書紀」を歴史的根拠に基づ
かない“神話”だと否定し、戦後、教育の場から排除し、子供たちに教えてこなかった結果がこれです。
我が国の神話を否定しておいて、ギリシャ神話は問題視しない。左翼リベラルや天皇否定派の主義主張は矛盾ばかりで
理解に苦しみます。せめて、天孫降臨や国譲りの話などを外国人に語れるように、歴史ではなく国史として子供たちに教え
る必要があるのではないでしょうか。
それにしても、60歳以上の約55%が建国の日を知らないとは・・・。日の丸掲揚をしている家を見かけることが少なくなる
のも当然ですね。。。


2月11日 産経 建国の日を
 (2月11日 産経新聞より)

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2015年2月10日 zakzak(夕刊フジ) オレンジ世代の健康歳時記より

建国記念の日と初午 日本を愛する心養う

2月11日は「建国記念の日」。初代天皇の神武天皇建国の聖業を偲(しの)び、祖国日本の永遠の繁栄と世界の恒久
平和を祈る日で、日本を愛する心を養う祝日です。昔は、「紀元節」という祝日で戦後になって廃止されましたが、昭和
41年に国民の祝日に追加されました。「建国記念日」と間違いやすいのですが、建国された日ではなく、建国されたこと
を記念する日という考えで、正式には「建国記念の日」。 全国の神社では、紀元祭、建国祭という例祭が行われます。
また、昭和12年のこの日、文化の発展に優れた業績を上げた各界の人に、文化勲章を贈ることに決まった文化勲章制
定記念日でもあります。選ばれた文化功労者には、11月3日の文化の日に文化勲章が授与されます。
今年は、「初午(はつうま)」も2月11日です。2月最初の午の日には、全国の稲荷神社で「初午祭」が行われます。
農業と商業の繁栄をお稲荷さまに願う日で、この日に馬に乗りキツネが降臨したという言い伝えによるものです。
灯明をあげ、お神酒や赤飯の他に、キツネの大好物の油揚げを供えます。稲荷社の総本宮は、京都の伏見稲荷神社。
赤い鳥居、狐の石像、正一位稲荷大明神と書かれた赤いのぼりが目印です。稲荷の名は、いねなり(稲生り、稲成り)
が語源で、稲が成育すること、稲を担(にな)うことを意味します。(後略)

クリスティーン デリコ
個人鑑定、歳時記講座、起業セミナー、桜美林大学アカデミーの講師を務める

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平成27年2月11日 産経新聞 【主張】より

建国記念の日 「よりよき国に」の覚悟を

わが子の誕生を喜ばない親はまず、いまい。その後の子供の成長を願わない親もいないはずで、「這(は)えば立て、立
てば歩めの親心」とはまことにもって至言である。 国家についてもまったく同じことが言えるのではなかろうか。
日本書紀によれば日本国の誕生(建国)は紀元前660年で、その年、初代神武天皇が橿原の地(奈良県)で即位した。
明治6年、政府はその日を現行暦にあてはめた「2月11日」を紀元節と定め、日本建国の日として祝うことにしたのであ
る。
西欧列強による植民地化の脅威が迫るなか、わが国は近代国家の建設に乗り出したばかりで、紀元節の制定は、建国
の歴史を今一度学ぶことで国民に一致団結を呼びかける意義があった。
先の敗戦で紀元節は廃止されたものの昭和41年、2月11日は「建国記念の日」に制定され、祝日として復活した。
「建国をしのび、国を愛する心を養う」と趣旨にうたわれているように、国家誕生の歴史に思いをはせる大切さは、今もも
ちろん変わっていない。
ただ忘れてはならないのは、親心と同様に、誕生以後の日本を少しでもよい国にしようと、先人らが血のにじむ努力を重
ねてきたことである。現在を生きる国民もまた、さらによい国にして次の世代に引き継がねばならない。
慶応義塾の塾長を務めた小泉信三は昭和33年、防衛大学校の卒業式で祝辞を述べた。その中で小泉は、先人の残
したものをよりよきものとして子孫に伝える義務を説いたうえで、こう続けた。
「子孫にのこすといっても、日本の独立そのものが安全でなければ他のすべては空(むな)しきものとなる。然(しか)らば、
その独立を衛(まも)るものは誰(だ)れか。日本人自身がこれを衛らないで誰れが衛ることが出来よう」(小泉信三全集
から)
57年前の言葉がそのまま、目下の国防への警鐘となっていることに驚かされる。中国の領海侵入などで日本の主権が
脅かされているばかりか、国際的なテロ組織によって国民の命が危険にさらされてもいる。
だが、わが国の現状は、自らの国防力を高めるための法整備も十分ではなく、その隙をつかれて攻撃される恐れもある。
紀元節制定時に倣って今こそ、国を挙げ「日本人自身が日本を衛る」覚悟を決めなければならない。

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2015年2月11日 世界日報【社説】より

建国記念の日、民族と国家の原型見詰めたい

きょうは「建国記念の日」。初代神武天皇が橿原宮で即位され、国の礎が築かれた日である。建国の歴史に思いを馳
(は)せ、これからの日本を考えたい。

◇現代に生きて繋がる神話
敗戦後、GHQ(連合国軍総司令部)によって「紀元節」が廃止された。「建国記念の日」として復活したのは昭和42年
のことで、法案提出から10年近くかかった。それは、一部の歴史家や当時最大野党だった社会党が反対したためだ。
社会党は「神武東征」の物語が、日本の軍国主義や対外侵略に利用されたと主張。一部歴史家は、神武天皇の即位
の年月が、学問的根拠に欠けるとして反対した。しかし、これらは論理の飛躍が明らかで多くの日本人の歴史感覚から
も懸け離れたものであった。
もちろん「神話」から「歴史」に移り変わる時代であり戦いが多かったことは当然である。また百歩譲って、神武東征神話
が対外侵略に利用された面があったとしても、その史実ないし伝承自体に責任があるのではない。
かつてほどの反対はないものの、その影響は今なお尾を引いている。
世界の国々には建国や独立を記念する日が定められており、多くは近代国家としての誕生を祝っている。
そのため、自由や平等などの分かりやすい建国理念が謳(うた)われている。
これに対し歴史の古い日本の場合は、近代的な理念ですっきりと提示できるというものではない。神武東征と大和平定
の建国物語は、高天原神話や出雲の国譲り、天孫降臨などからの繋(つな)がりの中で語られている。
それ故に、民族の「原型」を宿しながら、国家の出発点が語られているという点でユニークであり、懐が深いと言える。
一見素朴な物語の中から「原型」を探り、また祖先たちのメッセージを読み取ることが、我々に課せられた責任である。
そして何より、神武天皇以来の歴史は、皇室の存続を通して現代に生きて繋がっていることに目を向けるべきだ。
これは、世界史の奇跡と言っていいほどの誇るべき事実である。
日本は今、歴史を取り戻す作業の途上にある。戦後の反国家主義の流れの中で自虐的な歴史観が大手を振ってきた。
それを改め、より正確な等身大の歴史として認識する作業が始まりつつある。しかし、そこで避けなければならないのは、
周辺国の極めて政治的かつ感情的な動機によって提起されたいわゆる歴史問題に対し、同じく政治的、感情的に応じ
ることである。あくまで、学問的な冷静な立場を堅持すべきである。

◇真っ直ぐ歴史に向き合う
建国の歴史から日本民族と国家の原型を見詰めることの意味は、そういう面でも重要と思われる。
その歴史は、いたずらに自己を美化するわけでもなく、卑下する姿勢もない。民族の大らかで、時には赤裸々な、時には
哀切な物語に満ちている。われわれの先祖が持っていた真っ直ぐな心で、この国の歴史を見ていきたいものだ。





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1月の訃報ですが・・・

以下の投稿は、1月24日か25日にUPしたと思っていたのですが、小生の手違いか勘違いのためUPされていませんで
したので、内容を一部追加し、改めて投稿させてもらいました。

昨年1月17日に声優の加藤精三さん(「巨人の星」の星一徹役など)が86歳で、27日には同じく声優の永井一郎さん
(「サザエさん」の磯野波平役など)が82歳で鬼籍に入られました・・・。 そして1年、またベテラン声優さんのお一人が
この世を去られました。声優界の大御所的存在だった大塚周夫さんが、1月15日、虚血性心不全でお亡くなりになられ
ました。享年85歳でした。
                    大塚周夫
洋画の吹替えでは、リチャード・ウィドマークやチャールズ・ブロンソンなど渋みのある俳優を担当されていました。
アニメでは、「ルパン三世」の初代石川五右衛門をはじめ、「ゲゲゲの鬼太郎」のねずみ男、「美味しんぼ」の海原雄山や
「忍たま乱太郎」の山田先生などの吹き替えをされていましたね。
時の流れとはいえ、慣れ親しんだ声優さんが一人、また一人とこの世を去られるのは淋しい限りです。皆さん、あの世で
集まってアテレコ大会でもやって、息の合った会話とアドリブ連発で楽しんでいらっしゃるかもしれませんね・・・。
謹んでご冥福をお祈りいたします。。。

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2015年1月17日 朝日新聞デジタルより
大塚周夫さん死去 共演者ら追悼
アニメ『ゲゲゲの鬼太郎』のねずみ男や『美味しんぼ』の海原雄山の声で知られる、声優で俳優の大塚周夫さん
(享年85)の訃報を受け、生前の共演者らがブログやツイッターを通じて悲しみをつづっている。
『美味しんぼ』で息子・山岡士郎を演じた井上和彦は、17日にツイッターで「え?今知った。大塚周夫さんが…」と
の書き出しで「心からご冥福をお祈りいたします」と追悼。
「美味しんぼの時は朝一緒にコーヒー飲みながらいろいろな話を聞かせてくれたな~」と回顧し、「ありがとうござ
いました」と感謝した。
『バビル2世』で共演した神谷明は自身のブログで「本当に驚いています。初めての主役、バビル2世の収録の時
には、いつも隣に座って下さり、ご自身の体験談などを沢山お話してくださいました」と思い出を振り返り「大塚さん、
ゆっくり休んでください。いつまでも忘れません」とつづった。
『機動戦士ガンダム』のアムロ・レイ役の古谷徹はツイッタで「僕が子役の頃からだから、もう40年以上のお付き合
いだ。ことあるごとに演技に関する独自の拘りをお話ししてくれた。演技も人柄も個性的な、素晴らしい役者だった。
謹んでお悔やみ申し上げます」とツイート。
また、『うしおととら』の原作者・藤田和日郎氏は、大塚さんが「とら役」を演じた時を思い出しながら「寂しいっす。
大塚さん。とらを生かしてくれて、どうもありがとうございました」と偲んだ。
大塚さんは東京都出身。『ONE PIECE』のゴールド・ロジャーや『忍たま乱太郎』の山田伝蔵のほか、吹き替えでは
米俳優のチャールズ・ブロンソンを担当していた。

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2015年1月23日 日刊スポーツより
大塚周夫さん葬儀、野沢雅子らが弔辞
15日に虚血性心不全で亡くなった、声優で俳優の大塚周夫さん(享年85)の葬儀・告別式が23日、東京・青山葬儀所
で営まれた。この日は大塚さんがねずみ男を演じた「ゲゲゲの鬼太郎」で主人公鬼太郎を演じた声優野沢雅子と、山田
伝蔵先生役を演じたNHKEテレのアニメ「忍たま乱太郎」の原作の漫画「落第忍者乱太郎」の作者・尼子騒兵衛氏が
弔辞を読んだ。
野沢は「チカさん、呼びかけても、今日はもう返事ないね。ひどいわよ。私に別れの言葉を言わすなんて…どうしたらいい
の?」と涙ながらに祭壇に語りかけた。
尼子氏は「中学の頃、洋画が大塚さんとの出会い。“ひと聞きぼれ”という言葉があっていいと思うほどほれ、アイドルを
追いかけるように追いました。『忍たま乱太郎』がアニメ化される時『ワガママは申しませんが、伝蔵先生の声は大塚さん
で』とお願いしました」と涙した。
喪主を務めた長男で声優の大塚明夫は、父の遺影に向かって「おやじ…僕がこの道(声優)を始める一歩を踏み出し
て、父と子だったもの(関係)が師匠と弟子に変質し、おやじの背中を見て育ったのか師匠の背中を見て育ったのか…。
弟子として…と言うより、子から親へ一言だけ。おやじ…ありがとう。そして、お疲れ。ほんじゃあ、またな」と語りかけた。
この日は野沢のほか、井上喜久子、田中真弓、平田広明、森田成一、山寺宏一、田中理恵夫妻ら、声優界を中心に約
250人が参列した。関係者によると、大塚さんは戒名はつけなかったという。

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2015年2月7日 産経ニュース 【さらば愛しき人よ】より
声優、大塚周夫氏
「ブロンソン」「ねずみ男」「ゴールド・ロジャー」…“声の彫刻家”亡くなった日も「収録」


 ゲゲゲの鬼太郎のオールナイトニッポンの収録で
 (ゲゲゲの鬼太郎のオールナイトニッポンの収録にて)

63歳のとき、体力低下などの理由から俳優を引退し、声優に専念する。声優としての当たり役は数多い。
日本では、男性用化粧品のCMで広く知られた米国の俳優チャールズ・ブロンソンの吹き替えをはじめ、アニメ「ゲゲゲ
の鬼太郎」のねずみ男、「チキチキマシン猛レース」のブラック魔王、「美味しんぼ」の海原雄山、「ワンピース」のゴール
ド・ロジャー…。
昭和40年代にテレビで洋画を楽しんだ日本人なら、著名俳優の吹き替えを誰が担当しているかそらで言えたはずだ。
アラン・ドロンなら野沢那智、クリント・イーストウッドなら山田康雄、マリリン・モンローなら向井真理子、オードリー・ヘプ
バーンなら池田昌子、そしてブロンソンなら大塚さん。この組み合わせは絶対に崩せない。
大塚さんは男らしさの権化であるブロンソンと完全に一体化していた。多くの視聴者は大塚さんはブロンソンに似た風
貌をしていると勝手に思いこんでいたように思う。
同じように向井真理子はセクシー、池田昌子は清楚な美貌を持った女性に違いない、と感じていた。
それが、ずるさの権化であるねずみ男の声を演じるとは。この落差。プロとはそういうものかもしれない。
テレビドラマのアクション俳優として売り出していた1961年、東京新聞のインタビューで大塚さんは「子供のときには彫
刻家になりたかった」と発言している。父の辰夫は日展無鑑査の彫刻家、叔父は「東洋のロダン」と称された彫刻家の
朝倉文夫。文夫の娘は舞台美術家の朝倉摂。芸術一家の生まれであった。東京都出身。
中学時代にボクシングとダンスを始め、自らの体を彫琢(ちょうたく)しながら上野の美術学校をめざしていた。ところが、
新宿第一劇場で見た芝居に心奪われ、戦後創設された劇団東俳に入り役者稼業に。
テレビドラマの放送が始まると、鍛え抜かれた身体を見込まれ、悪役のアクション俳優として重用された。特に殴られ役
として丹波哲郎さんに愛されたという。
米俳優リチャード・ウィドマークに憧れ、彼の芝居を熱心に研究していたおり、テレビで洋画の吹き替えが求められるよう
になる。テレビ関係者に「ウィドマークの吹き替えをやらせてほしい」と頼んで回り、願い通りその仕事を獲得する。
こうして、俳優と声優の掛け持ち人生が始まった。
先輩俳優である森川信さんの影響で自在な「間」を体得しようと寄席に通った。趣味はヘラブナ釣りだが、釣り仲間の言
動を観察して、「間」を研究した。2004年、朝日新聞でこう語っている。
「ある若手が、声の仕事は塗り絵みたいなものだって言った。決められた所に決められた色をあてはめる、という意味で
しょう。僕は絶対違うと思う。彫刻なんだ。声でその役に立体感をださなきゃ意味がない」
まさに声の彫刻家として歩んだ後半生だった。長男の声優、大塚明夫さんによると、亡くなったその日も吹き替えの収録
をしたという。

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2015年01月21日 NHKオンライン BSコラムより
追悼 大塚周夫さん
1月15日に、クセのある脇役を演じさせたらピカイチと定評のある、俳優・声優の大塚周夫さんが亡くなられました。
生前、何度かインタビューさせていただきましたので、ご遺族である長男・明夫さんのご了解を得て、大塚さんの足跡を
たどりながら、その言葉のいくつかを再録し、故人をしのぶこととさせていただきます。 (略)
大塚さんは、親しい人には「ちかちゃん」という愛称で呼ばれていました。風貌を思い浮かべると、笑みを浮かべている顔
しか出てきません。いつも、にこやかに話される方でした。
お話ししていると「ようござんす」、「しちまう」、「そっすね」などの昔懐かしい東京下町の言葉がよく出てきました。ですか
ら下町の生まれだと思っていましたが、うかがってみると生まれは東京・山の手の世田谷だそうです。
趣味は人間観察と釣りでした。特に釣り(池や川専門)は大好きで、今のお住まいを決めた時も、近所に釣りができる池
があったからだとおっしゃっていました。また、釣りに行くと、いろいろな方が居て、よく観察することで、演技の勉強になっ
たとも……。
大塚さんの役者人生は長く、さまざまな経験を積んできたそうです。例えば戦後まもなく、ショービジネスの世界に入った
きっかけは戦前にダンスを習っていたからだそうです。これはもともと身体が弱かったため、ダンスを習わされたからだ
そうで、ソシアルからタップまで、数多くのダンスを会得していらっしゃいました。タップダンスでは、その昔、有名店だった
赤坂にあるグランドキャバレー(今の“キャバレー”とは異なり、歌や踊りを食事しながら楽しむ場所だったそうです)にも
出演していたそうです。

大塚:戦争で死んじゃったけど、ボクには歳の離れた兄がいてね、ダンス教室にボクを通わせるよう母に勧めたんです。
戦前だけど時局が厳しくなっていたから、高校生が繁華街を歩くと問題になる。そこで『弟の迎えです』と言って、兄は
ダンス教室のある新宿をぶらついていたというわけ(笑)。
戦後、進駐軍がやってきて、あちこちのキャバレーでダンサーが必要になったんです。オーディションがあって、ダンサー
はABCのランクに分けられるんだけど、それに合格してダンサーをやっていたの。おかげで姿勢が良くなって、自然とこ
う(上着の胸元を広げる仕草をしながら)胸の部分がスッと張れるの。だから見栄えが良くって『大塚さん、良い洋服着
てるんですか?』って、よく言われました。ダンスもクラッシック(手を伸ばしてソシアルダンスの仕草をする)からタップま
でやっていたから(いきなり立ち上がって足を踏み鳴らす)。

ダンサーとして活躍していた大塚さんですが、膝の関節炎を患ったため、芝居の道を志し、劇団東芸に入団します。
この頃はまだテレビ放送も始まっておらず、当然、吹き替えなどの仕事もありませんでした。大八車などに小道具や衣装
などを積み、都内の小学校などを回って、昔話を題材にした芝居を演じて糊口(ここう)をしのいでいました。
やがてラジオドラマの仕事が少しずつ来るようになり、続いてテレビドラマの仕事が入るようになったそうです。

大塚:ラジオも最初はドラマのエキストラばかりで、俗に言うガヤでした。その後、テレビドラマや映画に端役で出るように
なったの。ほとんどが殴られてのびるチンピラ役ばかりだったけど(笑)。

そうした中で外画(がいが・外国制作の映像作品)の声優をやろうと思うきっかけが訪れます。

大塚:たまたま観た映画に出演していた、俳優のリチャード・ウィドマークの芝居が気に入って、何度も観て、その凄みの
ある演技を研究したのがきっかけ。そのあと外画の吹き替えが始まると、TV局にリチャード・ウィドマークの吹き替えをや
らせて欲しいと売り込みに行ったの。当時、そんな変なことを言う奴はほかにいなかったし、NTV(日本テレビ)のプロデ
ューサーに、それならやらせてみようと、『襲われた幌馬車』(1956年アメリカ・NTV初回放送は1963年10月13日)の
仕事が来たんです。そこで念願のウィドマークの声を演じたの。

ウィドマークの役は、コマンチ族に育てられたコマンチ・トッド役で、映画では主人公でした。
この作品以降、舞台と吹き替えの両方をこなすようになっていきます。大塚さんは吹き替えの黎明期である1950年代、
外画の吹き替えだけでも1か月に48本やったこともあるそうです。これは、当時、いかに売れっ子だったかを物語る数字
と言えるでしょう。
やがて、当時はまだテレビまんがと呼ばれていたアニメ作品のレギュラー出演が立て続けに決まります。それが「ゲゲゲ
の鬼太郎」のネズミ男役と、「チキチキマシン猛レース」のブラック魔王でした。この頃になると、リチャード・ウィドマークと
チャールズ・ブロンソンの吹き替えは、各局とも大塚さんに依頼するようになっていました。
なお、当時は、ジョン・ウェインなら小林昭二、アラン・ドロンなら野沢那智、オードリー・ヘプバーンなら池田昌子、という
ように、声のキャスティングが俳優ごとに決まっていた時代でした。現在、キーファー・サザーランドやジョージ・クルーニ
ーの吹き替えといえば小山力也さんが担当する、といった形式はこの延長線にあると言えます。
そうした中で大塚さんは、その歯切れの良い滑舌と、アドリブも多用したはまり役を得ます。新聞記者のカール・コルチャ
ックが、さまざまな怪事件に出会い、怪物や超常現象と戦う異色の海外ドラマ『事件記者コルチャック』でした。

大塚:コルチャックを演じたダーレン・マクギャヴィンっていう俳優さんは、けっこう気難しい人なんだそうです。お芝居に
アドリブがそうとう入っているらしい。ですから、その感じを出すために、台本になくても、向こうの口の動きに合わせて入
れたり、また背中を向けたときに音声がなくてもディレクター(『事件記者コルチャック』の演出は、『ER 緊急救命室』
と同じ佐藤敏夫さん)と相談して入れたりしました。
そうした演技には演出家・俳優の早野寿郎から誘われて入った俳優小劇場での経験が役に立ちました。コルチャックが
ゾンビの口に塩を詰めて糸で縫うときなんかも、『やだね、あー、いやだいやだ』とかぼやくでしょ。ああいう台詞(せりふ)
は台本にはなくてあたしのアドリブなんです。あのシリーズでは、『やだね~』と『やだね』と『やだやだ』、『やっだっねぇ
え』、みんな違うんですよ。場面によってはいくらでも「やだね」が入れられたの。だから、たくさん使ったねぇ。アドリブは、
コルチャックを演じる前に『ブラック魔王』で、さんざんやらされましたからね…

米国のアニメ「チキチキマシン猛レース」や、そのスピンオフ「スカイキッドブラック魔王」では、原音には台詞があまりな
いため、収録の時は朝から晩まで、何度もアドリブを交えながらリハーサルをしたそうです。犬のケンケン役の神山卓三
さんは、あの「クッシッシッ」っていう独自の笑い声が決まるまでは、何度もテイクを重ねられたそうです。
現在の海外ドラマでは、製作会社の意向で、台詞の変更や、現場でアドリブを入れるのは禁止されていますが、当時は
かなりおおらかだったそうです。

大塚:あるとき『チキチキ』の収録現場に制作会社のハンナ・バーベラ・プロダクションの担当者が見学に来て、ボクらが
演じているのを見て『どうぞご自由にやってください』と言ってくれたもの。 面白くしようという気持ちがみんなにありまし
たから。

大塚さんが演じた『事件記者コルチャック』の主人公コルチャックは、江戸っ子みたいなべらんめぇ口調が多かったので
すが、そのヒントになった作品があります。

大塚:映画『男はつらいよ』の初代おいちゃん役の俳優で有名な森川信さんという人がいるんだけど、あの方はコメディ
アンもやっていたの。一緒に仕事させていただいてからその影響で落語を勉強して、その成果が『あらやだ!』『?なんす
かねぇ』とか、面白い間(ま)を覚えたんです。 海外ドラマの場合は、束縛があっても、その中でどのくらい自分の演技が
できるかが問題なんです。

役者にとって大事なことはなんでしょう? という質問には、こういうお答えが返ってきました。

大塚:良い芝居を見て勉強するのも大切。そしてやはり“間”は大事です。間だけで芝居する人が大好きなんです。あとは
人間観察。ボクは趣味がヘラブナ釣りなんだけど、釣り仲間を観察するの。
『どう?』と訊いて、パッと『全然ダメ!』と間のない人もいるし、『………今日はだめです』と間をすご~く、とる人もいる。
そうした人たちの“間”を覚えて、頭の中の引き出しに入れておくわけ。

映画や海外ドラマ、アニメなどで様々な役を演じている大塚さんは、画面を観ただけで、演技プランがひらめくそうです。

大塚:そうね。ここ(頭を指す)に色々なしゃべり方とか間が入っているの。だから画面を観たらスッと入っていけるんです。
ああ、このキャラクターはあれとあれを組み合わせて、こうすればいいとか出てくるんです。

そうした吹き替えの仕事中で、もっとも勉強になったのは、NET(現テレビ朝日)の日曜洋画劇場だったといいます。
この映画枠、毎週約30人が固定でキープ(拘束)されていたそうで、それも達者な人ばかり。そのメンバーで毎回吹き替
える作品の配役を決めていく……。つまり、同じ劇団で毎週、異なる公演を行うようなモノだったそうです。

大塚:だから毎週、収録スタジオに行って、30日に1回くらいのペースで主役が来る。1回主役したら、あとはちょい役で
かまわないんですよ。その代わり、『あ、じゃあ俺やるよ。それもやるやる、大丈夫』なんつって。『ここ空いてんのに誰か入
れないの?』『じゃあ二役やっちゃえ』とかね…。

最近はご自分が声の出演をされた作品を、家で見返すこともあるそうです。

大塚:若い頃のは恥ずかしいんで、あまり見たくないです。自分で意識してこうありたいというふうになってからは、どのく
らいできているか見たいことがありますけど、むやみやたらとやっている頃のは、恥ずかしいほうが多い。
『コルチャック』はもう少し役者が目覚めていますから。このくらいやりゃあどこに出しても平気だろうって(笑)。
ナレーションなんかとくに一所懸命やりましたよね。どなたでもけっこうです、勝負しましょうっていう気持ちありますもん、
コルチャックは。

インタビューを行った時は、メインが『事件記者コルチャック』についてでした。大塚さんに、このシリーズのパイロット版
(2本あります)の日本吹き替え版がないと説明すると「やりてぇなぁ。元気なうちに」とおっしゃっていました。
今ではそれもかなわぬことになりましたが、今まで吹き替えされた多くの作品が、ソフトとして遺(のこ)されています。
これからはそうしたソフトでしか、お声をお聞きすることができないのかと思うと残念でなりません。
ご長男で、同じく声優業についていらっしゃる大塚明夫さんによると、周夫さんは、亡くなった当日も収録されていたそう
です。 まさに「生涯現役」を絵に描いたような人生でした。 大塚さん、長い間お疲れさまでした。

by 岸川靖(編集者・ライター)









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戦後70年、35回目の「北方領土の日」を迎え

35回目の「北方領土の日」の2月7日、全国各地で多くのイベントが催されました。TVにおいても「北方領土の日」を知ら
せる政府広報が頻繁に流れていました。
安倍総理は東京都内で開かれた「北方領土返還要求全国大会」において、「北方四島の帰属の問題を解決し、ロシアと
平和条約を締結するとの基本方針にのっとり、問題の最終的解決に向け、粘り強く取り組む決意だ」と述べていました。
私たち世代にとっては、日本の領土である北方四島がロシアの不法占領から一日も早く返還されることを願い、声をあげ
るのは当然のことだと思っています。ところが、今の若い世代は違うようです。歴史を知らない故の無知なのか、日教組の
洗脳教育の成果なのか・・・。「若者よ、日本の未来を任せて大丈夫なのか?」と思わせる記事が、週刊SPAに掲載されて
いました。

        色丹島に残る最後の日本建造物
        (色丹島に残る最後の日本建造物 … 2012年撮影)

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「北方領土の日」CM
今年は例年にも増して、2月7日の「北方領土の日」を知らせる政府広報を多く目にしたのではないだろうか。
2009年の鳩山政権時におこなった「事業仕分け(行政刷新会議)」により、大幅な予算カットを余儀なくされた政府広報
番組が軒並み姿を消したため、このように同種の政府広報が繰り返しテレビで流されるというのは久々のような気もする。
今年が戦後70年の節目に当たるだけでなく、現在、安倍政権が推し進めている対ロシア外交の先を見据えて、このタイ
ミングで北方領土問題を広く国民の間に啓発することが目的であることは容易に想像できるのだが……。
残念ながら、このCMに対する評判がすこぶる悪いのだ。
「国民の愛国心煽る目的しか考えられない。キナ臭くなってきたよ…」
「北方領土は日本の領土です! とかいうCM怖いよ」
「北方領土は日本のものです、ってCM初めてみた。少しぞっとした。静かに何かが始まってる感じ」
「最近『日本の領土なのに日本人が住めない土地があります』ってCMが流れてる。一瞬『福島?』って思ったのは
我が家だけではあるまい。北方領土についての政府公報と分かってげんなり。北方領土に『住みたい』人がどんだ
けいるんだよ。まず生きてる国民が住みたい場所に住めるようにしてから言え」

ツイッター上には安倍政権に向けてのものだろう。こんな、にべもない批判的なつぶやきが溢れており、なかには北方領土
の問題そのものを知らないとおぼしき層の“批判ツイート”も、ちらほら散見された。
現在、四十路を越えたオジサン世代からすると、昭和50年代にテレビのブラウン管を通して流れていた、あの昭和チック
な“イガグリ坊主”の少年が出てくる色褪せたCMを思い出した程度だが、今を生きるネット世代の反応を見ていると、改め
て北方領土問題の“風化”が年を重ねるほどに加速しているのを見せつけられた思いだ。
そもそも北方領土とは、北海道の根室半島沖に連なる歯舞群島、色丹島、国後島、および択捉島を指し、現在もロシアに
不法占領され続けている島々のこと。
第2次世界大戦末期、日本がポツダム宣言を受託し連合国に「無条件降伏」することが決まった1945年8月15日のわず
か3日後、それまで外国の施政下にあった歴史はなく日本人によって開拓され、日本人が住み続けたこれらの島々はソ連
軍の不法な侵略に屈することになる。
8月18日、千島列島最北端の占守島にソ連軍が上陸したのを皮切りに、8月31日にかけて島づたいに南下し、最終的に
千島列島の南端であるウルップ島までを不法占拠。
加えてソ連軍は別働部隊も駆使して、8月28日に択捉島を、9月1~5日には国後島と色丹島、さらには歯舞群島のすべ
てを占領し、これ以降、四島は今もロシアの実効支配下にあるのだ。
ツイートの中には上に挙げたように、「北方領土に『住みたい』人が、どんだけいるんだよ」といった少々乱暴な物言いもあ
ったが、当時、択捉島以南の4島で暮らしていた人たちは実に1万7290人にものぼる。
島民の半数はソ連軍の侵攻によりサハリンでの抑留生活を余儀なくされるなど多くの人が亡くなったが、故郷に帰ることを
夢見る島民は今なお6596人(2013年末時点)もいるのだ。
毎年2月1日~28日は「北方領土返還運動全国強調月間」に指定されており、2月7日には全国各地で多くのイベントが
催された。
内閣府のホームページにも「北方四島の1日も早い返還実現のためには、国民の皆さん一人ひとりがこの問題への理解と
関心を深めることが重要です。2月は北方領土返還運動全国強調月間として全国各地で講演会やパネル展、キャラバン、
署名活動など様々な広報・啓発活動が展開されます。皆さんもこの機会に、北方領土問題について考えてみてください」と
書かれている。
ただ、近年「領土教育」の拡充もはかられているものの現実の世界に目を向けると、まだまだロシアとの返還交渉を支える
だけの国民全体の「総意」となっているとは言いがたい状況なのだ。
2月12日には、モスクワで日ロ外務次官級協議が開かれる予定だ。ウクライナ情勢を受け孤立化を深めるプーチン大統
領との首脳会談を逸早く開催し、北方領土問題の解決に向け、政府には全力で取り組んでもらいたいものだ。
(取材・文/日刊SPA!取材班)

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2015年2月7日 朝日新聞デジタルより
首相、北方領土交渉進展に意欲 「粘り強く取り組む」
安倍晋三首相は7日、東京都内で開かれた北方領土返還要求全国大会であいさつし、「北方四島の帰属問題を解決
して平和条約を締結するという政府の基本方針にのっとり、最終的な解決に向けて粘り強く取り組んでいく」と述べた。
首相はあいさつで、「今年は戦後70年の節目にあたる。今もなお、日ロ間で平和条約が締結されていないことは異常
であると言わざるを得ない」と指摘。「元島民のみなさまが高齢となり、早急に解決をはからなければならないことを肝
に銘じて対応していく」として、交渉を進展させることに意欲を示した。
首相は昨年11月にロシアのプーチン大統領と北京で会談し、2015年中に大統領の訪日実現を目指すことで合意し
ている。大会には元島民や返還運動に取り組む団体の関係者など、約1500人が参加した。

北方領土の返還を求める全国大会

2015年02月07日 毎日新聞 【社説】より
北方領土 70年を打開の節目に
戦後70年となる今年は、北方領土(歯舞群島、色丹島、国後島、択捉島)がソ連(現ロシア)に占領されてから70年の
節目でもある。故郷を追われた元島民は、約1万7000人。その約3分の2が返還を見届けないまますでに他界した。
今日は、四島の返還を求める機運を高めるため政府が1981年に定めた「北方領土の日」である。
1855年、江戸幕府と帝政ロシアが日露通好条約を締結し、択捉島の北を国境と定めて交流が始まった日に当たる。
今年も元島民らが参加して、官民合同の「北方領土返還要求全国大会」が東京都内で開かれる。
1956年の「日ソ共同宣言」は「平和条約締結後、歯舞、色丹を日本に引き渡す」と定めたが東西冷戦下でほごにされ、
四島は元島民に閉ざされたままの状態が長く続いた。
ソ連が崩壊して日露間で平和条約交渉が再開され、「ビザなし渡航」などで元島民らに訪問の機会が開かれたものの、
四島の帰属問題はいまだに解決していない。
ロシアは「第二次大戦の結果」を認めるよう求め、ヤルタ協定や国連憲章を盾に領有の合法性を主張している。日本は
これを認めず、北方領土は戦後の独立回復にあたってサンフランシスコ講和条約で放棄した千島列島には含まれない
「日本固有の領土」だとして返還を求めている。
安倍晋三首相とロシアのプーチン大統領は解決に強い意欲を見せ、首脳会談を重ねてきた。
だが昨年、ロシアはウクライナ南部クリミア半島を一方的に編入し、ウクライナ東部ではロシアが支援する武装勢力と政府
軍の武力衝突が続く。欧米が発動した対露制裁に日本も加わり、ウクライナ情勢をめぐる対立が日露の領土交渉にも影
を落としている。
岸田文雄外相は先月、訪問先のブリュッセルで講演した際、会場からの質問に答える中で、クリミアも北方領土もロシアの
「力による現状変更」だという認識を示した。岸田氏は続けて「日本は(対露制裁で)主要7カ国(G7)と連携しているがロシ
アとも対話と関与を続けていく」と強調した。
だがロシアは、「第二次大戦の原因と結果について一般に認められている理解を修正しようとしている」と強く反発した。
終戦70年にあたって、ロシア側も歴史認識に敏感になっているのだろう。
戦後、平和条約を結べないまま70年が過ぎてしまった。これは正常な隣国同士の関係とはいえない。
重い歴史の節目は、日露の不正常な関係を打開するための機会ととらえることもできる。いたずらに対立をあおるのでは
なく、立場の違いを認め合ったうえで冷静に対話を重ね、合意を目指す決意を新たにしたい。

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2015年2月7日 世界日報 【社説】より
北方領土の日、露の揺さぶりに惑わされるな
35回目の「北方領土の日」を迎えた。
我が国固有の領土である択捉島、国後島、歯舞群島、色丹島が旧ソ連に不法占拠されてから70年もの長い年月が経過
した。安倍晋三首相は、きょう開催の北方領土返還大会でロシアに改めて抗議するとともに、4島一括返還に向けた強い
決意を明確にすべきだ。

◇制裁を緩和させる狙い
日本の敗色が濃厚だった1945年8月9日、ソ連は当時有効だった日ソ中立条約を破り、一方的に宣戦布告した。
ソ連は圧倒的な兵力を投入して、日本がポツダム宣言を受諾し終戦を迎えた8月15日以降も侵攻を続けた。北方領土
全域が占領されたのは、日本の降伏文書調印の3日後である9月5日だ。
さらにソ連は旧日本軍人や民間人ら約60万人を国際法に違反してシベリアに抑留し、飢餓や酷寒の中での過酷な強制
労働に従事させて約6万人を死に至らしめた。これら不当な歴史的事実を不問に付し、ロシアが北方領土を不法占拠した
ままでの日露平和条約締結はあり得ない。
ロシアは昨春、ウクライナ騒乱で親露派ヤヌコビッチ政権が崩壊し親欧米派が政権を握ったことに激しく反発し、ウクライナ
のクリミア半島を併合するという暴挙に出た。
その後もウクライナ東部の親露独立派を支援し、独立派と政府軍の戦闘で5000人以上が死亡。今年に入って戦闘はさら
に激化する様相を見せている。
力による国境変更は許されない。欧米が発動した対露経済制裁に我が国が同調するのは当然だ。
ただ、北方領土交渉を進展させたい日本にとって苦しい決断であることも事実である。ロシアはそれを見透かし、硬軟両様
で揺さぶりをかけている。
昨年9月には北方領土を含む極東地域で大規模軍事演習を行い、イワノフ大統領府長官が択捉島を訪問した。
プーチン大統領は安倍首相との電話会談で対話の継続を語る一方、訪日を引き延ばしている。
パノフ元駐日大使はインタビューで、日本が対露制裁を続ける限り「北方領土交渉の進展は期待できない」と強調し、
「日本は独自の対露外交を行えばいい」と語った。
ロシアの狙いは制裁緩和だ。一日も早い北方領土返還を願う日本の国民感情を利用し、欧米と日本を切り離そうとしてい
るのだ。
ロシアの通貨ルーブルは暴落し、今年の国内総生産(GDP)成長率はマイナス4%と予想されている。政府が事実上統制
する主要テレビ局が愛国心を煽(あお)り、クリミア併合を強行したプーチン大統領は高い支持率を誇っているが、制裁の
影響が国民生活に広がるにつれ、不満の矛先がプーチン政権に向く可能性は否定できない。
岸田文雄外相が語ったように、北方領土問題は「力による現状変更」だ。だからこそ我が国は、同様な立場のウクライナを
見捨てることはできない。

◇返還の正当性訴えよ
北方領土交渉をエサに制裁緩和をもくろむロシアの術中にはまってはならない。我が国は北方4島返還の正当性を国際
社会に訴え続けるとともに、交渉の後ろ盾となる日米同盟関係の強化に全力を挙げるべきだ。

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~平成27年2月8日 産経新聞より~
2月8日 産経01

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平成27年2月8日 産経新聞 【主張】より
北方領土の日
71年目の不法占拠許せぬ 露は歴史歪曲改め即時返還を

ソ連・ロシアによる不法占拠から70年を迎えた。
7日開かれた「北方領土の日」の返還要求全国大会で安倍晋三首相は、「粘り強くこの問題に取り組んでいく」と述べ、
改めて返還実現に強い決意を示した。節目の年を、4島返還の機運を高める機会としたい。
「北方領土の日」は1855年2月7日に日魯(にちろ)通好条約が結ばれたことに由来する。日本と帝政時代のロシアの
間で、択捉島とウルップ島の間を国境とすることが確認された。それ以来、択捉に加え国後、歯舞、色丹の4島は一貫し
て日本の領土だった。このことは歴史的な事実だ。

◇長期の不誠実さに驚く
ソ連は、先の大戦終結直前の1945年、当時有効だった日ソ中立条約を破って対日参戦し、日本のポツダム宣言受諾後
に武力により4島を占領した。それ以来、不法占拠を続けている。
56年の「日ソ共同宣言」では、ソ連は平和条約締結後の歯舞、色丹両島の返還に合意したが、ソ連その後継国のロシア
とも、この約束を履行しなかったのはもちろんのこと、択捉、国後両島の返還にも応じなかった。
ソ連は、「領土問題は解決済み」とするなどかたくなな姿勢を崩さず、今もって平和条約も結ばれていない。冷戦時代があ
ったとはいえ、そうした態度をこれほど長期間続けてきたソ連、ロシアの不誠実さには、ただただ驚くほかはない。
ソ連末期の91年、ゴルバチョフ大統領は4島が平和条約締結に向け解決されるべき領土問題の対象であると文書で初め
て認めた。
ロシアのエリツィン大統領も93年、細川護煕首相との間で交わした「東京宣言」で、両国合意のうえ作成した諸文書と、
「法と正義の原則」を基礎に解決を目指すことに同意した。
返還交渉が進展するのではないかという期待が高まったが、プーチン大統領が2000年に登場した後、交渉は停滞し、過
去約15年間、進展をみていない。
プーチン氏は01年に、「東京宣言」などに基づく交渉をうたった「イルクーツク声明」を森喜朗首相との間で発している。
だが、ロシアが相変わらず不誠実であることを端的に示すできごとが最近みられた。
ロシアが一方的にクリミア半島を併合し、軍事介入を続けるウクライナについて、岸田文雄外相は訪問先のベルギーで、北
方領土問題と同様に「力による現状変更だ」と非難した。
ロシアはそれに対し、北方領土は先の大戦の結果、ロシアに正当に帰属したとし、「日本は歴史の教訓を学ぶことを望んで
いない」と根拠のない反論を展開した。本音が表れたと見るべきだろうが、許し難い態度だ。
菅義偉官房長官が「歴史を歪曲したとの批判は全く当たらない」と述べたのも当然で、歴史を歪曲しているのはロシア側で
あることを忘れてはならない。

◇友人関係で解決するか
安倍首相は、プーチン氏とウマがあうといわれ、領土交渉の進展を念頭に、個人的な関係の強化に積極的に取り組んで
た。第2次安倍政権発足後の約2年間で、安倍氏とプーチン氏は7回会談した。トップ同士の意思疎通が重要なのは理解
できる。しかし、その強固な個人的関係が領土返還交渉に生かされなければ、ただの「友人」にすぎず、何の国益ももたら
さない。
クリミア併合などを受け、日本政府は計5回にわたってロシアへの制裁を科してきた。先進7カ国(G7)の一員として当然の
判断だろう。その一方で、日露両首脳は昨年11月、北京での会談で、今年の「適切な時期」に大統領訪日を実現させるよ
う準備を始めることで合意した。
ロシアに対し欧米各国が強い態度を貫いているなか、それらの懸念を押し切ってまでプーチン氏を迎えるのであれば、首
相はウクライナへの介入をやめるよう厳しく伝え、何よりも領土問題での進展を実現させなければなるまい。
一方、日本政府のなかに、歯舞、色丹の「2島返還論」や「面積折半論」など、4島返還を断念するかのような発言があるの
も残念なことだ。領土交渉は数合わせではない。4島返還の主張に日本側から水を差す愚を繰り返してはならない。



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