筑紫の国の片隅で…

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これは酷い!!民主党政権の残渣

小宮山洋子元厚労相が内閣も議会の承認も受けずに、法令の改悪を実施していた。
外国人に対する社会福祉手当が、日本に短期間しか滞在していない外国人でも
再入国手続きを取ることで、最長5年まで支給されるように改悪されていました。
納税の義務を果たさない外国人が、海外で受けた医療費まで日本の税金で賄うことに
なっているのです。
我々一般庶民は、福祉目当ての外国人のために、納税しているのではない。
「様子を見て・・・」などと悠長なことを言わず、早急に対処すべきではないのか。

 

 【木原稔】民主党の置き土産、外国人への社会福祉問題
   (問題の話しは、6分あたりからです)

 

この問題について、2012年5月24日付の荒川区議会議員 小坂英二(日本創新党)が
自身のブログにおいて問題提起されておられました。 以下転載
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滞在資格わずか3ヶ月超の外国人まで、国民健康保険加入可能に(今までは1年)!
あらゆる意味で異常!
7月9日から外国人が国民健康保険に加入できる滞在資格が、今までの1年以上から
わずか3ヶ月超に短縮となります。国の政令でそうなったのです。全国一律の変更です。
今までも外国人天国の日本ですが、更にそれが顕著に・・・。
外国人は入国と同時に、居住地で住民登録(今までの外国人登録から、住民登録に
制度も変わります)をし、同時に国民健康保険に加入可能、3割負担で医療サービスを
受けられます。
しかも、保険料を滞納してから1年間は、3割負担での受診可能です。日本人も外国人も。
国民健康保険制度では、保険料滞納2ヶ月で督促状、更に1ヶ月の滞納、更に督促、呼び
出し等を行い、最初の滞納から合計半年になると、短期証(期限が半年と短い保険証)に
切り替えになります。その短期証の期限が切れる時、都合最初の滞納から1年が経って
やっと医療費は十割負担に。それまでの一年間は3割負担で医療サービスが受けられます。
1年間の国民健康保険料滞納でも、3割負担での医療サービスを1年間受診可能なのは、
日本人も外国人も同じ制度。
つまり滞在資格が半年の外国人が1ヶ月だけ滞在して、高度医療サービスを受けてから
滞在1ヶ月で帰国する際でも高額還付も。滞在、数ヶ月での出産一時金も受給可能。
しかも、外国人が支払う国民健康保険料は、日本国内で入ってくる所得で、かつ捕捉できる
ものに限り認定して決定。多くの場合、安い保険料になります。母国の家族が金持ちだろうが
保険料決定には全く関係ありません。そうした状況の中、高額医療費還付制度がある3割負担
の医療制度で得られるメリットは莫大です。
 (中略)
外国人に渡される国民健康保険証の有効期限は、基本的に滞在資格の有る期限までですが
最長で2年間(日本人と同じ)になります。
保険に登録してから、1年間保険料不払いでも、その間、医療サービスを7割保険負担、3割自己
負担で受けられるザルのシステムなのに、外国人向けの厳しいチェック制度は皆無です。
やはり国民健康保険の制度に、外国人、特に3ヶ月超といった短期資格の滞在外国人を入れるの
は論外だと思います。母国へ帰国してしまえば、不払いの保険料を取り戻すことなど不可能です。
そもそも、国民健康保険は「日本国民」が「基本的に日本国に住み続け、生まれてから高齢者に
なるまでのライフサイクルの中で、若い時期は医療サービスを使わなくても、保険料を払うことは
有っても、高齢になってから、医療の御世話になる機会が多くなる時にとても助かる」という
「人生の最初から最期まで」で助け合い、バランスを取っていくための制度です。
そこに、わずか3ヶ月を超えて滞在「資格」の外国人という「通りすがりの客人」を多く含む対象を
組み込むこと自体、筋が通らず、様々な不整合が出てくるのです。
また特別・一般永住外国人も、筋からして入れるべきではなく、彼らだけを対象にした自己完結型
の保険制度に入れるべきです。
国保に入りたければ、日本国に忠誠を誓い国籍取得が当然と考えます。
あらゆる日本の社会風潮、戦後のシステムが国民と外国人を「区別」せずに公金を野放図に垂れ
流しているシステムに陥っています。
*********************************************************************
2013年1月25日  読売新聞
小宮山洋子元厚労相が政界引退
昨年12月の衆院選で落選した小宮山洋子元厚生労働相(64)が24日、政界からの
引退を表明した。小宮山氏は自身のホームページで
「厚生労働大臣としての激務は想像を超えるものでした。体力からしても限界です。
65歳で定年という考えでやってきました。政治家として一区切りにさせていただく」
などと説明している。
・……………・……………・…………・……………・……

小宮山洋子はNHK出身であり
「在日韓国人をはじめとする永住外国人住民の法的地位向上を推進する議員連盟」に在籍し
夫婦別姓推進派、二重国籍推進派、人権擁護法案推進派であり、ジェンダーフリーを標榜している。
どうみても、ネオ・フェミニストで、売国奴そのものである。

 

 

 

 

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「日の丸寄せ書き」についての、ご報告

1月16日にご紹介した『Mの親方日記』さんの「日の丸寄せ書き」についてですが
4月に呉市安浦町で戦没者慰霊祭が行われるのに際し、地元住民の方々にお返しする
ことになりそうです。日の丸とともに、英霊の皆様も故郷に帰ることができますね。
以下、『Mの親方日記』さんの経過報告と、この件を取り上げてくれた新聞記事を転載します。
拙ブログをご覧になり、拡散協力をしていただいた方々に感謝いたします。

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~2013年2月25日 日の丸の寄せ書き:追伸7
本日発売の読売新聞、広島地方版に日の丸寄せ書き(出征旗)
の記事が掲載されました。
4月、呉、安浦町で戦没者慰霊祭が行われます。
その日に出征旗をその故郷の地へ!と、思います。
持ち主には、まだたどり着いていませんが、
たとえたどり着けなくとも、故郷の地へ戻り、ご友人のご子息、
地元住民の方々へお返しすることが最善と考えます。
その日が僕のゴール。
その後は遺族会にバトンを渡します。
何かの縁か?呼ばれたのか?
思い起こせば、昨年4月、満開の桜に誘われ靖國神社に参拝。
1週間後、仕事で台湾へ行ったとき台南にある飛虎将軍廟へ
参拝することになった。
その後、田舎の法事で大叔父達の戦死の真相を知り、で、
この出征旗を発見、入手。
そして、故郷へ帰郷。
伊勢神宮出雲大社も参拝者は“神に呼ばれた”と言います。
飛虎将軍も台湾を守る神となった英霊。靖國の英霊もまた神。
きっと俺は神様に呼ばれたんだろうな。。。
協力者の方々も神様に心を動かされたのかも、、、そう信じます。
……………………………………………………………………

2013年2月25日  読売新聞 (広島地方版)
大戦中の日の丸 呉・安浦に帰郷へ
 
米ネット競売購入 持ち主捜す
 
第2次大戦末期、出征兵士のため呉市安浦町の人たちがつづった寄せ書きがある
日の丸の旗が見つかった。
昨年12月、米国のオークションに出品されているのを東京の男性が見つけて入手。
残る多数の血痕から、戦地を経て米軍兵士の手に渡ったとみられるが、贈った相手の
名前が書かれておらず、持ち主は不明。男性は同市安浦支所に連絡、地元遺族会など
とも調整し、4月に地元で行われる慰霊祭までに旗を〈帰郷〉させたい考えだ。
旗は畳半分よりやや小さく、日の丸の周囲に墨で約50人の氏名と「武運長久」「祈健闘」
などの言葉が書かれている。
東京都稲城市でオートバイ部品販売会社を経営する佐々木隆さん(46)が、インターネット
のオークションに出ているのを見つけて購入。その際、旗は2万人以上の旧日本兵が戦死
したとされる小笠原諸島硫黄島での攻防戦に従軍した米海兵隊員が持ち帰ったものだ
と聞いたという。
旗には「三津口局職員一同」の文字もあり、佐々木さんは安浦町に「三津口」という地名が
あると知って支所に連絡。支所が判読できる氏名を調べたところ、いずれも実在の町民だった
が、既に全員が亡くなっていた。遺族らの記憶も定かでなく、「三津口局」と思われる地元の
三津口郵便局にも問い合わせたが、手がかりはなかったという。
町遺族会長の上田節臣さん(80)も佐々木さんと連絡を取りながら調べたが、持ち主には
たどり着けず、硫黄島で戦った兵士のものかどうかも確認できていない。
それでも、上田さんは「様々な思いがこもった旗を手に、地元の誰かが戦地に赴いたのは事実。
手がかりを探し、持ち主が見つからなければ遺族会で供養したい」と願う。
町内の戦没者慰霊碑前では4月、遺族会による慰霊祭が行われる。佐々木さんも、それまでに
旗を届けたいと考えており、「町の人たちが現物を見て、何かを思い出すきっかけになれば」と
話している。

………………………………………………………………………

2013年2月14日 日の丸の寄せ書き:追伸6
本日、Y新聞社より電話がありました。
ん?勧誘かな?と思いましたが、
なんと!出征旗の取材のTELでした。
広島県の地元紙か全国紙かはまだ解りませんが、
新聞記事を通して広く働きかけてくれるようです。
いやぁ~~大変ありがたい^^
また、出征旗の多くの記名の中に、当時の町長さんの
お名前も確認されました。
あの旗は昭和18年に安浦町で書かれたものです。
出征旗は、当時出兵する個人に渡した物と、弾避け(お守り)
として渡したものがあったそう。
この旗は“○○君”のような宛名が確認できないため、後者では
なかろうか?
遺族会では万が一持ち主へ返すことができなかったとしても、
出征旗を引き取りたいとの意向だそうです。
僕もそれには大賛成!!
毎年、桜の咲く頃に慰霊祭が行われるとの事ですし、何より、
地元に帰ったほうが魂も喜ぶと思います。
それがゴールで良いのではないかな?
皆さん、どう思いますか?
何やら大きな何かが、、、大きな力が働いてる、、、
僕自身、何かに動かされている感は否めない。

 

 

 

 


ウォール・ストリート・ジャーナルが昭恵夫人を…

ウォール・ストリート・ジャーナルが、安倍総理の訪米に同行しなかった昭恵夫人について
バッシングともいえる記事を載せています。特に下線の箇所は、昭恵夫人ファーストレディー
として如何なものか?というニュアンスが含まれているようです。
昭恵夫人は、この「長州友の会」の懇親会の前に、総理夫人としての仕事もしておられます。
地域を大切にし、日頃から色々な地域の人々と交流をされております。そしてその活動は
安倍総理が行くことが難しいところ、聞くことが出来ない人々の声を、できる限り安倍総理に
届けることに繋がっているのです。

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2013年2月23日 ウォール・ストリート・ジャーナルより
ファンはがっかり?昭恵夫人、首相訪米に同行せず
米ワシントンのアンドリュース空軍基地に21日に到着した日本の政府専用機から
安倍晋三首相が1人、タラップを降りたとき、日本では驚いたり、がっかりしたりした人が少なく
なかった。首相の傍らに、昭恵夫人の姿がなかったからだ。
活発であちこちを飛び回る昭恵夫人は安倍首相の外遊に積極的に同行することで知られている。
歴代の首相夫人の多くは、注目を浴びるのを嫌がったが、昭恵夫人はそうではない。
安倍氏が2007年に首相として初めて米国を訪問したとき、同行した昭恵夫人はアーリントン国立
墓地で献花したり、夕食会で当時のファーストレディー、ローラ・ブッシュ夫人と歓談したりした。
安倍首相が先月、政権復帰後初の外遊でベトナム、タイ、インドネシアを歴訪した際には
昭恵夫人は前髪を下げたショートカットという新しいヘアスタイルで登場し、ベトナムで学校を訪問
するなどした。
ファンが多い昭恵夫人は「アッキー」と呼ばれ、親しまれている。
昭恵夫人が首相の訪米に同行しなかった理由は何だったのか。
その答えを昭恵夫人自身がフェイスブックに投稿した。
「主人はアメリカ。私も行きたかったのですが、オバマ夫人の日程の都合で行かれなくなりました」
オバマ政権の高官によると、日本サイドから昭恵夫人とミシェル夫人によるファーストレディー会談
の申し入れがあったのは安倍首相の訪米日程が決定してしばらく経ってから。
ミシェル夫人は既に先約でワシントンを離れることが決まっていたため、スケジュール調整ができ
なかったという。
日本の政府関係者の話では、日本の首相夫人が首相の外国訪問に同行しないのは珍しいこと
ではない。野田佳彦前首相が15カ月の任期の間に仁実夫人とともに外国を訪問したのはたった
1度だった。外務省報道課の山田元一郎氏は、昭恵夫人が首相の訪米に同行しなかったことに
ついて、「今回は役割が無かった、というだけのこと」と述べた。
外遊に同行できず残念がってはいるものの、昭恵夫人は家でくよくよするタイプではない。
裕福な実業家の娘として生まれた昭恵夫人はラジオ番組のパーソナリティを務めた経験もあり
現在は東京の下町で、居酒屋を経営している

昭恵夫人は22日夜「盛り上がってまーす」というコメントとともにフェイスブック上で写真を公開。
そこには、安倍首相の選挙区の若者との懇親会の席で、一升瓶を手にしながら満面の笑みを
浮かべる昭恵夫人の姿があった。
(By/ YUKA HAYASHI)

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~2月22日 安倍昭恵Fbより

@主人はアメリカ。私も行きたかったのですが、
 オバマ夫人の日程の都合で行かれなくなりました。

 

中国大使夫人にお招き頂きました。
 高村副総裁夫人、岸田外務大臣夫人と一緒です。
 

 

 

@久しぶりに長州友の会。 盛り上がってま~す。

 

 

※「長州友の会」とは・・・
主人の地元である山口県出身者の人達と話していて、育ててもらった故郷
山口のために何かしようよ・・・という話になりました。
一人の力は小さくても、何人かの力が集まれば何かできるかもしれない・・・。
様々な職種の様々な技術、知識を持った人たちに協力してもらい、自分達の
故郷を盛り上げていきたい・・・。地域の人たちと一緒になって・・・。そして
長州から日本を変えていこう、という大きな夢に向かって設立された会です。

 

 

 

 

日米首脳会談

日米首脳会談で日米同盟の強化が確認され、懸案だった環太平洋連携協定(TPP)交渉への
参加問題も、共同声明により交渉参加への環境が整いました。
ただ、オバマ大統領らによる晩餐会や、首脳会談後の共同会見が行われなかったことが気懸かり
ではありますが・・・。今回の訪米の目的は、ほぼ達成されたのではないでしょうか。
後は、ロシアとの連携をはかり、支那包囲網を確固たるものにしなければなりません。 

 

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~2013年2月23日  読売新聞
返り咲いた…首相、米聴衆の心つかみ拍手と笑い
「I am back(私は返り咲いた)。日本もそうならなくては」。
安倍首相は22日、ワシントンの政策研究機関「戦略国際問題研究所(CSIS)」
で行った政策演説の冒頭、照れ笑いを浮かべながらこう述べた。
演説のタイトル「Japan is back(日本は戻ってきた)」に、首相に返り咲いた
自らの境遇を重ね合わせたジョーク。
米国の知日派が集まった会場からは拍手と笑いが一斉に上がった。
聴衆の心をつかんだ首相は、約30分間の演説を英語で淀みなくこなし、
大胆な金融政策などを柱とする経済政策「アベノミクス」が軌道に乗った
ことなどをアピールした。
 

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~2013年2月23日  ワシントン時事
日本に久々脚光/安定政権に期待
中国の台頭で日本の影が薄くなっていた米国で、安倍晋三首相の訪米は
久々に大きな注目を集めた。
自らの政権復帰と重ね合わせて「日本復活」を宣言した22日の演説は、
アーミテージ元国務副長官ら知日派から、盛大な拍手で歓迎された。
安倍首相の演説を主催した有力シンクタンク、戦略国際問題研究所(CSIS)
関係者によると、参加希望者が予想を大きく上回ったため入場を制限。
中国や韓国の記者も参加を希望したが、認められなかったという。
首相は演説で「日本は二流国家にはならない」「強い日本を取り戻す」と
声高に訴えた。「私の国を頼りにし続けて欲しい」とガッツポーズで演説を
締めくくると、会場は大きな拍手に包まれた。
オバマ大統領が会談した日本の首相は、安倍首相で5人目。
アジア重視を打ち出すオバマ大統領は、日米同盟をアジア外交・安保の基軸と
繰り返し強調しているが、首相が目まぐるしく代わる事態に不満を募らせてきた。
オバマ政権は、日本の安定政権下での経済回復を強く望んでいる。
ブレイナード財務次官が「米国は、成長を取り戻しデフレからの脱却を目指す
日本の努力を支持する」と述べ、一部で批判が出ている「アベノミクス」への
支持をいち早く表明したのも、その表れだ。
さらに22日付の有力紙ワシントン・ポストも社説で、アベノミクスへの理解を示す
とともに、日本が環太平洋連携協定(TPP)交渉参加を通じて構造改革を推進し
景気回復を達成することは米国や世界経済全体の利益になるとし、日本の交渉
参加を後押しすべきだと主張した。
これに呼応するように、オバマ大統領は安倍首相との会談で、TPP交渉に関して
「聖域なき関税撤廃」が前提ではないことを確認。
今年夏の参院選を控え、首相が苦境に陥らないよう、最大限の配慮を示した。
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~2013年2月23日  ワシントン時事
関税撤廃前提とせず/日米首脳TPPで共同声明
    ・・・安倍首相「同盟、完全に復活」
安倍晋三首相は22日午後(日本時間23日未明)、ホワイトハウスでオバマ米大統領と初めて
会談した。環太平洋連携協定(TPP)交渉への日本の参加問題について、両首脳は会談後、
「一方的に全ての関税撤廃をあらかじめ約束することを求められるものではない」とした
共同声明を発表した。首相は交渉参加の是非に関し「聖域なき関税撤廃を前提にしているか
大統領に確認し判断したい」としていた。交渉次第で関税撤廃に例外品目があり得ると大統領
が認めたことで、交渉参加への環境整備が大きく進んだ。
声明はTPPについて「全ての物品が交渉対象とされる」との原則論を示す一方、日本国内の
反対論に配慮し、「両国ともにセンシティビティー(関税撤廃の例外にしたい品目)が存在し、
最終的な結果は交渉の中で決まる」と言及した。会談は昼食会を含めて約1時間45分行われた。
TPPは昼食会で取り上げられ、首相は「聖域なき関税撤廃を前提にする限り交渉参加に反対」と
した自民党の衆院選公約を説明。その上で声明に書かれた内容の確認を求め大統領も同意した。
一方、両首脳は緊迫する東アジア情勢を踏まえ、日米同盟の強化を確認。
首相は会談後の記者会見で「日米の絆と信頼を取り戻し、緊密な日米同盟が完全に復活したと
自信を持って宣言したい」と表明した。
核実験を強行した北朝鮮に対し、日米韓の3ヵ国で連携し、国連安全保障理事会で追加制裁決議
の採択を目指すことで一致。実効性が高いとされる金融制裁についても協議した。
北朝鮮のミサイル開発を受け、米軍の早期警戒レーダー(Xバンドレーダー)の日本追加配備を含め
ミサイル防衛MD)での協力を進めることでも合意した。
首相は集団的自衛権の行使容認に向けて、検討を始めたと説明。
また、沖縄県・尖閣諸島をめぐる中国との摩擦に関し「常に冷静に対処していく」と、日本の対応に
理解を求めた。
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平成25年2月22日 CSISでの政策スピーチ
「日本は戻ってきました」 
ハムレさん、ご親切な紹介ありがとうございます。アーミテージさん、ありがとうございます。
グリーンさんも、ありがとうございました。
そして皆さんがた、本日はおいでくださいまして、ありがとうございます。
昨年、リチャード・アーミテージ、ジョゼフ・ナイ、マイケル・グリーンや他の色んな人達が
日本についての報告を出しました。
そこで彼らが問うたのは、日本はもしかして二級国家になってしまうのだろうかという事でした。
アーミテージさん、私からお答えします。 日本は今も、これからも、二級国家にはなりません。
それが、ここで私が一番、言いたかったことであります。 繰り返して申します。
私しは、カムバックをいたしました。 日本も、そうでなくてはなりません。
総理の職を離れて、5年という長い年月を送りました。それは、私にとって省察の時となりました。
何はともあれ、これからの日本は何処に立つべきか、ということについてであります。
あれこれが、果たして日本にはできるだろうか、とは考えませんでした。何を、日本はなし続けねば
ならないかに、関心が向くのが常でした。
そのような場合、変わらず胸中にありましたのは、次の3つの課題であります。
今やアジア・太平洋地域、インド・太平洋地域は、増々もって豊かになりつつあります。
そこにおける日本とは、ルールのプロモーターとして、主導的な地位にあらねばなりません。
ここで言いますルールとは、貿易、投資、知的財産権、労働や環境を律するルールのことです。
第二に、日本はこれからも、誰しも全てを益すべく、十分に開かれた海洋公共財など、グローバル
コモンズの守護者であり続けねばなりません。
日本とは、かような意欲を持つ国でありますからこそ、第三に、わが国は米国はじめ韓国豪州など
志を同じくする一円の民主主義各国と、今まで以上に力を合わせなくてはなりません。
ルールの増進者であって、コモンズの守護者、そして米国など民主主義諸国にとって力を発揮でき
る同盟相手であり、仲間である国。これらは全て、日本が満たさなくてはならない役割なのです。
私はまた、地球儀を眺めました。見るうち気付くこととは、日本という国は、皆さん方の長きにわたる
同盟国として、またパートナーとして、過去半世紀以上になんなんとする間、アジア・太平洋の平和
と繁栄から裨益し、また、それに貢献してきた国だということでした。
支えたものとは、言うまでもなく、我々の間にある同盟であります。
アジアが復興を遂げつつある時ぞ今、日本は我々に共通のルールと価値を増進し、コモンズを守り
地域の栄えゆく国々と歩みを共にして伸びていくため、より一層の責任を負わねばならないのです。
経済的不調との戦いに、かまけているゆとりなど、ありはしないのです。
私はまた胸中に地球を思い描き、テロとの戦いにおいて、日本は頼りになるパートナーでなくては
ならないと思いました。決意は、アルジェリアで10人の日本人、3人の米国人エンジニアが殺され
たいま、より強いものとなっています。世界はなお日本を待っていると、私はそう思いました。
人権の伸長において、貧困、病との、地球温暖化や諸々との戦いにおいてです。
だからこそ、ご列席の皆さん、私は再び総理になろうといたしました。だからこそ、私は強い決意を
持って、日本経済を建て直そうとしているのであります。
いましがた私は、アジアが長足の進歩を遂げつつあると申しました。が、ただ一つ、例外があると
付け加えるべきでした。その例外とは、もちろん北朝鮮です。
彼らが核実験に及んだのを受け、わが政府は、追加の制裁を平壌に対して課しました。
核開発に向けた北朝鮮の野望は、容認されてはなりません。核開発、ミサイル技術開発を諦め、
拉致した全ての日本国民を解放しない限り、わが政府は、およそ報奨めいたものを与えるわけに
いきません。本件は、単なる地域的問題なのではありません。グローバルな懸念事項です。
わが政権下、日本は米、韓、その他の諸国、そして国連と、倦むことなく共に働き、北朝鮮が野望
を実現するのを阻まなくてはなりません。
私の上着の、襟がご覧になれますか。ブルーリボンバッジをつけています。
これには目的がありまして、来る日も来る日も、自分は、1970年代から80年代にかけ北朝鮮
拉致した日本人を取り返さなくてはならないということを、自分に思い出させるためであります。
拉致された人達の中には「横田めぐみ」という少女、まだ13歳のいとけなさだった少女もおります。
日本とは、人権をどこまでも重んじる国として、強くあらねばならない所以であります。
経済において強く、そして、国の守りにおいて強くなければならないのです。
申し上げます。日本もまた、厳しい財政制約の下にあります。
けれども、私は政府に命じ、国土防衛のため予算を増額するようにいたしました。
長年月において、初めての事であります。
ですから本日は、この場で、リッチ、ジョン、マイクやお集まりのご友人、ご賓客の皆さんのもと
私は一つの誓いを立てようと思います。強い日本を、取り戻します。
世界に、より一層の善をなすため、十分に強い日本を取り戻そうとしているのです。
私は、なさねばならない課題を現実とするべく、総理となる機会を選挙民に与えられました。
私はいま毎朝、大いなる責任の意識を重々しくも醒めて受けとめ、目を覚ますのであります。
いま、アベノミクスなるものが有ります。わたしが造語したのではありません。
つくったのはマーケットです。これは、3本の矢からなる、私の経済活性化策のことを言います。
日本では、デフレがかれこれ10年以上続いてきました。私のプラン、いわゆるアベノミクスとは、
まずもってこのデフレを取り除くためのものであります。
プランは実のところ、幸先のよいスタートを切りました。最初の矢といたしまして、私は日銀を促し
今まで彼らができないと思っていた次元の仕事をさせました。
内外の投資家は、これで日本株を買い始めました。輸出が増えると共に、日本産業が円滑な回転
をするようになり、東京の株式指標は上昇しました。
第二の矢とは、大規模な補正予算を実施することです。十分に大きなもので、日本経済を2%押し
上げ、60万の雇用をもたらすものとなるはずです。
第三が、成長戦略です。民間消費と民間投資は、予想していたより早く現れるでありましょう。
今のところ、経済指標はみな上向きです。
これらの施策に、かつて試みたものがあるのは確かです。
しかしおずおずとでしたし、いかにも逐次的でした。私のプランにおいて、矢は3本とも強いです。
速いですし、遅滞なく放たれています。
じき、日本は輸出を増やしますが、輸入がそれに連れて増加します。
米国は、そこに裨益する第一の国でしょうし、中国インドインドネシアが後に続くことでしょう。
しかし、話はそれで終わりではありません。もっと重大な課題が残っています。
日本の生産性を向上させる課題であります。日本の経済構造を、作り直すという課題です。
女性には、もっと多くの機会が与えられるべきです。預金が多いのは主に高齢層ですが、租税負担
が重くならない形で、若い世代に譲り渡すことができなくてはなりません。
私の政府は、今まさにそれを実行しています。
結論へ移る前に、中国について少々申し上げ、日米関係を私なりにどう定義するかを、お話させて
ください。初めに尖閣から。
尖閣諸島が日本の主権下にある領土だということは、歴史的にも、法的にも明らかです。
煎じ詰めたところ、1895年から1971年までの間、日本の主権に対する挑戦など、誰からも出てきて
おりません。今も、未来も、何であれ挑戦を容認することなどできません。
この点、わが国の決意に関し、どの国も判断ミスをすべきではありません。
日米同盟の堅牢ぶりについて、誰も疑いを抱くべきではない、ということであります。
同時に私は、エスカレートさせようとは、露ほども思っておりません。それどころか、私の政府は、日本
と中国の人的交流のため、今まで以上の資金を投じようとしています。
私の見るところ、日中関係は日本がもつ最も重要な間柄のひとつです。
かつて私が命名した「戦略的互恵関係」の追求において、私は手を休めたことのない者であります。
私の側のドアは、中国指導者のため、常に開いているのです。
そこでようやく、日米の間にある私達の繋がりについて一言申し述べることができます。
日米両国が地域と世界により一層の法の支配、より多くの民主主義、そして安全をもたらすことが
できるよう、さらには貧困を減らすため、日本は強くあり続けなくてはなりません。
それが、第一の点です。そこで、私は、防衛計画大綱の見直しに着手しました。
防衛省予算は増額となります。それら全ては、いま申しましたような課題をなさんがためであります。
それにしても、素晴らしいことです。日本と米国の間に築かれた紐帯は、良き日も、悪しき日もしのい
で今日に至りました。米国史全体の、4分の1を上回る長きにわたって、継続してきたのであります。
けれどもそれは、驚くに値しないことです。米国は、世界最古にして最大の、海洋民主主義国、そして
日本は、アジアで最も経験豊かで、最も大きなリベラル・デモクラシーであって、やはり海洋国なので
ありますから、両者は誠に自然な組み合わせなのです。
これまで長い間そうでしたし、これからも長の年月、そうであることでしょう。
いま、世界で一番大きなエマージング・マーケットは、ミドル・アメリカなんだと言う人がおります。
ダコタとか、カロライナのことです。そこで結論として皆さんに申し上げたいのですが、私の課題とは
未来を見つめていくこと、そして日本を、世界で2番目に大きなエマージング・マーケットにすること
であります。地域と世界にとって、今までにも増し頼り甲斐のあるパートナー国にすることなのです。
前に伸びる道は短いものでないことを、私は承知しています。
しかし、いま私は、日本をそうした国とするためにこそ、カムバックをしたわけであります。
世界をより良いものとするために、日本は一層の努力をしなくてはなりません。
私もまた、目的実現のため懸命に働かなくてはならないのです。
皆さん、日本は戻ってきました。私の国を、頼りにし続けて欲しいと願うものです。
有難うございました。

 

 【 内閣総理大臣 安倍晋三

 

 

 

 

普天間基地の辺野古移設早期実現を!…名護市民大会

2月21日「危険な普天間飛行場の辺野古地先促進 名護市市民大会」が
名護市内のホテルで開催されました。
この大会は、辺野古移設受入れを表明してきている、名護市民たちの集会です。

主催の「北部地域振興協議会」は、前市長をはじめ名護市の経済人、政治家も
名を連ねて、16年間戦ってきた団体です。
辺野古移設が実現すれば、普天間基地キャンプ・シュワブに統合され、面積では
2分の1程度の規模となり、明らかな「縮小」であり「基地負担軽減」になるのです。
地元の辺野古区では、それを16年前から表明し続けています。
県知事や有力者による発言、地元沖縄や内外のメディアによる恣意的な歪曲報道に
より、「普天間基地の県外移設は、県民の総意である」という、事実に反する情報が
国内外に広まっています。
沖縄の現状を無視し、事実とは違う印象操作を謀る勢力の背景には、北朝鮮を崇拝
する“チュチェ思想団体”や“支那の工作機関”があるのです。
また、本土から来た反日左翼による辺野古テントを「地元市民の反対運動」とし
つくられた基地反対派の声だけを、メディアは一方的に報じています。
しかし地元の声は「県内移設」、「基地受入れ」が主流なのです。
今回の主催団体・北部地域振興協議会所属の、ある経済人は
「翁長那覇市長は内政干渉だ!当事者の我々が受入れ表明をして、16年汗をかき
続けているのに、部外者が反対運動をするなど言語道断です。
安倍政権の間に解決したいのに、地元不在で反対運動をする人間が、基地問題を
ややこしくする」と怒りをあらわにしています。


 

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~2013年2月22日 琉球新報より
辺野古移設を決議 北部振興協が促進大会
本島北部の経済関係者らでつくる、北部地域振興協議会(荻堂盛秀会長)は
21日、名護市のホテル“ゆがふいんおきなわ”で
「危険な普天間飛行場の辺野古地先移設促進名護市民大会」を開催した。
市内外から約1,000人(主催者発表)が参加。
普天間の固定化を避けるためとして「日米合意を踏まえ、普天間飛行場
辺野古地先への早期移設実現を、日本政府に強く求める」と決議した。
荻堂会長は「危険な普天間飛行場を固定化させないよう一日も早く、仮でも
いいので移してもらい、時期がきたら次の事を考えたらいい」と主張。
会特別顧問の島袋吉和前名護市長は、キャンプ・シュワブ施設内が移設先で
あるとして「新しい基地ではない」と強調。
安倍晋三首相の訪米と大会日程が重なったことに「しっかりと照準を合わせた
大会だったと認識している」と述べた。
今後、首相や県知事などに要請する。

 

  2月21日「危険な普天間飛行場の辺野古地先促進 名護市市民大会」

 

 

 

 

麻生財務相、ファッションでも存在感?

麻生財務相をニュース映像で見た時「ジャパニーズ・ギャングのボスが、ロシアンマフィアとの
会合にでも行くのか?」と思わず呟いてしまいました。
麻生さんらしい、とは思いましたが、流石にそのスタイルで国際会議に赴くとなると、内外のメディア
が黙っていないだろうな、と危惧したものです。
ところが、人民朝日や毎日などは、麻生氏の服装を批判するどころか、殆ど触れませんでした。
麻生氏が総理時代、あれだけバッシング記事を書いて、麻生降しを煽動していたのですから
格好の“麻生叩きネタ”だったはずですが・・・。
海外の反応も、どちらかと言えば好意的だったようで、以外にも支那でもウケているようです。

 

 

 

  

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2013年2月21日 産経ニュース west より
ダンディーか、悪趣味か… 麻生財務相の“ギャング姿”に話題騒然
政治もこれぐらい“こわもて”で
今月15~16日、モスクワで開かれていたG20で、なぜか麻生太郎財務相が話題になっていた。
注目されていた「アベノミクス」のアピールが、ではなく、麻生氏のファッションが“クール!”という
ことだそうだ。米紙ウォールストリートジャーナル(電子阪)で
「日本の財務省が、ギャングスタイルでG20に…」というタイトルで報じ、
さらに「もしかして、5大ファミリーのボス、会議に行くの…?」とカッコ付きで付け加えた。
G20に出席するためモスクワに発つ麻生氏は、黒のロングコートにマフラーを沿わせた装いで、
極めつけは、斜めにかぶったボルサリーノ帽。 し、渋い。
何でも、麻生氏はかなりのオシャレさんとして有名なのだそうだ。知らなかった…。
そんな麻生氏が「スーパークール」「かっこいい」「渋い」「マフィアみたい」…と、ネットで話題に
なっている。あの強面だから、確かにマフィアに見えなくもないのだが…。とにかく、ソフト帽を深く
斜めにかぶったスタイルが粋だと評判(勿論、悪評もあるが)になっているのは間違いない。
ソフト帽といえばイタリアの老舗ブランド「ボルサリーノ」が有名だ。ボルサリーノの創業は1857年。
イタリア人の創業者、ジュセッペ・ボルサリーノ(1834-1900年)がイタリア北部の街、
アレッサンドリアにフェルト帽の芸術的職人だけを集めた工房を設立したのが始まり。
アラン・ドロンとジャン・ポールベルモンド出演の映画「ボルサリーノ」(1970年・仏)で世界的に
知名度を上げた。日本では「ソフトハット=ボルサリーノ」というイメージが定着しており、ソフト帽
の代名詞的ブランドである。
気になるのはソフト帽のお値段だが、3万円ほどから10万円以上(!)するものも。やはり高い…。
紳士の帽子なのに…
ソフト帽は第2次大戦前後の頃まで、紳士が外出の際に身につける一般的な服飾品だったそうだ。
ボルサリーノ社の帽子は、そんな習慣の中で、トップブランドとしての地位を確立していった。
他にも米の「ステットソン」や英の「ロック」なども、セレブリティを顧客にかかえるトップブランドと
して名高い。そんな紳士たちが身につける帽子なのに、ギャングとは…。
実在したギャング、アル・カポネ(1899-1947)もソフト帽に葉巻をくわえている姿が有名。
映画「ボルサリーノ」もギャングものだ。マフィアのボスを描いた映画「ゴッドファーザー」シリーズの
登場人物も、みーんなソフト帽をかぶっていた。
(時代的にも)ソフト帽とギャングは、切っても切れない関係なのだ。
そういえば、麻生氏の祖父、吉田茂元首相(1878-1967)も帽子の愛用者だったらしい。
祖父譲りのダンディーだったのね。(杉山みどり)

 

映画「ボルサリーノ」(1970年・仏)

☆5つ、の大好きな映画の1本です。
何といっても、アラン・ドロンとジャン・ポールベルモンドとの初共演が魅力でした。
1930年代のマルセイユの暗黒街を舞台に、2人の友情とギャングとの闘いを描いた作品です。


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2013年2月19日 Record China
麻生財務相、ド肝を抜く“ギャングファッション”と控えめな資産額に驚きの声
2013年2月15日、麻生太郎財務相がモスクワへ旅立つ際のインパクトあるファッションが、
海を越えた中国でも注目されている。
15日、モスクワで行われる主要20カ国・地域(G20)財務相・中央銀総裁会議に出席する
ため、成田空港に現れた麻生財務相。そのいでたちは、黒のソフト帽にロングコートという
人目を惹くもので、米紙ウォール・ストリート・ジャーナルもこれを「ギャングスタイル」
「マフィアのボス会議へ向かうのか?」と紹介している。
(中略)
中国ツイッター”と呼ばれる、簡易投稿サイトも盛り上がっている。
もともと“アニメ、漫画好き”の政治家として、中国の若者にもよく知られている麻生氏。
中国のネットユーザーらは、「明らかにカッコイイじゃないか」などと絶賛の声を寄せている。
その他には、「レトロ風味だね」「シガーでもくわえていればいいのに」「サングラスも要るな」
「思いっきりギャングのボス」などの声に加え、「彼、漫画好きだから、これも何かのキャラの
コスプレかもしれないな」「この帽子は祖父である吉田茂元首相の物とも日本では報じられ
てるぞ」「いつも漢字を読み間違えるあの人ですね」などと親しみを込めたつぶやきが届いた。
麻生氏が、この瀟洒なファッションをマスコミの前に披露した同じ日、各メディアは「内閣資産
公開資料」を公開。麻生氏は安倍現内閣の閣僚中で最高額の4億7,138万円と報じられた。
これについて本人は「おおむね、親からいただいた遺産だと考えており、祖先に感謝したい」
と発言している。
香港の衛星テレビ・フェニックステレビの駐日本記者はこれを取り上げ、
「日本で再び内閣閣僚の資産リストが公開された。これは閣僚本人とその配偶者、扶養する
子女の名義まで含まれ、土地・建物(固定資産税の課税標準額)、預貯金、有価証券、そして
自家用車やゴルフ会員権、骨董品などまで事細かに公開される。
野田前内閣のメンバーも同様。退任後の資産の増減について、怪しい動きがないかどうか、
国民に厳しく監視される」と紹介し、「日本の政治家にプライバシーはない」とした。
これについても、中国人の驚きは大きい。その理由は二つ。
ひとつ目は、政治家が資産を完全に公開すること。
ふたつ目は、国を率いるリーダーとしては、その資産額が控えめなこと。
同じく“中国ツイッター”では「日本を見ろよ!この開かれた政府を」「いつになったら中国で
も閣僚が資産公開するのでしょうか。そうしてこそ、健やかな社会が実現するのに」「一国の
総理だった人物が、これだけの財産しか持っていないとは。中国で言えば、村役場の幹部
クラスでも、これ以上の資産を持っている可能性があるぞ」などといった声が飛んでいる。
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2013年02月16日 毎日新聞
G20:麻生財務相、ファッションでも存在感
今回のG20財務相・中央銀行総裁会議では、急速な円安とともに初参加となる
麻生太郎財務相にも注目が集まった。
世界の金融市場を動かしている「アベノミクス」への関心を反映し、各国閣僚らから
麻生氏への個別会談の申し込みが相次いだ。
円安への懸念を示していたドイツのショイブレ財務相との会談で麻生氏は
「アベノミクスはデフレからの早期脱却が目的」と説明。
ショイブレ氏からは為替の話題は出ず、日本政府関係者は「金融緩和で円安を狙って
いるわけではないと理解された」との見方を示した。
そのほか、短時間ずつながら米連邦準備制度理事会FRB)のバーナンキ議長、
国際通貨基金IMF)のラガルド専務理事、韓国、カナダの財務相、ブレイナード
米財務次官ら約10人と直接、言葉を交わした。
麻生氏はファッションでも存在感を発揮した。
米紙ウォールストリート・ジャーナル(電子版)は黒のソフト帽とロングコート、
水色のマフラーをかけ、モスクワ便に乗るため成田空港を歩く麻生氏の写真を
「ギャング・スタイル」の見出し付きで掲載。
「(マフィアの)5大ファミリーのボス会議に行くの?」と紹介した。
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2013年02月16日 朝日新聞
財務相、会談に引っ張りだこ アベノミクスに各国関心
主要20カ国・地域(G20)財務相・中央銀行総裁会議にあわせて、麻生太郎財務相は
15日、ドイツのショイブレ財務相と会談した。
「アベノミクス」への関心の高さから各国の会談要請が殺到し、麻生財務相は米連邦
準備制度理事会(FRB)のバーナンキ議長ら計約10人と意見を交わした。
ショイブレ独財務相との会談で麻生氏は、安倍政権の経済政策「アベノミクス」について
説明した。G20の前には、ショイブレ氏は「日本の新政権の政策に大きな懸念をもっている」
と発言していた。しかしこの日の会談では、為替相場についての話は出ず、アベノミクスが
成功するように期待を寄せたという。今後も意見交換していくことで一致した。
今回のG20では、多くの国から会談を申し込まれた。このため、麻生財務相は15日、韓国
トルコ、カナダの財務相の他、米国のブレイナード財務次官、世界銀行のキム総裁、国際通貨
基金(IMF)のラガルド専務理事ら約10人と直接話し、短時間ながらも意見を交わした。
【モスクワ=松浦祐子】

 

 

沖縄と在日米軍

沖縄の在日米軍基地がある地元の人達と、在日米軍との交流については沖縄メディアは勿論のこと、

大手マスコミやNHKも黙殺して報道することはありません。
下の産経新聞の記事で触れていますが、東日本大震災後から在沖縄海兵隊と気仙沼市大島の
子供達との交流が続いていることなど、殆どの国民が知らないのではないでしょうか。
1月11日から14日まで、大島小と大島中の生徒24人がホームスティ・プログラムに参加しました。
大島の子供達は、在沖米海兵隊基地キャンプ・フォスターのホストファミリーのもとにホームスティし
様々な交流プログラムに参加、海兵隊員やその家族と一緒に楽しい4日間を過ごしたようです。

 

 

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~2013年2月19日 産経新聞より
沖縄と米軍 もう一つの顔
今月6日、那覇市内で「本物のアメリカン・ミュージックの夕べ」と題するコンサートが開かれた。
主催者は「沖縄キーストンライオンズクラブ」で、主役は太平洋地域で、国境を超えた音楽親善
大使としてさまざまなコンサート活動を展開している米空軍太平洋音楽隊アジアに所属する
7人編成のバンド「パシフィック・トレンズ」。
午後7時から始まったコンサートは、開演と同時に250人が入れる会場が満席に。
メンバーは1時間半の間に1960年代から最新のヒットチャートまで、ポップやロック、ジャズなど
17曲を演奏、そして歌い上げ会場を興奮の渦に包んだ。
圧巻だったのは、沖縄民謡の「芭蕉布」。この日のために2カ月かけて特訓したという成果が表れ
独特の節回しを流暢な日本語で歌い上げると、会場は興奮の坩堝(るつぼ)と化した。
沖縄というと「反米闘争」という印象が強い。だが、決して反米感情だけが強いわけではない。
演奏終了後、主催者が集計したアンケート結果を見ると
「質、レベルが高く聞きごたえがあった」「笑顔とユーモアが素晴らしい」「日本語の歌をあんなに
上手に歌えることに驚いた」「母が泣きながら聞いていた」…。さらに、「日米友好のために頑張っ
てください」「暗いニュースが続いているが、このような交流は継続すべきだ」という声も。
米軍の活動はこうした活動にとどまらない。来月、東日本大震災から2年を迎えるが、震災を契機
に在沖海兵隊と甚大な被害を受けた宮城県気仙沼市大島の子供たちとの交流が続いている。
気仙沼港からフェリーで25分程かかる大島は、震災後、本土から支援を受けられない日が続いた。
この間、海兵隊は支援物資を運び、島の清掃や復旧活動を展開。その結果、信頼関係が醸成され
青少年異文化交流プログラムが計画された。その一つがホームステイへの招待だ。
1月11日から14日まで、大島小と大島中の生徒24人が海兵隊のホストファミリーとともに過ごし
アートクラフトやホストファミリーの子供たちが通う学校での半日体験入学などを経験した。
こうした米軍と日本人との触れ合いは、殆ど報じられることはない。
沖縄は、反米軍基地闘争の拠点であり続けなければいけないからだ。
米軍の活動を特段持ち上げるつもりはない。
だが、米軍との交流が存在することも沖縄のもう一つの顔だ。
(那覇支局長:宮本雅史)
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米国海兵隊の公式サイトより~
在沖米海兵隊が大島の子供達を歓迎 【在沖米海兵隊基地キャンプ・フォスター】
○1月11日に宮城県気仙沼大島からの子供達24名と6名の付添いが、在沖米海兵隊基地
キャンプ・フォスターのユースセンターに到着し、第2回ユース文化交流・ホームスティプログラム
に参加しました。
このプログラムは東日本大震災後に発足され、震災直後の8月に大島の子供達にストレスの無い
環境で、夏休みを楽しんでもらうために計画されたました。
米海兵隊太平洋基地政府外交部次長のロバート・エルドリッジ博士は
「今日は、4日間のホームステイ・プログラムの初日です。今回は大島の子供達に、沖縄に駐留して
いる米海兵隊員や、その家族と一緒に数日間を過ごしてもらうために、私達が実施した2度目の
ホームステイプログラムとなります」と説明しました。
このホームスティプログラムに参加したのは、大島の小学4年生から中学2年生までの生徒達です。
ホームステイプログラムの代表で気仙沼市議会議員の菅原博信さんは
「震災の翌年に、海兵隊が私達を沖縄に招待してくれ、前回は25人の子供達が沖縄を訪問しました。
これからも海兵隊員との親密な関係を維持したいと思っています。今年は、お互いに学び合えるよう
にと、子供達がアメリカの子供達と一緒に学校に行く機会も予定されています」と語りました。
大島の子供達は沖縄に行くことを喜んでいて、滞在を楽しみにしていると、この交流プログラムに
参加している中学1年生の千葉大介君(13歳)は話しています。
千葉君は、「沖縄に行くのは初めてなので沖縄に行くことも、ホームスティ先の海兵隊員の家族と
一緒に過ごすこともとても楽しみです」と述べていました。

 

○1月12日、ユース文化交流プログラムの一環として、アートアンドクラフト、バスケットボール、
卓球、そしてテレビゲーム対戦などの色々なイベントをユースセンターで開催しました。
東日本大震災後に、この交流プログラムが発足し、東北地方が震災から復興する中、大島の
子供達に夏休み期間中、ストレスのない環境でリラックスしてもらおうと計画されました。
今回の訪問は、日米の子供達が様々な文化を共有し、お互い学び合うことに焦点を置いて計画。
米海兵隊太平洋基地政務外交部次長のロバート・エルドリッジ博士は
「この経験で子供達の視野が広がり、私達が彼等のことを気に掛けている、ということを知ってもら
えたら良いですね。在日米海兵隊(第三海兵遠征軍)司令官のケネス・グラック中将と米海兵隊
太平洋基地司令官のピーター・タレリ少将双方とも、このプログラムを強く支援してくれています。
このような考えを受け入れてくれる幹部と、一緒に仕事ができとても光栄です」
と自身の感想を述べました。
「海兵隊社会は“関係”をとても尊重します。海兵隊自身が行なう全てのことに、名誉、勇気、献身の
実践を実際に示しています。海兵隊は『友にするには最良で、敵にするには最悪の相手である』と
良く言われるように、海兵隊は最良の友であり-海兵隊がベストを尽くすことを示しています」と
博士は続けて説明しました。
海兵隊員やその家族が、自宅に子供達を招き入れるなど、あらゆる面で海兵隊社会がこのプログ
ラムを支持し参加しました。
普天間基地の航空管制上級下士官のリカルド・クレイトン曹長は
「受け入れ国である日本に対して、私達がゲストとして感謝していることを示す素晴らしい機会だと
思います。交流プログラムは素晴らしいプログラムであり、私たちが地域のことに関心があることを
示しています」と語っています。
ホストファミリーを買って出たマリア・クレイトンさんは、子供達が一生の思い出を胸に帰路に付く
ことを願っている。クレイトンさんは、
「うちに滞在した子供達が楽しんで、私たち家族と過ごした素敵な思い出を持ち帰ってくれたら
嬉しいですね。子供達と文化を共有する機会に感謝しています。このプログラムに参加できたこと
や子供達が私達から学んだのと同じくらい、私達も子供達から学べたことに感謝しています」
と述べています。
大島から来た小学6年生の小山瑞稀君(12歳)は
「楽しいです。ホストファミリーはとても親切にしてくれ、水族館に行ったことが一番楽しかった」と
ホストファミリーと楽しい時間を過ごせたと、話しています。
ホームステイ先の子供達もまた、同様に楽しんで日本文化を学ぶことができた。
ホストファミリーの一員のヒギンソン君(12歳)は
「コミュニケーションを取るのが大変な時もあるけど、お互いが好きだと思うことを見つけるのは、
それほど大変ではありませんでした」と述べていました。
このプログラムではグループ活動として、アメリカンスクールの半日体験入学や将校クラブでの
日曜ブランチなどがあり、個々ではホストファミリーがサーカスや沖縄美ら海水族館などの色々な
場所へ子供達を招待しました。

 

○1月14日に、大島の子供達はキャンプ・フォスター内にあるキリン小学校を訪問しました。
子供達は同年齢のアメリカの小学生たちと共に図工や体育、日本文化の授業を受けました。
大島小学校の5年生の小山瑞稀君(12歳)は、「図工の授業では、絵を描くのが一番楽しくて、
今日は学校で楽しく過ごしました。また沖縄に戻ってきたいです」と話していました。
大島の子供達はアメリカンスクールの訪問を楽しみ、アメリカの子供たちも同様に彼らの訪問を
楽しんだと、同校の5年生リュウマ・マーフィー君(12歳)は述べています。
マーフィー君は、「クラスで一緒に勉強できてよかったです。殆どの生徒が言葉の壁に悪戦苦闘し
ていたけど、僕は日本語が話せるので通訳として会話の手助けをしました」と話していました。
キリン小学校のスタッフもこの訪問を楽しみ、大島の子供達が楽しめるような和やかな雰囲気作り
をしました。
日本文化を教える授業を担当する宇座かおる先生は
「私の授業に参加してもらって楽しかったです。最初は少し恥ずかしそうにしていましたが、授業の
最初に英語で自己紹介をしたら少しは心地よくなったようです。沖縄に滞在している間は、歓迎され
ていると感じてもらいたいですね」と話していました。
ホームステイプログラム代表者の菅原博信気仙沼市議会議員は
「震災直後の8月に海兵隊から沖縄に招待されました。自分達の地元と海兵隊との親密な関係
を維持していきたいと思っています」と話しています。
夏休み中に子供達を荒廃した場所から連れ出し、2学期が始まる前に楽しく過ごす機会を与える
ことは大切だったと、米海兵隊太平洋基地政務外交部次長のロバート・エルドリッジ博士は説明
しています。
(中略)
タレリ少将は、「ユース文化交流プログラムは、この特別な友好関係を維持する私達の継続的な
強い関心を表しています。この交流は2011年に大島の小中学校生25人を沖縄でのホームステイ
に招待して開始しました。海兵隊は、2011年3月11日に地震や津波が起きて日本が打撃を受けた
後で日本人の支援を行い、それ以来、海兵隊は大島と非常に特別な友好関係を維持してきました」
と話しています。
この日、大島の子供達は、ホストファミリーや関係者に別れを告げ、帰路につきました。

 

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米国海兵隊の公式サイトより~
辺野古住民に海兵隊員が協力して地元地域の清掃活動を行う
【沖縄県名護市辺野古】
1月20日、老若男女、日本人、アメリカ人、軍人、民間人のボランティアが一堂に
集まり、沖縄県北部に位置する辺野古区のために献身的な清掃活動を行いました。
辺野古区民、ボーイスカウト、キャンプ・シュワブの海兵隊員および海軍兵の協力で
清掃活動のプロジェクトが成功裏に終了しました。
キャンプ・シュワブ司令官のリチャード・ホール大佐によると、
「このプロジェクトの規模は前例のないものでした。海兵隊員として私達は通常の
清掃活動や色々な地域渉外活動も実施しますが、異なる地域からこれほど多くの
人が集まるのは非常に特別なことです」
作業は4時間程続き、結果としてボランティアらは松田ヌ浜、平和の搭、ゲートボール
場からトラック9台分を越えるゴミを収集しました。
ボーイスカウトがプロジェクトの指揮を執り、キャンプ・シュワブ地域渉外事務所が
辺野古区の大城康昌区長や辺野古区老人会の金城信幸会長、地元の高齢者の
参加者との調整を手伝いました。
キャンプ・シュワブの伊波文雄基地渉外官は、
キャンプ・シュワブは、ボーイスカウトだけでなく、地元地域の指導者とも緊密に
協力する機会があります。このプロジェクトは、私達全員がメリットのあることだと
考えていたので、協力し合うことにしたのです」と説明しています。
辺野古区老人会前会長で、大城区長の叔父でもある大城徳政氏が去った1月13日
に他界してから、清掃活動の試みがさらに重大な意義を持つようになりました。
今は亡き徳政氏は地元では大変尊敬されていたので、ボランティアらは彼を偲んで
清掃活動に励みました。
米軍人と地元の人との変わることのない友情の証として、キャンプ・シュワブの隊員
らはゲートボール場に飾る記念額を贈る予定です。
清掃活動は、米軍人、ボーイスカウトおよび地元地域で年に2回実施するイベントとなる
と、ホール大佐は話し「キャンプ・シュワブの海兵隊員と海軍兵、第102隊ボーイスカウト
そして働き者の辺野古住民が実際に行なったことはみな称賛に値することです。
地域を結びつけるプロジェクトに関われたことを誇りに思い、今後もキャンプ・シュワブ
辺野古住民や近隣地域との素晴らしい関係を続けていきたいです」と感想を述べました。

 

 

 

 

在日米海兵隊概要(PDF)
http://www.okinawa.usmc.mil/Documents/MCGuide.pdf

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報道されない沖縄 沈黙する「国防の島」
復帰40年を迎えた沖縄の「声なき声」に迫る
著者は産経新聞社那覇支局長:宮本雅史氏
沖縄の問題を知るうえで、とても参考になると思います。


 

 

 

 

 

天皇陛下、心臓手術から1年

天皇皇后両陛下のご健康と、皇室の弥栄を御祈念いたします。


 

 

 

 

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~2013年2月17日 産経ニュースより 
陛下の心臓手術から1年 経過順調、健康管理に“相乗効果”も
天皇陛下が心臓の手術を受けられてから18日で1年となる。
退院後、陛下は公私にわたる様々な活動を意欲的に行われており、宮内庁の風岡典之長官
は14日の定例会見で、「特にお変わりなくお過ごし」と説明。
経過は順調で、健康面で不安がみられないことを明かした。
陛下は血管の狭窄を解消するため、昨年2月18日に心臓冠動脈バイパス手術を受けられた。
昨冬は気管支肺炎などにもかかったため、入院を3回繰り返された。
今冬は大きなご体調の問題が無いことについて、宮内庁幹部は
「心臓に不安がなくなり、健康管理がしやすくなられたためではないか」と、“相乗効果”を
要因の一つと指摘する。
狭窄があると、激しい運動時に酸素が心臓で不足するため、テニスなどは慎重に行う必要が
あったが、手術で不安が解消されたためだ。
今年80歳になられる陛下は現在、皇后さまと毎朝のように皇居・御所周辺を散策し、公務の
ない日などにはテニスで健康管理に努められている。
一方、公務のご負担軽減問題では、宮内庁は出席時間短縮などを通じたご負担軽減を行事
ごとに検討する、という方針を打ち出している。

 

 ~天皇皇后両陛下、葉山御用邸でご静養~
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~2013年2月18日  読売新聞より
陛下の体力、手術前より5割向上
狭心症の治療のため、天皇陛下が東大病院で心臓バイパス手術を受けられてから
18日で1年になるのにあたり、執刀にあたった天野篤・順天堂大医学部教授(57)が
17日、読売新聞の単独インタビューに応じた。
天野教授は「東日本大震災の被災者に寄せる陛下の思いを痛いほど感じ、術後に問題が
生じず以前の生活が可能になるよう、他の患者さんと同様、陛下の症状に合う最高の手法
で行った」と振り返った。
また、「心臓の血管は大丈夫なので、ぜひ海外訪問にも行っていただきたい。リハビリを懸命
にされたので、基礎体力は術前よりも5割ぐらいあがったと思う」とし、「国民に尽くすという
陛下のご活動を取り戻せたことで、少しは社会貢献が出来たと思う」と話した。

天皇陛下の手術1年にあたっての天野篤教授のインタビュー概要は次の通り。
(記者)陛下は、昨年12月の誕生日にあたっての記者会見で
   「大震災1周年追悼式に出席したいという希望を(医師団に)お話しし、それに間に合う
   ように手術を行っていただきました」と語られました。
(天野)「『出られれば』ということは言われていた。ただ、胸の水がたまっていたこともあり
   皇后さまは『式典なら皇太子が出られますから』と、無理をされぬよう気遣われていました」
(記者)出席は実現しました。
(天野)「手術後、集中治療室から特別室に戻った際、すぐにワープロを取り寄せ(式典のための)
   草稿を書かれていると聞き、その思いの重さも感じて時間を短縮して出ていただいた。
   宮内庁には移動時などに注意してくださいとお願いしました」
(記者)皇后さまはかなり心配されていたと聞きます。
(天野)「『春になれば良くなります』と何度も申し上げた。皇后さまに感謝したいのは、手術前に
   説明の時間を2時間いただいて疑問に全部答えることができ、私の方が逆にリラックス
   できたこと。陛下は箱根駅伝がお好きで、今後も見てもらわなければと思いました(笑)」
(記者)今年の歌会始で披露された皇后さまの歌(別掲)からは、天野さんの言葉が支えだった
   ことが分かります。
(天野)「大変光栄で、歌の中に『天、野、あ、つ、し』と入っていることに気付き、偶然かもしれない
   が大変感銘を受けました」
(記者)陛下の国民への思いは感じられましたか。
(天野)「入院前も公務のことはとても気にされ、公平にあたられていた。スーパーマンというか、
   すごい方だ、この方のために役立つなら一生懸命やろうと」
(記者)手術成功を確信したのはいつですか。
(天野)「陛下が昨年5月に英国訪問を果たされた時に確信しました。その後、陛下からも
   『いいようです』と言っていただいた。
   『手術前の症状は覚えていないのです』と言われるくらい、お元気になられました」
(記者)手術のタイミングは。
(天野)「その後の検査結果で、まさにあの時がベストのタイミングだったんだ、と分かりました。
   主治医の永井良三先生(当時、東大病院循環器内科教授)は、ともすれば現状維持を
   選択しがちだった皇室の医療が、前向きに変わるよう全力を尽くされたと思います」

 

<陛下の御回復を願われて御詠みになれた、皇后陛下の歌>

 天地(あめつち)にきざし来たれるものありて君が春野に立たす日近し

 

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~2013年1月31日  読売新聞より
両陛下はおおむね健やか」…定期健診概要
宮内庁は31日、天皇、皇后両陛下が1月下旬に受けられた定期健康診断の
概要を発表した。
両陛下とも「身体の状況は、おおむね健やか」とする一方で、天皇陛下(79)には
骨粗しょう症の進行がみられることを明らかにした。
宮内庁によると、陛下は、昨年2月に手術を受けられた心臓の状況を含め全体としては
「おおむね健やか」だったが、高齢であることや、前立腺がん手術後のホルモン治療の
副作用によって骨粗しょう症が進行。生活面で過度な負荷を避けることが必要とされた。
皇后さま(78)には、加齢によって持病の頸椎けいつい症性神経根症に進行がみられ、
頸椎に激しい衝撃や負荷がかかるような状況は避けることが必要とされた。
陛下がテニスなどで適度な運動を続けるのは骨粗しょう症に効果があり、皇后さまも
テニスは可能という。

 

 

 

 

 

 

2月17日は「祈年祭」の日

2月17日は、五穀豊穣を祈る祭典「祈年祭」の日でした。
伊勢神宮ほか、全国の神社でも執り行われました。
大東亜戦争終戦後、日本の国家神道が解体され、国家的な祭祀としての性格は無くなって
しまいましたが、古来より五穀の豊かな稔りを神祗に願う、大切な儀礼のひとつであります。

 

 

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2013年2月18日  読売新聞より
五穀豊穣へ祈り 神宮
今年1年の豊作を祈る祈年祭が17日、伊勢神宮外宮、内宮で行われた。
「としごいのまつり」と呼ばれる祈年祭は、耕作を始める前に、五穀豊穣を
祈る春のお祭り。
内宮では午前11時、神々に食事を供えて祈る大御饌(みけ)の儀が行われ、
午後2時に、天皇陛下から贈られた絹の反物などの幣帛(へいはく)を奉って
豊穰を祈る奉幣の儀が行われた。
参道では参拝者が足を止め、幣帛の入った唐ひつを担いだ神職を先頭に、
天皇陛下のお使いや臨時祭主の黒田清子さん、鷹司尚武大宮司ら神職約
30人の参列が正殿へ向かうのを見守った。

 

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2013年2月18日  みんなの経済新聞ネットワークより
今年の五穀豊穣祈る「祈年祭」早くも伊勢神宮
-黒田清子臨時祭主が奉仕/三重
朝の宇治橋には真綿のような霜が降り、まだまだ寒さ厳しい2月17日、
今年の五穀豊穣を祈る祭典「祈年祭」が伊勢神宮外宮・内宮で執り行われた。
23日まで伊勢神宮125社で行われる。
「としごいのまつり」とも呼ぶ同祭、神饌(しんせん)を奉納し五穀豊穣を祈願する
「大御饌(みけ)の儀」、勅使が参向し「幣帛(へいはく)」と呼ぶ皇室より送られた
布などを奉納する「奉幣(ほうへい)の儀」が両宮で執り行われた。
内宮での「奉幣の儀」では、幣帛を入れた唐櫃と勅使が先頭を歩き、その後を緋色
の浅沓(あさぐつ)、白衣・緋袴(ひばかま)・小袿(こうちぎ)といった平安の装束の
臨時祭主・黒田清子さんが続き、鷹司尚武大宮司、高城治延少宮司と続く参進の
列を成した。玉砂利を踏みしめザクザクと音を立てながら正宮まで歩くその様子は
平安時代に時間が逆戻りしたかのような厳かな空気をつくった。
この日は、日曜と重なったため参道は多くの参拝者で埋め尽くされ、その光景を目
にした参拝者は、目の前を通る参進の列に自然と頭を垂れていた。
同祭は、皇居と全国の神社でも執り行われた。

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~参考:「祈年祭」とは~
http://www.7key.jp/data/thought/shintou/norito/toshigoi.html

 

 

 

日米共同演習「アイアン・フィスト2013」

 日米共同演習「アイアン・フィスト2013」で、陸上自衛隊西部方面普通科連隊(WAIR)が、
アメリカ海兵隊のMV-22Bを使用しての上陸演習を実施しました。
西部方面普通科連隊は、自衛隊の中でも最精鋭部隊のひとつで、島嶼の防衛や上陸・奪還を
主任務としており、日頃から偵察、水路潜入、敵前上陸、制圧という過酷な訓練を続けています。

 

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2013年2月14日 FNNニュースより
日米共同訓練 陸自隊員、オスプレイに実戦形式の演習で初搭乗
「敵に占領された島を奪還する」という想定の日米共同訓練が13日、米国カリフォルニア州で
行われ、陸上自衛隊員が海兵隊の新型輸送機「MV-22オスプレイ」に、実戦形式の演習として
は初めて搭乗した。
「占領された離島を奪還する」という想定の今回の日米共同訓練は、カリフォルニア州の海兵隊
ペンデルトン基地の広大な海岸線を使って行われている。
13日はシナリオの最終段階、奪還に向けた島への上陸作戦が行われ、1月15日から、およそ
1ヵ月間続けられてきた訓練の総締めくくりにあたる。
垂直に離着陸が可能なオスプレイには、初めて大勢の陸上自衛隊員が訓練で乗り込んだ。
アメリカ海兵隊・訓練計画担当のジェームズ・ホイットラッチ氏は「自衛隊の皆さんに、また違った
能力や多様性のあるオスプレイを経験してもらえたと思う。日本は、ここのところの状況で、どれだ
けこの訓練が重要かは認識していると思う」と話した。
日米ともども、表向き「特定の国や地域を想定しているわけではない」としているが、尖閣諸島が
認識の中にあるのは明らかで、島などで機動力を発揮できる可能性のあるオスプレイがアピール
の機会を得た形となった。  
 

 

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2013年2月14日 産経ニュースより
陸自がオスプレイ初使用 離島奪還訓練
陸上自衛隊と米海兵隊は13日朝(日本時間14日未明)、米カリフォルニア州で行っている
日米共同訓練で、陸自隊員が海兵隊のMV-22輸送機オスプレイに搭乗し、敵に奪われた島を
奪還する作戦を報道関係者に公開した。自衛隊員が訓練でオスプレイに搭乗するのは初。
尖閣諸島をめぐる中国との対立の中、日米の緊密な連携をアピール。
沖縄県の米軍普天間飛行場へのオスプレイ配備に地元の反対論が根強い中、日米がオスプレイ
の有用性と安全性を強調した形だ。
13日の訓練は、海兵隊基地のキャンプ・ペンデルトンを敵に奪われた離島に見立て、航空機で
陸自隊員が上陸し、前夜までに秘密裏に潜入していた部隊と合流、奪還するとの想定。
午前7時45分ごろ、海上の米艦を離艦したオスプレイ4機が、機体を覆い隠すほどの激しい土埃を
上げて海岸沿いに着陸。迷彩服姿で小銃を持った陸自隊員約50人が続々と降り立ち、内陸方向
に向かった。(共同通信)

 

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2013年2月10日 産経ニュースより
米本土で離島奪還訓練 陸自と米海兵隊
陸上自衛隊と米海兵隊は9日(日本時間10日)、米カリフォルニア州沖合のサンクレメンテ島
の演習場で、敵に奪われた離島を奪還するシナリオの日米共同訓練を行い、報道関係者に
公開した。 中国の海洋進出をにらんだ南西諸島防衛強化策の一環。
中国海軍の海上自衛隊への射撃レーダー照射が明らかになった直後で、中国の反応が
注目される。
米本土での陸自と海兵隊の訓練は2006年に始まり今回が8度目。陸自からは、離島防衛が
主任務の西部方面普通科連隊(長崎県)など過去最多の約280人が参加した。
9日は同島を舞台に日米の部隊が上陸する想定で、海兵隊のCH-53大型輸送ヘリコプター
に陸自隊員が乗り込んで島に上陸したり、島にいる日米の隊員が、沖合の米軍艦艇と射撃の
手順を調整したりした。
陸自部隊の上陸場面で、米軍の垂直離着陸輸送機MV22オスプレイに搭乗する可能性もあった
が9日は使用しなかった。陸自は「米軍の現場部隊の判断」としている。 (共同通信)

 

 

 

 

 

 

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