筑紫の国の片隅で…

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マスコミが報じない在日米軍基地のクリスマス・パーティー

沖縄の在日米軍はボランティア活動など地元住民と様々な交流を図っていますが、マスコミはその様子を伝えるこ
とは殆どありません。特に、沖縄の新聞・メディアは全く無視しています。
12月12日、キャンプ・フォスター(北谷町)では、在日米海兵隊音楽隊(IIIMEF Band)による「クリスマス・
コンサート」が公演されました。 下の動画は、日・米の国歌(君が代と星条旗)が演奏されたときの様子です。


(在日米海兵隊You Tubeより)


12月12日 キャンプ・フォスター、米海兵隊音楽隊によるクリスマス・コンサート

また、辺野古のあるキャンプ・シュワブでは12月5日に地元の子供たちを招いて、34回目となるクリスマス・
パーティが開催されました。

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12月7日 在日米海兵隊fbより


12月5日 キャンプ・シュワブ クリスマス01

(この可愛い笑顔が・・・)

【米海兵隊キャンプ・シュワブ】
12月5日 キャンプ・シュワブ クリスマス02

12月最初の土曜日(5日)、キャンプ・シュワブでは隣接する辺野古地域の小学校6年生までの児童を招いて、
一足早いクリスマス・パーティを開催しました。
二日前の晩には辺野古少年野球チームを基地内に招いて、クリスマス・ツリーの点灯式を終えてばかりでした。
その点灯式では嘉陽宗克辺野古区長、デイビッド・オドム基地司令官、そして日米の子供代表がスイッチを入れ
友好のシンボルとしてツリーに灯りがともりました。
そして、USO(非営利で米軍関係者に福利厚生サービスを提供する団体)で行われたクリスマス・チルドレン・
デイには児童擁護施設、辺野古区、豊原区と久志区から児童や幼児が約150人ほど集まり、保護者を入れると
200人以上の地元住民が参加しパーティを盛り上げました。
まず始めにオドム司令官が
「今日は私たちのクリスマス・パーティに来てくださり、皆さんを歓迎します。50年以上に渡るキャンプ・シ
ュワブと皆さんの友好の証でもあり、楽しいことを沢山用意しています。どうぞ楽しんでいって下さい」と地元
住民を歓迎する挨拶を述べました。
続いて挨拶に立った嘉陽区長は
「34回目を迎えるこの行事は、半世紀以上にも渡る辺野古区とキャンプ・シュワブの友好な関係からなる賜物
です。そして、今年から久志や豊原の子供たちも招待していただき、このような機会を子供たちに提供してくれ
たオドム司令官やUSOの皆さんに感謝します」と述べました。
昼食にはUSOが用意してくれた200食分のホットドッグとポテトチップス、辺野古が用意してきた沖縄そば
400食がみんなに振る舞われ、それぞれが舌鼓を打っていました。昼食が終わると、中庭にはUSOが用意し
てくれた巨大ケーキが運ばれ、オドム司令官と司令官の娘、ターシャ(15)さんがケーキを切り分け、みんなに
配っていました。食事やデザートがすべて終わると、南国沖縄なので真っ赤なお鼻のトナカイさんではなく真っ
赤な消防車に揺られてサンタ・クロースが登場しました。サンタは用意していた220人分のプレゼントを子供
一人ひとりに手渡し、ハグをして子供たちの笑顔を貰っていました。全ての子供たちにプレゼントを配り終える
と、応援に駆けつけた名桜大学の女子大生もサンタからプレゼントを貰っていました。
このクリスマス・パーティを最初に開催したのは当時、キャンプ・シュワブの基地曹長を務めていたエパーソン
氏で海兵隊を退役後は辺野古で居を構えています。エパーソン氏は、「妻の勝子と二人で1985年頃、少人数
の辺野古の子供たちを招待して始めました。USOは当初から協力してくれました」と述べています。
高校2年生のターシャさんも毎回地元との交流会に参加していて「地元の人たちと一緒にアメリカの色々なイベ
ントを分かち合えることは嬉しいし、楽しいです」と笑顔で話してくれました。
辺野古少年野球部の6年生の男の子はプレゼントを貰い笑顔で「毎年、楽しいから参加しています。でも、これ
が最後なのでちょっと残念です」と話していました。
最後の挨拶でオドム司令官は「また来年のクリスマス・パーティでお会いましょう。でもその間、色々なイベン
トも沢山用意しています」と締めくくりました。
パーティの最後には児童たち全員で「赤鼻のトナカイ」を合唱して、オドム司令官やサポートしてくれた海兵隊
員、名桜大学生、USO職員に感謝の気持ちを伝えました。

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このクリスマスパーティーを楽しみにしている子供たちの笑顔を失わせ、心を傷つけるような信じられな行為が毎年、
米軍基地周辺で繰り広げられているのだそうです。
今回は市議会で問題となったため珍しく「沖縄タイムス」が小さな記事で取り上げていますが、簡単な内容で済ませ
ており、実際はどのような状況だったのか分かりません。
反対派の事となると、些細な出来事でも針小棒大かつ詳細に報じるのに、その扱いの違いに唖然としてしまいます。

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2015年12月11日 沖縄タイムスwebより
https://www.okinawatimes.co.jp/article.php?id=145421
辺野古抗議の男性 子どもが乗ったバスに罵声
【名護】 名護市議会定例会で10日、野党会派「礎之会」の宮城安秀議員が一般質問の中で、キャンプ・シュワブ
内のクリスマス行事に参加する辺野古区の児童が乗ったバスに対し、新基地建設の反対運動に参加していた男性が
罵声を浴びせたと述べた。宮城氏は辺野古区在住。
児童を引率した複数の区民によると、5日午前10時過ぎ、バス3台に分かれてシュワブ内に入ろうとしたところ、
男性が車窓をたたきながら侮辱する言葉を複数回発した

宮城氏は議会で「反対するのはいいが、ルールと法律、秩序を守ってやってほしい」と訴えた。
クリスマス行事は、シュワブと同区が34年前から続けている。
昨年までは徒歩でシュワブ内に入っていたが、同様のトラブルがあったため、ことしはバスに切り替えたという。

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この件に関して、手登根 安則さんの12月12日のfbによれば
基地内のクリスマスイベントに参加しようとした子供達は98名で、区民も付き添いのため同行していたそうです。
反対派は、ゲート入り口でバスの進路を塞ぎバスを停車させたうえで、集団でバスを叩きだし口々に「乞食、乞食、
ギブミーチョコレートか」「お前達、中に入れば殺さりんど」と恫喝を続けた
ようです(傍若無人な行為です)。
乗車していた子供たちの中には、怯えて泣き出しそうになった子もいたそうです(当然です…)。

上記の在日米海兵隊fbの記事に対して、以下の様なコメントが書き込まれています。

「辺野古11班の皆さん、ゲート前で大騒ぎして申し訳なく思います。それにもかかわらず、子供達を招待して
 くれたことに感謝です」

「一部の人たちは基地前で嫌な言葉をなげつけたりして、嫌な思いもしていると思いますが、違う考えを持った
 地元の人も沢山います」

「プロ市民が嫌がらせや騒いでるけど、そんな輩が民意ではないですからね。オール沖縄なんて思わないで」






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テーマ:テレビ・マスコミ・報道の問題 - ジャンル:ニュース

変貌した「沖縄全戦没者追悼式」

6月23日、沖縄県糸満市摩文仁(まぶに)の平和祈念公園で、『戦後70年沖縄全戦没者追悼式』が行われました。

800599.jpg

安倍総理、岸田外相、中谷防衛相、衆参両院議長、キャロライン・ケネディ駐日大使、橋下大阪市長らも出席。
約5400人(主催者発表)が参列し、戦没者の冥福を祈りました。
出席者らが平和への誓いを述べる中、翁長知事のスピーチは追悼とは程遠い、政治色の強い異例のものでした。
翁長知事のスピーチが辺野古関連にふれると、会場には拍手と指笛が響き渡ったのです。また安倍総理が追悼の言葉
を述べようと登壇すると、「何しに来たんだ!」「帰れ!」「嘘言うな!」などといった野次が飛ばされたのです。
悲しいかな厳粛たるべき式典が、その意図を踏みにじった反日左翼によるイデオロギー集会と変容してしまいました。
この野次騒動を海外メディアは見出しを付けて大々的に報じていましたが、翁長知事の発言が慰霊の場に相応しくな
いことや、野次を飛ばし会場から退去させられた人物が、反日反米抗議行動を行っているプロ市民活動家だというこ
とには触れていません。国内の反日マスコミがこの件を報じなかったのは、沖縄の味方面をし「沖縄県民の声を聞け」
と安倍総理や政府を批判している立場としては、下手をすると墓穴を掘りかねないと判断したからに違いありません。
唯一、産経新聞だけが一面で「飛ぶ怒号 慰霊どこへ」の見出しを揚げ、翁長知事のスピーチを批判的に報じるととも
に地元の人達の声を伝えていました。

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<イギリス国営放送 BBC>
Japan PM Shinzo Abe jeered at Battle of Okinawa ceremony
(日本の首相・安倍晋三、沖縄戦式典で非難を受ける)
http://www.bbc.com/news/world-asia-33229432

6月23日 BBCnews 
(普天間基地野嵩ゲート前で抗議活動を行っている老害活動家です)



2015年6月23日AFP
Bataille d'Okinawa  Abe rend hommage aux victimes



2015年06月23日 AFP(糸満/沖縄)より
安倍首相、「慰霊の日」式典で野次浴びる 沖縄戦70年
太平洋戦争末期に住民を巻き込み多大な犠牲者を出した沖縄戦の終結から70年に合わせ、
沖縄・糸満市の平和祈念公園で23日に行われた沖縄全戦没者追悼式で、挨拶のため登壇し
た安倍晋三首相が参列者から野次を浴びせられる一幕があった。
米軍の沖縄駐留に不満を持つ地元住民らが、檀上にあがった安倍首相に「帰れ」などの野次
を飛ばした。日本で首相が直接市民から野次られることは稀だ。
安倍首相は挨拶の中で「沖縄の人々には、米軍基地の集中など長きにわたり、安全保障上の
大きな負担を担っていただいている」と述べたうえで、「沖縄の基地負担軽減に全力を尽くす」
と語った。
一方、翁長雄志沖縄県知事は、米軍施設の73.8%が、日本の国土面積の0.6%を占めるに
過ぎない沖縄に集中し、県民に負担を強いていると訴え、参列者の温かい拍手に迎えられた。
(c)AFP/Alastair HIMMER
http://www.afpbb.com/articles/-/3052521?pid=16064054

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平成27年6月24日 産経新聞より
6月24日 産経 沖縄戦没者追悼式 



この時の様子を「沖縄情報グループ」のメンバーの一人が、フェイスに投稿されていましたので転載しておきます。
マスコミが伝えない地元の声が伝わってきます。

6月26日 金子 勝fbより
https://www.facebook.com/markun.yuuki.miu.nao?fref=nf
6月23日沖縄慰霊の日、戦後70年沖縄全戦没者追悼式が沖縄県平和記念公園において行われたことは、
マスコミ等によって大々的に報道されたのでその内容はご承知のことと思う。この式典の趣旨は...
我が県では、太平洋戦争において、一般住民をも巻き込んだ悲惨な地上戦となり、多くの尊い生命とかけがえ
のない財産及び文化遺産を失った。このような冷厳な歴史的事実にかんがみ、戦没者のみ霊を慰めるとともに
世界の恒久平和を願う沖縄の心を発信する。また、今年が戦後70年も節目であることを踏まえ、沖縄戦の歴史
的教訓を正しく伝え、次世代の子どもたちに平和の尊さを継承することを目的とする。 ...とされている。
しかし、今回の式典は、本来の御霊の安らぎを願うものとは程遠い、いや、追悼式とは全く形だけで、線香の煙
ではなく、きな臭い淀んだ空気が漂う言わば政治戦の場となっていた。
翁長県知事の平和宣言においては、内容の三分の二は沖縄の基地問題とその嫌悪感、そして政府に対する要望と
対決姿勢を綴ったもので、およそその内容からは御霊が安らぐどころか彷徨ってしまうのではと怒りさえ覚えた

昨年までの追悼式では、式典会場は鎮魂の場とわきまえた遺族らが参列しており、終始厳かに執り行われていた。
だが今年は、それが一変した。
翁長県知事が読み上げる内容、基地問題に触れたとたんに、会場からは「そうだ!そうだ!」という掛け声とと
もに、「安倍帰れ!」と数人が連呼し始めた。それにつられてか、笑い声と拍手が起きる始末だった。
そして事件は、安倍総理の来賓挨拶の時に起こった。
安倍総理が挨拶をするため演台に歩みだして直ぐに、会場から「安倍帰れ!」などと次々とヤジが飛んだ。
安倍総理が挨拶文を読みはじめると、参列者席に座っていた男性(82歳)が突然立ち上がり、総理の方向に詰め
寄りながら右腕を上げて指差し大声で「安倍総理!」「おい!帰れ!」「何のために来た!」と罵声を浴びせ始め
た。すかさず私服警察官がその男性の進行を遮り、罵声をやめて席に戻るように促した。
座っていた席まで戻し、頭を下げながらやめるようにお願いをする私服警察官に、話を聞いているそぶりを見せた
男性であったが、すぐさま、再び大声で罵声を浴びせ始めた。
これでは、進行の妨げになると会場の外へと誘導し、会場のテントを出た場所で、不足事態の対処方法が書かれた
内容(細部は不明)をこの男性に見せて会場外へと誘導した。
それでもこの男性、会場外からも両手をメガホンのように添えて「安倍帰れ!」と連呼した。
後で判ったことであるがこの男性、基地反対運動を生業とする活動家だった。この男性が仕事としてよく現れてい
る場所は、普天間基地の第3ゲート(通称 野嵩ゲート)前でオスプレイ配備反対のバナーをフェンスに括りつけ、
拡声器で通勤する米兵や軍勤務者へ罵声を浴びせている
のだ。
この男性、キャンプシュワブゲート前での集会そして翁長県知事が呼びかけたセルラードームで行われた集会等な
どの基地反対運動の場には必ずというほど参加していて、言わば翁長県知事の応援者と言っても間違いないだろう。
この男性にについて翁長県知事は、『気持ちはわかる』と記者の質問に答えており、その言葉はこの男性を擁護し
ているかのようであった。
この男性がいた場所の写真を後日見ると、その中には、この男性と共に基地反対運動を生業としている人物が何人
も確認できた
。つまり、この翁長県知事に対する応援の掛け声や安倍総理に対するヤジや罵声は活動家たちの計画
的犯行であったのではないかと私は思った。
この男性がつまみ出される時、2人の男性が警察官に詰め寄り、この男性を助けようとしたり場外へと連れて行か
れるシーンを会場から追いかけて撮影する女性もいた
。どのように連携しているのかは定かではないが式典会場の
外でも安倍総理の車列に飛び出し妨害をした活動家がいたと聞く。
冒頭でも書いたが、このような不穏な行動が式典会場の中でも行われた背景には翁長県知事の執拗な反政府的姿勢
があることは間違いないだろう。
翁長県知事は、辺野古阻止のためにはあらゆる手段を尽くすとまで宣言している。
また、キャンプシュワブ、辺野古海岸、普天間基地を始めとして基地周辺で行われている反対運動は法律や規則を
完全無視した違法行為が行われているにも関わらず、翁長県知事や県選出の革新系国会議員らが積極的に応援メッ
セージを送り、時には激励に訪れている
。このことは、活動家らを刺激し、反戦平和は免罪符とばかりに犯罪をも
ためらいなく、いろいろな手法で阻止行動を起す原動力となってしまっているのでは、と恐怖さえ覚える。
今回の追悼式でこのような行為がなされたことは、翁長県知事の露骨な式典の政治利用と、まるで活動家らが犯行
予告を出すがごとくなされる辺野古埋め立て阻止の策略が、歯止めの聞かない過激思想の活動家を刺激したからだ
と私は指摘する。
厳正な場所で行われた異常な行為を、マスコミ(特に県内)はマナー違反として片付け、翁長県知事の政治利用し
た平和宣言を、これでもかと高評価し応援・擁護する報道に徹している



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一方、同じ日に、うるま市浜比嘉島ではささやかですが、本来の慰霊といえる集いがありました。
その様子を在日米海兵隊fbが伝えています。こういう事を報じるのが、地元紙の役割ではないでしょうか。

在日米海兵隊fb(6月24日)より
https://www.facebook.com/mcipacpao?fref=photo
沖縄戦終結から70年の節目となる「慰霊の日」を迎え、糸満市にある平和祈念園で
「沖縄全戦没者追悼式」が執り行われましたが、時を同じくして、うるま市浜比嘉島に
ある慰霊碑の前にも住民が集まりました。

うるま市慰霊祭

【沖縄県うるま市】
戦後70回目を数える暑い夏が、また今年もやって来ました。
日本の終戦記念日は8月15日となっていますが、沖縄にとっての終戦記念日は6月23日です。
沖縄戦終結から70年の節目となる「慰霊の日」を迎え、沖縄県糸満市にある平和祈念公園では、
安倍総理やケネディー米駐日大使も参列し、約5400人が出席した「沖縄全戦没者追悼式」が
執り行われました。
時を同じくして、うるま市浜比嘉島にある慰霊碑の前には10数名の島の住民が集まり手を合わ
せて祈りを捧げました。慰霊碑には沖縄の地上戦で亡くなった島民の名前が一人ひとり刻まれて
います。慰霊碑の前に集まった人々の中に、一人のアメリカ人女性の姿がありました。
彼女の名前はクリスティン・シェリー、1968年に沖縄で亡くなった海兵隊施設部隊司令官、
カーミット・シェリー米海兵隊大佐の孫で、遠路遥々アメリカからこの日のために沖縄を訪れて
いました。クリスティンさんは、「浜比嘉島の慰霊の日に合わせてこの島に来ました。島の皆さ
んが慰霊碑の隣に、祖父の記念碑を造ってくれ管理していると聞いて訪ねて来ました」と説明し
ています。
慰霊祭に出席したキャンプ・コートニー副司令官のレイ・ウェルチ博士は、「このような特別な
日に参加できる機会をいただき、皆様に感謝します。いちゃりばちょーでー(沖縄方言で、一度
会ったら皆兄弟の意味)で、これからも皆様との関係を続けていければ光栄です」と参列者に挨
拶しました。
クリスティンさんは「家族を代表して、そして亡くなった祖父に代わりまして皆様に感謝します。
毎年こういった慰霊祭に祖父を含んで頂き、本当にありがとうございます」と感謝の言葉を述べ
ました。
慰霊祭が終了すると数名の住人が慰霊碑近くにある飲食店に足を運び、当時の海兵隊員やシェリ
ー司令官を回想して話してくれました。
戦後すぐに島と海兵隊との繋がりが始まり、海兵隊員は毎週土曜日、食料、木材やペンキを持っ
て船で渡ってきて、民家を建てたり学校を修理したりして、日曜日の夕方に帰って行きました。
ドラム缶で風呂を沸かし、島民を入れたり、発電機を設置して、島民の暮らしに電気を導入したり、
当時、島には電話がなく、ある日一人の海兵隊員が電話線を持って泳いで向こう岸に渡り、電話線
をつなげてくれた事もありました。 こうして、海兵隊と島民の交流は深まっていきました。
シェリー司令官や彼の部下達は、荒廃した島の復興に尽力し、教会、小中学校、公民館や貯水池の
建設を支援しました。この貯水池は、現在も島の農業用灌漑用水として活躍しています。
島の住民達は彼が亡くなった後、感謝を示すため、1968年に記念碑を建立し、毎年6月23日
に慰霊祭を行ってきました。慰霊碑の管理を何十年も行ってきている盛根良二さんは「シェリー司
令官はとても親切でした。何時間も掛けてシェリー司令官の記念碑のプレートを磨きました」と話
しています。
最後にクリスティンさんは「アメリカから遥か遠く離れた、多くのアメリカの人達が名前さえ知ら
ない小さな島に、おじいさんの記念碑があるなんて信じられないくらい夢の様な話です。島の人達
が、おじいさんを記憶に留めていて、私たち家族の名誉でもあり、嬉しくもあります。島の人達に
本当に感謝します」と話しています。


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<参考として>
平成27年6月24日 産経新聞 【戦後70年~沖縄】より
20年3月26日から6月23日まで沖縄で続いた地上戦は凄惨を極めた。51年3月に沖縄県援護課が発表した
データによると、日本側の死者数は18万8136人。うち沖縄県出身者は12万2228人、一般人は9万4千
人だった。
沖縄県民の4人に1人が亡くなったとされる。日本列島の南端に位置する沖縄がなぜこれほどの戦場と化したのか。
19年7月7日、日本が本土防衛上の最重要拠点と位置づけたサイパン島が陥落した。
これにより、「超空の要塞」と呼ばれた米軍B29爆撃機が無給油で日本のほぼ全土を爆撃可能となった。
11月24日には、サイパンを飛び立ったB29爆撃機が東京を初空襲した。
だが、米軍にはまだ不安があった。小笠原諸島南端の硫黄島と沖縄本島。
日本軍がこの2島に残存する海空兵力を結集して徹底抗戦すれば、甚大な被害を覚悟せねばならないからだ。
日本軍も2島を死守すべく動いた。大本営は直轄部隊として、硫黄島に陸軍中将 栗林忠道指揮下の小笠原兵団約
2万1千人を、沖縄には陸軍中将 牛島満の下に第32軍約8万6千人を配備した

一方、米軍は19年10月25日、対沖縄攻略「アイスバーグ(氷山)作戦」を正式決定。直前の10月10日に
沖縄本島に艦載機による大規模空襲を行い、那覇市街地の9割を焼失させた。
硫黄島で栗林率いる守備隊が玉砕した直後の20年3月26日、米陸軍中将のバックナー率いる第10軍は慶良間
諸島に上陸。4月1日早朝から沖縄本島侵攻を敢行し、その日のうちに北(読谷村)、中(嘉手納町)の両飛行場
を占領した。
これ程あっさり上陸できたのは、牛島が水際決戦を避け、首里(那覇市)に陣を固め、持久戦に持ち込んだからだ。
すでに制空権、制海権を奪っていた米軍はごく短期間での占領を想定していたが、日本軍はしぶとく戦った。
それでもジリジリと南端の摩文仁に追い詰められ、牛島は6月23日に自決、組織的戦闘はここで終結した。
沖縄戦で米軍が投じた艦艇は約1500隻、兵力は延べ54万8千人、艦砲射撃などで使用した砲弾は約270万
発に上った
。「鉄の暴風」といわれる凄まじい攻撃を仕掛けながら沖縄攻略に3カ月を要し、司令官のバックナー
を含む1万2千人超が戦死した。米陸軍省の報告書では、「沖縄で払った代償は高価なものだった。
米軍の死傷者の最終的な対価は、日本軍に対するどの方面作戦で経験したものより高かった」と総括している。
残念ながら戦後日本での沖縄戦の評価は総じて厳しい。
大本営が20年1月の帝国陸海軍作戦計画大綱で「沖縄作戦は本土戦備のために時間を稼ぐ持久戦である」と位置
付けたこともあり、「沖縄は捨て石にされた」という批判もある。
だが、本当に沖縄が捨て石だったならば、大兵力を投じて守ろうとはしない。第32軍以外にも、沖縄防衛のため
多くの特攻隊員が散り、戦艦大和も海上特攻を決行、鹿児島沖で撃沈された
。沖縄を見捨てず守ろうとしたがため
に被害が拡大したとみるべきだろう。
海軍陸戦隊を率いて戦った少将の大田実は、6月13日の玉砕直前に海軍次官に送った電報で、沖縄県民の協力と
支援を讃え、その窮状を訴えた上でこう結んだ。
「沖縄県民斯ク戦ヘリ 県民ニ対シ後世特別ノ御高配ヲ賜ランコトヲ」





6月24日 産経 沖縄戦の経緯 

6月24日 産経 沖縄戦2 

6月24日 産経 沖縄戦の兵力 




テーマ:沖縄問題 - ジャンル:政治・経済

マスコミが伝えない沖縄の話題

翁長知事や基地反対派が、辺野古に新基地(?)は造らせないと主張していますが、これって変ですよね。
辺野古にはキャンプ・シュワブという米軍基地が現存しています。その一部を埋め立てて滑走路を増設しようとしている
のであって、新しく基地を造る移設計画ではありません。左巻きの人達の思考は、ほんと理解に苦しみますね。
マスコミが報じない沖縄の話題は多々ありますが、さる4月4日(土)、キャンプ・シュワブ(名護市辺野古)でイースター
(キリストの復活祭)を祝うため周辺住民にゲートを開放したとのこと。近隣の150名余りの児童や保護者が参加し交流
を楽しんだようです。

4月4日 キャンプ・シュワブでイースター
エッグハントに興じる子供たち(4月7日 在日米海兵隊fbより)

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4月24日にはキャンプ・シュワブの海兵隊員たち約60名が、名護市屋我地島にある国立ハンセン病療養所「愛楽園」
に赴いて「ビーチ・クリーンアップ」を行ったということです。

4月24日 キャンプ・シュワブ ビーチクリーンアップ01

4月24日 キャンプ・シュワブ ビーチクリーンアップ021
4月24日 在日米海兵隊fbより
( https://www.facebook.com/mcipacpao?pnref=story )

キャンプ・シュワブ 沖縄愛楽園

ちなみに、辺野古周辺で日々反対運動に励んでいる自称・平和活動家の皆さんは、浜辺や基地周辺を汚して近隣住民
に迷惑はかけても、米軍のような清掃ボランティアをやったなどという話は、寡聞にして知りませんけど・・・。

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「THE FACT」 マスコミが報道しない「事実」を世界に (2015年4月25日)
オール沖縄!?辺野古基地移設反対は沖縄県民の「民意」ではない


翁長沖縄県知事が、安倍首相、菅官房長官らと相次いで会談し、米軍の辺野古基地移設反対を訴えています。
この動きに対し、地元メディアをはじめとする報道機関では、基地移設反対があたかも沖­縄県民の「総意」である
かのように報じています。 果たして本当にそうなのでしょうか・・・。



テーマ:政治・経済・社会問題なんでも - ジャンル:政治・経済

ハート・クリーン・プロジェクト

拙ブログではマスコミ・メディアが報道しない沖縄の問題を何回か取り上げてきました。 沖縄県民でもない者が、余計
なことかもしれませんが、一人でも多くの人に沖縄の実態を分かってもらえればとの思いからですので、ご理解ください。

沖縄では反戦平和団体と称する連中が、米兵たちへの執拗な嫌がらせを続けていました。その行動は横断幕を持ち
、罵声を浴びせ、米兵の妻子が運転する車のボンネットに乗り上げるなど、常軌を逸したとんでもないものでした。
こうした沖縄の自称平和団体(略)の過激行動に対し、沖縄の人たちが起こした行動が、下の動画です。 (略)
政治活動なら何をしても許されるという考え方は、それ自体が大きな履き違えだと私は思います。
(小名木善行fbより)

【Real OKINAWA】2014/04/30 に公開
ハート・クリーン・プロジェクト  Heart Clean Project

HCP(ハートクリーンプロジェクト)とは、ヘイワ団体によるアメリカ人へのヘイト
スピーチ、ヘイトクライムで心を痛めた米軍兵士やその家族を励ます活動です。

フェンス・クリーン・プロジェクト  Fence Clean Project

Fence Clean Projectは、自称平和を標榜する方々によって赤く染め上げら
れた基地のフェンスを清掃し、もとの風景を取り戻していくボランティア活動です。

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2015年2月19日 KYODO NEWS 【共同通信社】より
米基地前のテント撤去要求 辺野古反対派に国道事務所

米軍普天間飛行場(沖縄県宜野湾市)の名護市辺野古移設をめぐり、沖縄総合事務局北部国道事務所(名護市)は
19日、辺野古反対派の市民らに対し、移設予定地に隣接する米軍キャンプ・シュワブのゲート付近の歩道に設置し
たテントや立て看板、横断幕を26日までに撤去するよう求めた。

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2015年(平成27年)2月19日 NHKニュースより
反対派テント撤去求め 文書で注意
アメリカ軍普天間基地の移設計画に反対する市民グループらが、移設予定地に隣接する基地のゲート前の歩道に設置
しているテントについて、道路を管理する国の国道事務所は「不法に道路を占有している」などとして、1週間以内に撤去
するよう文書で注意しました。
名護市辺野古のアメリカ軍基地、キャンプシュワブの沿岸部では、普天間基地の移設に向けた作業が進められていて、
基地のゲート前では移設計画に反対する市民グループらが、連日、抗議活動を行っています。
先月からは深夜の資材搬入などを阻止しようと、ゲート前を通る国道の歩道にテントを設置して24時間態勢で抗議を続
けています。
19日昼すぎ、道路を管理する国の北部国道事務所の職員4人が訪れ、「国道の敷地を不法に占有している」などとして、
1週間以内にテントを撤去するよう文書で注意しました。
これに対し、市民グループ側は受け取りを拒否し、文書は職員がそのまま持ち帰りました。
また19日午後4時すぎには沖縄防衛局の職員も訪れ、「テントの支柱などがアメリカ軍基地の敷地内にはみ出している」
として、1週間以内に支柱を撤去するよう求めました。
防衛局の職員がテントの前で文書を読み上げようとしたところ、市民グループ側の数十人が取り囲んで激しく抗議し、一時
警察の機動隊も出て現場は騒然となりました。

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2015年2月19日 読売新聞より
辺野古移設反対派に、テントなど撤去の行政指導
沖縄防衛局と内閣府沖縄総合事務局は19日、沖縄県の米軍普天間飛行場(宜野湾市)の移設先となる名護市辺野古の
「米軍キャンプ・シュワブ」ゲート前で抗議活動のため歩道上にテントを張るなどしている移設反対派に対し、今月26日
までにテントなどを撤去するよう行政指導した。シュワブ前での抗議活動について、期限を区切っての撤去要請は初めて。
ゲート前を走る国道329号の歩道には現在、反対派がブルーシートで囲うなどしたテントが約30メートルにわたって立
ち並び、歩道幅の約3分の2を占拠。支柱のパイプはシュワブのフェンスにくくりつけられ、敷地内にはみ出している。
防衛局と総合事務局北部国道事務所の職員は19日、撤去を求める文書を手渡そうとしたが、反対派は「帰れ」などと
反発し、受け取りを拒否した。このため、防衛局はフェンスに要請文を貼り出し、同事務所は文面を読み上げた。

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2015年2月20日 朝日新聞デジタルより
辺野古移設の反対派テント、国が撤去を指導
米軍普天間飛行場(沖縄県宜野湾市)の同県名護市辺野古への移設計画に対する反対派が座り込みのため国道沿い
に設置しているテントについて、内閣府沖縄総合事務局と沖縄防衛局は19日、反対派の市民に対し、26日までに撤去
するよう文書で指導した。
反対派は昨年7月以降、移設予定地を抱える米軍キャンプ・シュワブ前の国道で座り込みを続けている。
テントは、シュワブのフェンス沿いの歩道にシートやパイプを使って約20メートルにわたり設置。当初、座り込みは日中だ
けで、夜間はテントを撤収していたが、今年に入ってからは24時間設営されている。
沖縄総合事務局北部国道事務所は「許可なく設置されており、これまでも口頭で指導していた。24時間態勢になり、火の
取り扱いも見られて危険だ」と説明。沖縄防衛局は「施設区域の安全確保を阻害しているとして、米海兵隊から撤去要請
があった」としている。今後、行政代執行の手続きが取られる可能性もある。
座り込みをとりまとめる沖縄平和運動センターの山城博治議長は「運動として定着し、県民の支えもある。突然来て撤去
しろというのは冗談じゃない」と話した。

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2月20日 NHKニュースより
2月20日 NHK テント撤去指導は

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2013年11月7日 zakzak(夕刊フジ) 【沖縄の真実】より
移設反対派のシンボル・辺野古テント村の実態 地元は無関係の“座り込み”
米軍普天間飛行場の移設反対派にとって最大のシンボルといえば、名護市辺野古の「テント村」である。8年以上前から
座り込みが続けられ、地元住人がこぞって反対しているような印象を全国に広めている。
「米軍基地撤去」を掲げる野党の国会議員が沖縄を訪ねた際は、辺野古漁港にあるテント村を激励する報道も見られる。
本土からの修学旅行生の見学コースの1つにもなっている。
沖縄県民ですら「辺野古の人たちは移設に反対している」とだまされているが、(略)辺野古区の住民は普天間移設先で
ある地元の米海兵隊キャンプ・シュワブと歴史的に友好な交流を続けており、移設を条件付きで容認している。
では、テント村の実態とは何なのか。
私は辺野古漁港で漁業を営む人々に確認したが、彼らは「テント村には辺野古区の住民はいない」と断言していた。
テント村は「ヘリ基地反対協議会」という団体が名護市が管理する漁港施設の一部を不法占拠してテントを設置し、全国
の市民団体などに呼びかけて座り込みを続けているのである。地元とはまったく関係がないのである。
逆に、辺野古区の住民はテント村に不快感を示し、「テント村を撤去してほしい」と団体側に要求してきた。
らちが明かないため、辺野古区の区長は2012年3月、テント村の撤去を求め、区民763人分の署名を名護市の稲嶺進
市長に提出している。当時の全国紙の記事を見ると、普天間移設に反対している稲嶺市長が、「話し合いで解決できる方
向を模索したい」と応じたのに対し、辺野古区民からは「早く解決しないと、実力行使をしようという若者も出かねない」とい
う激しい意見まで出ている。
こうした経緯があるのに、沖縄メディアはいまだにテント村について、「辺野古移設に反対する住民らの座り込み」などと伝
えている。沖縄メディアが伝えるテント村のイメージは、実態と180度違う。(略)
キャンプ・シュワブのフェンスには、移設反対派がリボンやメッセージを書いた布などを貼り付けている。そこには団体名な
どが書かれているが、それを見ると殆どが本土から来た人たちであることが分かる。

仲村 覚…ジャーナリスト、沖縄の基地問題や尖閣問題、防衛問題の取材・執筆活動を続けている)




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辺野古移設、反対派に迎合する人民朝日

沖縄の地元紙と朝日・毎日は、辺野古の抗議活動に参加しているのが、普通の市民だと思わせるような記事の内容に
終始しており、彼等の実態を伝えようとはしません(報道の自由なのでしょうか…)。
基地周辺で抗議活動を続ける連中も、カヌーに乗って執拗に妨害活動を繰り返す連中も一般の市民ではありません。
彼等はプロ市民であり左翼の活動家たちが殆どです。けっして、善良な地元の人々ではありません。
彼らは作業員への暴力もいとわず櫓(やぐら)に上り、実力(暴力)で掘削調査を阻止するのが目的なのです。
海上保安庁の隊員は、そんな連中から櫓を守るために職務遂行しているに過ぎません。反対派が過激な行動にでれば、
ある程度強硬な阻止行動をとらざるを得ないのが実情なのです。
にもかかわらず、朝日は『反対派が「過剰警備だ」と反発している』として、海保が一方的に悪いような扱いをしています。
また、“立ち入り禁止区域に入ったカヌー3艇の3人が、巡視船まで連れて行かれ、事情を聴かれた”という30代男性の
「正当な抗議を力でねじふせる海保のやり方はでたらめだ」という暴言を、正当な主張のように書いています。
“立ち入り禁止区域に入った”反対派の男が悪いのですから、それを無批判に取り上げる朝日の良識が疑われますね。
例によって御用学者を登場させ、山田健太専修大教授に「規制は明らかに大きな損失がある場合に限られるべきだ」
語らせていますが、10年前、反対派の危険な抗議活動が横行し、掘削調査が中止に追い込まれた経緯があります。
当時、作業海域内は反対派が自由に出入りできる状態だったため、反対派は調査用の櫓を占拠し、組立て作業を妨害
しました。危険を招きかねない海上における、度を越した抗議活動により、掘削調査は中止に追い込まれたのです。
したがって今回、万全の態勢で臨むのは当然のことなのです。それとも朝日は、何の実害も損失も無かった、とでもいう
のでしょうか…。
反対派の危険な行為を平和的に阻止するために、侵入禁止区域を設け、ブイを設置し、反対派の侵入を防いだうえで、
海保は作業場周囲を取り巻くという二重三重の警戒態勢をしいているのです。それを、朝日や沖縄二紙は過剰防衛だ
という印象記事で、反対派に免罪符を与えようとしています。

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2014年8月26日 朝日新聞デジタルより
辺野古沖、強制的な排除続く 反対派「過剰警備だ」
米軍普天間飛行場(沖縄県宜野湾市)の移設に向け、国が海底調査を始めた同県名護市辺野古沖で、カヌーによる
抗議活動を続ける反対派と、厳重な警備態勢を敷く海上保安庁のにらみ合いが続いている。
海保は巡視船やボートを出し、時には反対派を強制的に排除。反対派は「過剰警備だ」と反発している。
「カヌー隊確保開始!」。号令の下、エンジン付きのゴムボートに乗った海上保安官がカヌーに近づき、乗っている人を
ボートに引きずり込む。辺野古沖では、こうした光景が繰り返されている。
保安官から羽交い締めにされ、事情を聴かれた30代男性は「正当な抗議を力でねじふせる海保のやり方はでたらめだ」
と怒る。25日には、立ち入り禁止区域に入ったカヌー3艇の3人が巡視船まで連れて行かれ、事情を聴かれた
今月中旬の海底ボーリング調査開始に合わせ、海保は全国から集めた十数隻の巡視船を沖合に展開。
今も数隻が残る。ゴムボート約20隻も出し、反対派のカヌー十数艇を監視している。
辺野古沖には、ボーリング調査区域を取り囲むかたちで立ち入り禁止区域が設けられているが、反対派によると、海保は
立ち入り禁止区域外で進路を遮ることもあるという。
連日カヌーで沖に出る名護市の女性(36)は「区域外で抗議の意思を示すのは表現の自由の範囲内」。
禁止区域内では米軍関係者が海水浴を楽しむ姿も見られ、反対派は「海保は『進入すると危険』と言うが、どこが危険な
のか」と憤る。
海保によると、反対派の取り締まりは「海上の安全及び治安の確保」を海保の任務と定めた海上保安庁法2条に基づく
「安全指導」という。
反対派は「過剰警備だ」と批判するが、海保担当者は「海域が広く浅瀬も多い。米軍への提供区域でもあり、安全確保の
観点から必要な態勢を整えた」と話す。
専修大の山田健太教授(言論法)は「海上での抗議は官邸前デモと同じで、規制は明らかに大きな損失がある場合に限ら
れるべきだ」と指摘
。元海上保安庁警備救難監の辺見正和さん(81)は「反対運動がどの程度の規模かがわからず、必要
以上の態勢を取った面もあるのでは」と話す。 (岩崎生之助、泗水康信)

《8月23日 沖縄タイムスの記事》
8月23日沖縄タイムス 辺野古

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下の写真は前回のボーリング調査の時の写真です。
2005年4月 辺野古01

2005年4月 辺野古02

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辺野古移設反対派は「沖縄の海を守るために、辺野古沖の埋立ては認められない」と主張していますが、沖縄の実情を
探っていくと、反対派の主張には首を傾げざるを得ません。
沖縄の沿岸部では戦後以来、大規模な埋立て工事が数多く行われ、総面積は2,628haに及んでいます。その規模は
全国8番目(2012年度)であり、まさに乱開発状態なのです。かたや、辺野古沖の埋立て計画は160haの予定であり、
沖縄の海を汚し続けた開発工事の6%にも満たない面積なのです。
また、那覇空港の滑走路増設事業も辺野古と同じ160haの埋立てが予定されていますが、辺野古のような反対運動が
起きているなど寡聞にして聞いたことがありません…。
「海に悪影響ある」という反対派は、米軍基地の埋立ては環境に悪いが、民用地の埋立ては環境に問題ないと思ってい
るのでしょうか…? 私には彼等の矛盾した主張が理解できません。
辺野古の大浦湾が自然豊かなのは、辺野古にキャンプ・シュワブという軍用地あるため、民間地のように海や山が乱開
発で荒らされずに済んできたからです。はからずも米軍基地が有ることで辺野古の自然が保護されている訳です。
キャンプ・シュワブがある地域は綺麗な白い砂浜で自然のままですが、辺野古の民間地域の川や海は汚れています。
乱開発で自然を破壊し、住宅や道路やゴルフ場を造ったため汚れてしまいました。ジュゴンが棲み、鳥や蝶々が飛び交う
地域は、住民が生活している地域ではなく軍用地が有る地域なのです。辺野古飛行場埋立ては沿岸部の一部であり、
大浦湾の自然は殆ど壊されることもなく汚れてしまうこともありません。
反対派が「美ら海を守ろう」と主張するように、辺野古の海を自然豊かな状態に維持したいのなら、辺野古の海も山も
軍用地域にしたほうが綺麗な海を守ることになるのではないでしょうか。
また、「ジュゴンの海、辺野古を守れ」というのが反対派の主張の一つですが、沖縄に生息する3頭のジュゴンの主たる
生息地域は、辺野古よりもっと北の名護市嘉陽(かよう)と西海岸の古宇利島(こうりじま)近海だそうです。
嘉陽の〝個体A〟は殆ど移動せず、古宇利島のメス〝個体B〟は留まっていることが多く、その子供〝個体C〟は行動
範囲が広く、時折、辺野古に現れるのも〝個体C〟だと思われます。また〝個体C〟は本島中部の伊計島(いけいじま)
沖でも観察されているようです。地元の漁師の方でも、「ジュゴンを見たことが無い」というのが殆どだそうです。
反対派が海で騒がなくなれば、静かな辺野古の海にジュゴンも戻ってきてくれるかもしれません・・・。

ジュゴン生息域


<参考>
izaデジタル 「米軍普天間飛行場移設問題」まとめ
http://www.iza.ne.jp/topics/politics/politics-202-m.html






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