筑紫の国の片隅で…

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10月20日は「地久節」の日

皇后陛下におかせられましては、満八十二歳のお誕生日を迎えあそばされました。
心より慶祝を申し上げ、皇后陛下の御健康、御長寿、御皇室の弥栄を祈念申し上げます。


   10月20日 産経 皇后陛下82歳

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2016年10月20日
NHKニュース

皇后さま 82歳の誕生日
皇后さまは20日、82歳の誕生日を迎えられました。
皇后さまは誕生日にあたり、記者の質問に対して、この1年を振り返りながら文書で回答を寄せられました。
この中で皇后さまは、天皇陛下が8月にビデオメッセージでお気持ちを表されたことについて、「現在のお気持
ちのにじむ内容のお話が伝えられました」と述べられました。
続いて、「皇太子や秋篠宮ともよく御相談の上でなされたこの度の陛下の御表明も、謹んでこれを承りました」
と記したうえで、「ただ、新聞の一面に『生前退位』という大きな活字を見た時の衝撃は大きなものでした」
と振り返られました。皇后さまは、また、熊本地震などの自然災害を挙げながら、自然の歴史にはある周期で
平穏期と活性期が交互に来ると言われるとしたうえで、「今私どもは疑いもなく、その活性期に生きており、
誰もが災害に遭遇する可能性を持って生活していると思われます」と述べられました。
そして、「皆が防災の意識を共有すると共に、皆してその時々に被災した人々を支え、決して孤独の中に取り
残したり置き去りにすることのない社会を作っていかなければならないと感じています」と記されました。
ブラジルのリオデジャネイロで開かれたオリンピックとパラリンピックについては、「健常者、障害者を問わ
ず、優れた運動選手が会心の瞬間に見せる姿の美しさには胸を打つものがあり、そうした写真の幾つもを切
り抜いて持っています」とつづられました。
さらに心にかかることの1つとして、視覚障害者の駅での転落事故が引き続き多いことを挙げ、「事故の原因
をホーム・ドアの有無のみに帰せず、更に様々な観点から考察し、これ以上悲しい事例の増えぬよう、皆して
努力していくことも大切に思われます」と記されました。
皇后さまの誕生日に合わせて、天皇陛下と皇后さまが小学生の時の教科書を懐かしくご覧になる映像が公開
されました。映像は天皇皇后両陛下のお住まいの御所の応接室で撮影されたもので、天皇陛下が学習院初等
科で使っていた教科書を手に取り、皇后さまと会話をされる様子が映っています。
テーブルの上には国語の教科書が置かれ、このうち「サイタサイタサクラガサイタ」と書かれたものは、天皇陛下
が1年生の時に、また和歌や源氏物語が載せられた教科書は、6年生の時に使われたものだということです。
中には、戦後、GHQ=連合国軍総司令部の指示により、文字の一部が墨で塗りつぶされたものも見られます。
宮内庁によりますと、天皇陛下と皇后さまは小学2年生から6年生まで同じ教科書を使っていて、ふだんの会話
の中で、教科書にあった言葉や物語を懐かしく思い出すこともあるということで、この日も、当時を回想しながら
言葉を交わされていたということです。


皇后さまの文書回答 全文

皇后さまは、20日に82歳の誕生日を迎えられました。
誕生日にあたり、記者の質問に対して、皇后さまが寄せられた回答の全文です。

(問)この1年も自然災害や五輪・パラリンピックなど様々な出来事がありました。
   8月には、天皇陛下が「象徴としての務め」についてのお気持ちを表明されました。
   この1年を振り返って感じられたことをお聞かせください。

(皇后さま)
昨年の誕生日以降、この1年も熊本の地震を始め各地における大雨、洪水等、自然災害は後を絶たず、これを記して
いる今朝も、早朝のニュースで阿蘇山の噴火が報じられており、被害の規模を心配しています。
8月末には、台風10号がこれまでにない進路をとり、東北と北海道を襲いました。この地方を始め、これから降灰の続く
であろう阿蘇周辺の人々―とりわけ今収穫期を迎えている農家の人々の悲しみを深く察しています。
自然の歴史の中には、ある周期で平穏期と活性期が交互に来るといわれますが、今私どもは疑いもなくその活性期に
生きており、誰もが災害に遭遇する可能性を持って生活していると思われます。
皆が防災の意識を共有すると共に、皆してその時々に被災した人々を支え、決して孤独の中に取り残したり、置き去り
にすることのない社会を作っていかなければならないと感じています。
今年1月にはフィリピンの公式訪問がありました。アキノ大統領の手厚いおもてなしを受け、この機会に先の大戦におけ
るフィリピン、日本両国の戦没者の慰霊が出来たことを、心から感謝しています。
戦時、小学生であった私にもモンテンルパという言葉は強く印象に残るものでしたが、この度の訪問を機に戦後キリノ大
統領が、筆舌に尽くし難い戦時中の自身の経験にもかかわらず、憎しみの連鎖を断ち切るためにと、当時モンテンルパ
に収容されていた日本人戦犯105名を釈放し、家族のもとに帰した行為に、改めて思いを致しました。
夏にはリオで、ブラジルらしい明るさと楽しさをもってオリンピック、パラリンピックが開催され、大勢の日本選手が、強い
心で戦い、スポーツのもつ好ましい面を様々に見せてくれました。競技中の選手を写した写真が折々に新聞の紙面を飾
りましたが、健常者、障害者を問わず、優れた運動選手が会心の瞬間に見せる姿の美しさには胸を打つものがあり、そ
うした写真の幾つもを切り抜いて持っています。
前回の東京オリンピックに続き、小規模ながら織田フィールドで開かれた世界で2回目のパラリンピックの終了後、陛下
は、リハビリテーションとしてのスポーツの重要性は勿論のことながら、パラリンピックがより深く社会との接点を持つた
めには、障害者スポーツが、健常者のスポーツと同様、真にスポーツとして、する人と共に観る人をも引きつけるものと
して育ってほしいとの願いを関係者に述べられました。
今回のリオパラリンピックは、そうした夢の実現であったように思います。
今年の嬉しいニュースの一つに、日本の研究者により、新しい元素が発見され、ニホニウムと名付けられたことがありま
した。また、この10月には、大隅良典博士がオートファジーの優れたご研究により生理学・医学部門でノーベル賞を受け
られました。
50年以上にわたり世界の発展途上国で地道な社会貢献を続けて来た日本の青年海外協力隊が、本年フィリピンでマグ
サイサイ賞を受けたことも嬉しいことでした。この運動は、今ではシニア海外ボランティア、日系社会青年ボランティア及
び日系社会シニアボランティアと、更にその活動の幅を広げています。
ごく個人的なことですが、いつか一度川の源流から河口までを歩いてみたいと思っていました。今年の7月、その夢がか
ない、陛下と御一緒に神奈川県小網代の森で、浦の川のほぼ源流から海までを歩くことが出来ました。
流域の植物の変化、昆虫の食草等の説明を受け、大層暑い日でしたが、よい思い出になりました。
最近心にかかることの一つに、視覚障害者の駅での転落事故が引き続き多い事があります。目が不自由なため、過去
に駅から転落した人の統計は信じられぬ程多く、今年8月にも残念な事故死が報じられました。
ホーム・ドアの設置が各駅に及ぶ事が理想ですが、同時に事故の原因をホーム・ドアの有無のみに帰せず、更に様々な
観点から考察し、これ以上悲しい事例の増えぬよう皆して努力していくことも大切に思われます。
この1年間にも、長年皇室を支えてくれた藤森昭一元宮内庁長官や金澤一郎元皇室医務主管、「名もなく貧しく美しく」を
はじめ数々の懐かしい映画を撮られた松山善三氏等、沢山の人々との別れがありました。
国外では、この9日、文化の力でポーランドの民主化に計り知れぬ貢献をされたアンジェイ・ワイダ氏が亡くなりました。
長年にわたり、日本のよき友であり、この恵まれた友情の記憶を大切にしたいと思います。
日本のみならず、世界の各地でも自然災害が多く、温暖化の問題も年毎に深刻さを増しています。
各地でのテロに加え、内戦の結果発生した多くの難民の集団的移動とその受け入れも、世界が真向かわねばならぬ大
きな課題になっています。
そのような中で、この夏のリオ五輪では難民による一チームが編成され、注目を集めました。
4年後の東京では、この中の1人でも多くが、母国の選手として出場出来ることを願わずにはいられません。
世界の少なからぬ地域で対立が続く中、長年にわたり国内の和平に勇気と忍耐をもって取り組んで来られたコロンビア
のサントス大統領が、今年のノーベル平和賞を授与された事は感慨深いことでした。
8月に陛下の御放送があり、現在のお気持ちのにじむ内容のお話が伝えられました。私は以前より、皇室の重大な決断
が行われる場合、これに関わられるのは皇位の継承に連なる方々であり、その配偶者や親族であってはならないとの思
いをずっと持ち続けておりましたので、皇太子や秋篠宮ともよく御相談の上でなされたこの度の陛下の御表明も、謹んで
これを承りました。ただ、新聞の1面に「生前退位」という大きな活字を見た時の衝撃は、大きなものでした。それまで私は
、歴史の書物の中でもこうした表現に接したことが一度もなかったので、一瞬驚きと共に痛みを覚えた
のかもしれません。
私の感じ過ぎであったかもしれません。
この1年、身内の全員がつつがなく過ごせたことは幸いなことでした。1月には秋篠宮の長女の眞子が、無事留学生活を
終え、本格的に成年皇族としての働きを始めました。真面目に、謙虚に、1つ1つの仕事に当たっており、愛おしく思いま
す。
この回答を書き終えた13日夜、タイ国国王陛下の崩御という悲しい報せを受けました。私より6つ7つ程お上で、20代の若
い頃より兄のような優しさで接して下さっており、御病気と伺いながらも、今一度お会いできる機会を、と望んでおりました。
王妃陛下、王室の皆様方、タイ国民の悲しみに思いを致しております。



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宮内庁HPより

■この1年のご動静
皇后さまには、本日、満82歳のお誕生日をお迎えになりました。
この1年、ご体調は必ずしも万全ではありませんでしたが、これまでと変わらず、陛下のご健康を注意深くお見守りになりながら、
皇后さまとしてのお立場で342件のお務めを果たされました。また、公的なお務めには含めませんでしたが、皇居勤労奉仕団や
宮中祭祀に奉仕した賢所奉仕団、総勢約8,800人と57回にわたってお会いになり、おねぎらいになりました。
戦後70年に当たる昨年4月、戦没者慰霊と国際親善のためパラオ国をご訪問になったのに引き続き今年1月、国交正常化60周
年を迎えるフィリピン国大統領閣下からのご招請により、国際親善と戦没者慰霊のため、両陛下で同国をご訪問になりました。
昭和37年に昭和天皇のご名代である陛下と共にお訪ねになって以来54年ぶりのご訪問でした。国賓として、陛下と共に歓迎式
典、ご会見、晩餐会に臨まれ、フィリピンの国民的英雄ホセ・リサールの記念碑に参られたほか、かつて日本に留学生・研修生
として滞在した人々や日本で介護福祉士・看護師として働くことを目指して日本語を学ぶ人々とご懇談になるなど、フィリピン国
の多くの人々と友好を深められました。
また戦没者を慰霊されるため、フィリピン人戦没者が眠る英雄墓地、ルソン島カリラヤにある日本人戦没者を悼む「比島戦没者
の碑」に参られ、両国双方で160万人を超える戦没者の霊を慰められました。
両陛下はご訪問前に御所で日本人戦没者の遺族とご懇談になりましたが、「比島戦没者の碑」に集まった多くの遺族ともお話し
になり、その苦労を慰められました。
その他、現地で活躍する青年海外協力隊員やフィリピン在住日系人とご懇談になったほか、アジア最大規模の国際農業試験研
究機関である国際稲研究所(IRRI)をご訪問になりました。
4月に多数の死傷者・避難者が発生した熊本地震では、両陛下には発生の翌朝、犠牲者に対するお悼みと、被災者へのお見舞
い、災害対策に従事する関係者へのおねぎらいのお気持ちを、侍従長を通じて熊本県知事にお伝えになったほか、翌5月に被災
地を日帰りでご訪問になりました。
現地では自衛隊ヘリコプターにて南阿蘇村と益城町にご移動になり、南阿蘇村長、西原村長、益城町長及び熊本市長から被災
状況等を聴取され、避難所で被災者をお見舞いになるとともに災害対応関係者にお会いになり、おねぎらいになりました。
なお8月には、台風10号による大雨災害で岩手県及び北海道で多数の死傷者・避難者が発生した折にも、両陛下はそれぞれの
知事に対し、侍従長を通じてお見舞いのお気持ち等をお伝えになりました。
東日本大震災の関係では今年3月、両陛下で5周年追悼式にご臨席になったほか、震災復興状況ご視察のため福島県及び宮城
県に行幸啓になりました。
福島県では、三春町の葛尾かつらお村役場三春出張所をご訪問になり、原発事故による全村避難が続いていた葛尾村長からは
復興状況等について、被災者からは帰村に向けた準備の様子をお聴きになり、葛尾村を支援する三春町長等をおねぎらいになり
ました。
宮城県では女川町において町長から復興状況等をご聴取になるとともに、土地をかさ上げして整備された復興商店街や震災から
再建した水産加工会社をご視察になりました。この途中お立ち寄りになった石巻市の宮城県水産会館では、震災の犠牲となった
漁業関係者の慰霊碑に参られるとともに、県漁業協同組合の会長を休所にお招きになって話をお聴きになりました。
また仙台市では、東北大学において震災と医療に関する展示をご覧になりました。さらに9月末に第71回国民体育大会ご臨場の
ため5日間にわたりご訪問になった岩手県では、北上市及び盛岡市における国体行事へのご臨席に先立ち、東日本大震災の復
興状況を視察されるため、自動車で片道約110㎞の道のりを移動されて、沿岸部の大槌町及び山田町をご訪問になりました。
経由地の遠野市、釜石市においても、それぞれの市長・議長から、前回お立ち寄りになった以後の後方支援及び復興の状況をご
聴取になり、大槌町、山田町では両町長から説明をお受けになった後、復興した大槌町魚市場や復興のシンボルとして建設され
た山田町ふれあいセンターをご視察になりました。
このほか、都内で催された東日本大震災の復興を支援するチャリティーコンサートにお出ましになるなど、被災地と支援者を励ま
されました。
その他の地方行幸啓として昨年10月、全国豊かな海づくり大会ご臨席のため、両陛下で富山県をご訪問になりました。
その折、富山県立イタイイタイ病資料館をご視察になり、公害病克服の歴史について説明をお受けになりました。
11月には青年海外協力隊発足50周年記念式典ご臨席のため神奈川県横浜市を、12月には障害者週間にちなみ障害者の競技
用等の車椅子を製造している施設をご視察になるため千葉県千葉市をご訪問になりました。
今年4月には神武天皇二千六百年ご式年に当たり、奈良県に行幸啓され神武天皇陵をご参拝になり、その折、奈良県立橿原考古
学研究所、高松塚古墳、高松塚壁画館をご視察になりました。
6月には第67回全国植樹祭ご臨場のため長野県にお出ましになりましたが、平成23年の長野県北部地震による栄村の被災者を
お泊所に招いてご懇談になったほか、唱歌「ふるさと」の作詞家である高野辰之の記念館、信州大学国際科学イノベーションセンタ
ー、アファンの森をご視察になりました。
9月には第36回全国豊かな海づくり大会にご臨席のため山形県酒田市及び鶴岡市をご訪問になり、鶴岡市立加茂水族館、松ヶ岡
開墾場をご視察になりました。
地方へのお出ましは、ご静養のための御用邸及び御料牧場、長野県軽井沢町及び群馬県草津町への行幸啓を除き、12県23市7
町2村に及びました。
都内の行幸啓としては、全国戦没者追悼式等の式典、日本国際賞の授賞式及び祝宴、国際生物学賞等の授賞式等に陛下と共に
36回お出ましになりました。
今年4月、春のお彼岸に合わせて昭和天皇の武蔵野陵、香淳皇后の武蔵野東陵をご参拝になった折に福生(ふっさ)市をご訪問
になりましたが、これにより両陛下は都内23区及び多摩地方の全ての区市町村を訪問されたことになります。
皇后さまお一方では、皇太子妃殿下でいらした時からお出ましになっている知的障害のある生徒のための特別支援学校「旭出学
園」の工芸展、これまで度々お出ましになっている障害児入所施設「ねむの木学園」の美術展をご覧になるなど20回行啓されまし
た。なお毎年、日本赤十字社名誉総裁として御臨席になっている全国赤十字大会は、今年は熊本地震災害への対応のため開催
されませんでした。
宮殿や御所では陛下と共に、文化勲章受章者及び文化功労者、各種大臣表彰受賞者、農林水産祭天皇杯受賞者、人事院総裁
賞受賞者、昭和34年の両陛下のご成婚を記念してハワイ在住日系人等が中心となって創設した皇太子明仁親王奨学金の奨学
生、青年海外協力隊帰国隊員及び日系社会青年ボランティア、シニア海外ボランティア及び日系社会シニアボランティア、日本学
士院会員、日本芸術院会員、国際緊急援助隊員等々、文化・福祉・産業・国際協力・学術・芸術等の分野で尽力し社会貢献した数
多くの人にお会いになりました。
皇后さまお一方では、例年どおり日本赤十字社の名誉総裁として、社長、副社長からその活動状況等についてお聴きになったほ
か、皇后さまが高校時代に作詞された「ねむの木の子守歌」の著作権を基に創設され、肢体不自由・重症心身障害児/者の世話
に当たる人に贈られる「ねむの木賞」の受賞者とお会いになりました。
こうしたご接見等は46回に及び、また、陛下とご一緒又はお一方で御所でお受けになったご説明やご進講も46回を数えました。
外国との関係では陛下と共に、この10月にベルギー国国王陛下及び王妃陛下を国賓としてお迎えになり、初日に歓迎行事、ご会
見、宮中晩餐に臨まれたほか、翌日にベルギー国メッヘレン市と姉妹都市である茨城県結城市をご案内になり、ご一緒に伝統工
芸等をご覧になりました。
3日目にお出ましになったベルギー国国王王妃両陛下ご主催の答礼コンサートでは、アンコール曲として皇后さまがお若い頃に作
られた子守歌「おもひ子」が静かに、美しく演奏されました。その後、お別れのご挨拶をなさって御所にお戻りになったところで、タイ
国プミポン国王陛下崩御の報に接せられましたが、両陛下は、半世紀以上にわたる長いご親交から、シリキット王妃陛下に御弔意
をお伝えになり、侍従長を在京タイ国大使館に御弔問使として御差遣になったほか、お気持ちとして3日間の喪に服されました。
国賓以外のご接遇では陛下と共に、ジンバブエ国大統領閣下及び令夫人とのご会見、午餐に臨まれたほか、フィンランド国大統
領閣下及び令夫人、東ティモール国大統領閣下及び令夫人、ウクライナ国大統領閣下及び令夫人、パナマ国大統領閣下及び令
夫人並びにガーナ国大統領閣下及び令夫人とご会見になりました。
また、インドネシア国国会議長夫妻、ハンガリー国国会議長夫妻、カナダ国首相夫妻及び救世軍万国総督夫妻をご引見になりま
した。さらにスウェーデン国国王陛下を御所でのご夕餐に、パラオ国大統領閣下及びシンガポール国首相夫妻を御所でのご昼餐
に、両陛下がこれまでに2度訪問されたことのあるスペイン国サラマンカ大学のエルナンデス学長、並びにブータン国前王妃陛下
及び王妹殿下を御所でのお茶に、それぞれお招きになりました。
在京外交団については陛下とご一緒に、着任後間もない18か国の大使夫妻をお茶に、着任後3年を経過した16か国の大使夫妻を
午餐にお招きになり、離任する14か国の大使夫妻をご引見になりました。
日本から赴任する55か国の大使夫妻にも出発前にお会いになり、同様に帰国した11か国の大使夫妻をお茶にお招きになって、任
地の様子をお聴きになりました。
宮中祭祀については、昭和天皇祭の儀、香淳皇后例祭の儀の折に皇霊殿に、春季及び秋季の皇霊祭及び神殿祭の儀の折に皇
霊殿及び神殿に参られました。出御なさらない祭祀では御所でご遙よう拝なさり、祭祀がお済みになるまでお慎みになっています。
両陛下は皇族方のお上にいつもお気を配っておられますが、6月にはご入院中の三笠宮殿下を両陛下でお見舞いになり、8月には
おみ足のご手術からご退院になった常陸宮妃殿下を皇后さまお一方でお見舞いになりました。
今年のご養蚕は新任の主任のもと5月から始められ、恒例の行事を含め22回にわたり桑畑、野蚕室、御養蚕所等においでになり、
野蚕の山つけや収穫、桑つみ、ご給桑、わら蔟作り、上蔟、繭掻き、毛羽取り等の作業に当たられました。
今年は約168.5キロの繭の収穫がありました。
皇后さまはいつも陛下のご健康を第一に案じられていらっしゃり、また、ご自身の健康管理にも侍医の意見を聴かれつつ注意を払
っておられます。昨年夏、これまでにも度々ご経験になった頸椎症性神経根症によるお痛みに加え、24時間心電図検査において
心筋虚血が疑われる明らかな所見が認められたため、冠動脈造影CT検査をお受けになりましたが、冠動脈3箇所に動脈硬化によ
る器質的な狭窄が認められ、注意深い経過観察が必要との診断
を受けられました。
両陛下とも健康を維持するために規則正しい生活を送ることを大切にされており、地方行幸啓からお戻りになった翌日も朝6時に
起床され、6時半には陛下とご一緒にご散策になることを常とされています。
時折、週末に陛下とご一緒に短時間テニスをなさることもあります。また、お仕事の合間を縫って読書をされたり、ピアノの練習もお
続けになっています。
今年も8月に例年どおり草津夏期国際音楽アカデミー&フェスティヴァルに参加され、講師として参加した音楽家たちと演奏を共に
されアンサンブルを学ばれました。
10月20日のお誕生日当日は、午前10時半から12時までは皇族方始め内閣総理大臣、衆参両院議長、最高裁判所長官、閣僚、宮
内庁職員等による祝賀を6回にわたりお受けになります。
正午からは皇族方始めとのご祝宴、午後からは旧奉仕者による祝賀、元側近奉仕者等との茶会、母校の先生方やご進講者等と
の茶会が催されます。夕刻には未成年皇族のご挨拶をお受けになり、夜にはお子さま方ご夫妻とお祝御膳を囲まれます。



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テーマ:天皇陛下・皇室 - ジャンル:政治・経済

平成28年 奉祝・紀元節!

皇紀2676年  丙申(ひのえさる)の年

カムヤマトイワレヒコノミコト(古事記:神倭伊波礼琵古命、日本書紀:神日本磐余彦尊=神武天皇)が大和の畝傍山
(うねびやま)の麓、橿原の地で御即位された日とされるのが、2月11日です。
明治政府は1873(明治6)年、この日を「紀元節」(祭日)と定め、「建国を偲び国を愛する心を養う」日としま
した。そして、1889(明治22)年「大日本帝国憲法」が発布された記念日でもあります。






天皇・皇后両陛下におかれましては、今春、神武天皇陵(奈良県)をご参拝になるご予定だそうです。
「4月3日は、初代の天皇とされる神武天皇が崩御してから2600年にあたる式年祭が行われ、天皇・皇后両陛下は
奈良県の神武天皇陵を参拝される予定になっています。100年前に大正天皇が参拝した前例もあります。陵の隣にあ
り神武天皇を祀っている橿原神宮にも、両陛下はお立ち寄りになることも検討されています」(宮内庁関係者)とのこ
とです。
所功教授(京都産業大学)によれば「神武天皇は、『古事記』や『日本書記』に125代続く天皇の初代として伝承が
ありますが、戦後の古代史学界では疑問視されてきました」
「しかし最近では、第10代の崇神天皇が3世紀前半ごろ実在されたと判明しました。従って、それからさかのぼり、
初代の大王は1世紀前半ごろ、現在の神武天皇陵や橿原神宮のある周辺に拠点を築かれた可能性は研究者の間でも認め
られつつあります」
「即位や崩御の年月日を記した史料が、『日本書記』以外に現存しません。そのため明治以降、それを新暦に換算し、
2月11日を『紀元節』(現在の『建国記念日』)、4月3日を『神武天皇祭』と定め、皇室でも民間でも大事にされ
てきました」

平成24年11月7日、秋篠宮殿下・妃殿下とともに悠仁親王殿下が神武天皇陵をご参拝になられています。
悠仁親王殿下、神武天皇陵参拝に



2月10日 安倍総理「建国記念の日」メッセージ

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2016年(平成28年)2月11日 NHKニュース
http://www3.nhk.or.jp/news/html/20160211/k10010406011000.html
建国記念の日 各地で祝う式典や反対する集会
建国記念の日の11日、これを祝う式典や、反対する集会が各地で開かれました。
このうち東京・渋谷区の明治神宮会館では、神社本庁などで作る「日本の建国を祝う会」が式典を開き、主催者の
発表でおよそ1200人が参加しました。主催者を代表して國學院大学の大原康男名誉教授が挨拶し、「世界各国
で国民が建国記念の日を祝っており、わが国でもできるだけ早く政府主催の式典を開催して、国を愛する心を育て
るべきだ」と述べました。そして「5月には三重県の伊勢志摩でサミットが開催され、世界に向けて日本のすばら
しい精神性を発信する絶好の機会となる。誇りある国づくりへ向けて一層力を尽くすことを誓う」などとする決議
が採択されました。
一方、東京中央区では、歴史の研究者や歴史教育に携わる教職員など、主催者の発表でおよそ350人が参加して
建国記念の日に反対する集会が開かれました。講演した千葉大学の栗田禎子教授は「安全保障関連法を巡って戦争
を直接知らない若い世代が平和憲法を守ろうと立ち上がったことは、戦争ができる国にしようという勢力にとって
大きな誤算だったはずだ。憲法を守る戦いは、今が集大成の時だと自覚することが大切だ」と述べました。
この後、集会では「憲法を礎に歴史の逆流を許さず平和なアジアと世界をつくり、立憲主義、民主主義に基づく新
しい未来をひらこう」などとするアピールが拍手で採択されました。

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平成28年2月11日 産経新聞 【主張】より

建国記念の日 政府自ら祝典を開催せよ
大きな節目となる50回目の「建国記念の日」を迎えたが、今年もまた、国として祝う式典は開かれない。
残念というほかない。
日本の建国は神話的な伝説に基づいている。新しい国づくりを目指して日向国を出た神倭伊波礼毘古命
(カムヤマトイワレビコノミコト)は瀬戸内海を東進し、難波、熊野へと至る。やがて大和を平定すると橿原
(奈良県)を都と定め天下を統治することになった。古事記や日本書紀がつづる初代神武天皇即位の物語である。
明治6年、政府は即位の日を現行暦に換算した「2月11日」を紀元節と定めたが、先の敗戦後はGHQ(連合
国軍総司令部)によって廃止された。建国記念の日として復活するのは昭和42年で、祝日法には「建国をしの
び、国を愛する心を養う」と明記された。半世紀を経て、法の趣旨が十分に浸透しているかは疑問である。
戦後の学校教育では、神話や建国の歴史が皇国史観や軍国主義につながるとして避けられてきた。
自国の歴史を否定する自虐まみれの教育で、どうして青少年の健全な愛国心を育てられよう。日本の建国の日を
知っている日本人は2割にも満たないとの調査結果もある。
神話はそっくり史実ではないにしろ、先人の国づくりへの思いや日本人としての生き方がうかがい知れる、いわ
ば民族の貴重な遺産なのである。自国のそのような遺産を誇りに思わない国民が国際社会から評価されようか。
学校教育を含めた国の役割は極めて重大だといわざるを得ない。
昨秋、大阪で開催された交声曲「海道東征」のコンサートで、大きなホールが聴衆の感動に満たされたことを改
めて想起したい。北原白秋作詩、信時潔作曲によるこの曲は、壮大な建国の歴史を格調高くうたいあげたものだ。
新保祐司都留文科大教授は、「(聴衆は)自分という人間が、日本の建国の歴史に精神の深みで繋(つな)がっ
ていることに覚醒して、魂の感動を覚えた」と評した(昨年12月1日付本紙「正論」)。
いま国内外で直面している幾多の困難を乗り切るためにも、日本人としての誇りを抱き続けるこれら国民の熱い
思いに、政府は真剣に応えるべきではなかろうか。政府が直接関与する祝典の開催が、まず何よりも望まれる。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
2016年2月11日 世界日報 【社説】より
http://www.worldtimes.co.jp/opnion/editorial/66690.html

建国記念の日、古代からの連続性は大きな力
きょうは建国記念の日。初代天皇、神武帝が橿原宮で即位され、日本国の礎が築かれた日である。
我々の遠き父祖たちの国づくりに思いを致しながら、日本のこれからを考えたい。

■世界最古の皇室戴く日本
神武天皇からの皇統は、125代の今上陛下にまで連綿と繋(つな)がっている。
その間、藤原氏など貴族が政治の実権を握った時代があり、鎌倉時代以降は武家が権力を手にしてきた。
さらに明治維新後、西洋近代文明の圧倒的な影響があり、先の大戦敗北では、有史以来初めて外国勢力
による占領を経験した。しかし、そのような政治的文化的な激動を経ても、皇室は、常に国民統合の中心に
あり、国民に敬慕されてきたということは、世界史の奇跡と言っても過言ではない。
世界最古の皇室を戴くことは誇るべきことである。しかも今も国民とともにありそしてその国が世界を代表
する経済先進国であり、先端技術国家であることに大きな意味がある。
今なお完全な解決を見ない、韓国、中国との歴史問題で我々日本人がまず反省すべきは、自分たちの歴史を
深く学び認識してこなかったことである。
右も左もなく、イデオロギーや先入観にとらわれない真正な歴史を求める努力が政治リーダーや学者、ジャ
ーナリストに欠けていた。同時に周辺諸国にとって、歴史が過去の物語ではなく、人々の心に生々しく突き
刺さるものでありまた政治的な意味の大きいことへの認識が不足していた。いわば歴史、歴史認識の恐ろし
さに気付くのが遅かったとも言える。
評論家の故松本健一氏は、歴史を振り返ると、国家は領土を争うテリトリーゲーム、東西冷戦というイデオ
ロギー対立、経済力を競うウエルスゲームを行ってきたが、冷戦が終結しグローバル化が進むにつれ、自分
たちの歴史観や価値を主張するアイデンティティーゲームの時代に入ったと指摘した。
確かに、日本と周辺国の歴史問題を見ると、その様相が強いと感じさせられる。とりわけ、歴史問題が外交
カードに利用される現実を見ると、歴史や民族的アイデンティティーが政治ゲームの大きな要素になってい
ることを認めざるを得ない。しかし本来、民族のアイデンティティーはこのように扱うべきではないだろう。
その内在的な価値を第一義とすべきだ。アイデンティティーがゲームの道具になり下がった時、文化の命は
衰えていくのではないか。そういう意味で、わが国は民族的アイデンティティーをもう一度振り返ることが
欠かせない。そのためにも、正しい歴史への認識を深める必要がある。
と同時に、内在的な価値を大切にしながら、それを充実させ深化させる努力が求められる。

■万世一系の皇統が核
アイデンティティーとは、自己同一性とも訳される。
その観点からすれば、万世一系の皇統を戴くことがその核であると改めて理解できるのである。
連綿たる皇統と歴史の継続こそ大きな力であることを改めて認識したい。

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2月11日付の『しんぶん赤旗』に掲載された「建国記念の日」を否定する記事が、皇室の廃止をめざし、日本の
伝統や文化の破壊を目論む共産党の本質が如実に表れている内容でしたので、転載しておきます。
どんなにオブラートに包んでソフト路線を偽装したところで、その実態は全く変わっていないのです。

…………………………………………………………………………………………………………………………………………

2016年2月11日(木) しんぶん赤旗 「主張」より
http://www.jcp.or.jp/akahata/aik15/2016-02-11/2016021101_05_1.html

「建国記念の日」 特異な歴史観を押しつけるな
きょう2月11日は「建国記念の日」とされています。
祝日法は、第2条で「建国をしのび、国を愛する心を養う」日としています。この日はもともと戦前の「紀元節」です。
明治政府が1873年、天皇の専制支配に神話によって権威を与えるため、架空の人物である「神武天皇」の即位の日
としてつくりあげたもので、科学的にも歴史的にも根拠がありません


■戦前の「紀元節」を復活
「紀元節」は戦前、日本を「神の国」として、国民を軍国主義と侵略戦争にかりたてるために利用されてきました。
そのため戦後、主権在民や思想・学問の自由、信教の自由と政教分離などを定めた日本国憲法の民主的条項に反する
ものとして廃止されました。ところが50年前の1966年、佐藤栄作内閣が多くの国民の反対を押しきって祝日法
を改悪し「建国記念の日」と称して「紀元節」を復活させました。それは天皇の元首化など憲法改悪や軍国主義復活
の企てと結びついた
ものでした。
今年は、自民党政権が強行した「紀元節」復活から、ちょうど半世紀の節目となります。見過ごせないのは、第2次
安倍晋三内閣の発足以降、政府が「愛国心」と結んで「建国記念の日」をことさら強調する動きを強めていることで
す。安倍首相は一昨年から「建国記念の日」を迎えるにあたってのメッセージを発表していますが、これは現職の首
相としては初めてのことです。さらに、安倍内閣のもとで非科学的な歴史観や特異な文化論を国民に押しつける動き
が強まっている
ことも軽視できません。
昨年10月、安倍首相のもとに「『日本の美』総合プロジェクト懇談会」が発足しました。
座長には俳優の津川雅彦氏が就任し、メンバーの構成も首相の「お友達」色が濃いと指摘されています。
懇談会は「日本人の美意識や自然への畏怖、礼節、忍耐といった日本人の価値観が表出した日本の文化芸術について、
その振興と次世代への保存継承及び国内外へのアピール」のためのプロジェクトを提案し、6月ごろに報告書をとり
まとめるとしています。驚くべきことに、会合で津川氏は日本映画の世界市場開拓のためとして、神の子孫が天皇家
につながるとする神話の一つ「天孫降臨」のアニメ化まで唱えています。
こうした動きは、安倍首相自身の歴史観とも結びついています。安倍氏は、著書『美しい国へ』(06年)のなかで
「日本の歴史は、天皇を縦糸にして織られてきた長大なタペストリー」「日本の国柄をあらわす根幹が天皇制」とい
った見方を再三のべていました。そして第1次安倍内閣は06年、教育基本法を改悪し、教育の目標に「伝統と文化
を尊重し、それらをはぐくんできた我が国と郷土を愛する」態度を養う(第2条)ことを盛り込みました。

■憲法まもる世論と運動を
自民党の「憲法改正草案」(12年)は、前文で日本国を「天皇を戴(いただ)く国家」とし、第1条で天皇を
「日本国の元首」と明記しています。
9条改悪=「国防軍」保持や「緊急事態条項」など「戦争をする国」づくりの狙いと一体のものです。
50回目の「建国記念の日」にあたり、特異な歴史観の押しつけを許さず、憲法をまもる世論と運動の発展を心から
呼びかけます。



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11月23日は「新嘗祭」の日

「新嘗祭(にいなめさい)」は、古くは「にいなえ」といいました。
新嘗祭の起源は古く、『古事記』にも天照大御神が新嘗祭を行ったことが記されています。

新嘗祭

宮中では、天皇陛下がその年の新穀や新酒を、感謝をこめて天照大神をはじめとする天地の神々にお供えになります。
神膳には、その年の新穀から作った米、粟のご飯と粥、白酒(しろき)と黒酒(くろき)が供えられます。
その後、天皇陛下が新穀を食す儀式が執り行われます。旧来11月の下の卯(う)の日に行われていましたが、明治以降、
11月23日に定められ現在に至ります。
新嘗祭は宮中のみの儀式ではなく、戦前は民衆の間でも新しい穀物を神に供え、それを食べて収穫を祝う習俗があり
ました。現在では「動労感謝の日」として国民の祝日となっていますが、その祝目名は「命の糧を神様からいただく
ため」の勤労を尊び、感謝をしあうことに由来、ともされています。

      抜穂祭


      

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11月8日 「神道の心を伝える」fbより
https://www.facebook.com/shinto.kokoro/

新嘗祭をご存知ですか?
現在の11月23日は勤労感謝の日です。 勤労感謝とは名のごとく働く人たちに感謝をする日、ではありません。
今でこそ勤労感謝の日と呼びますが、そもそもこの日は一年で一番大切な日、五穀豊穣に感謝する「新嘗祭」が執り
行われる日なのです。
私たちは、神様から既に多くのものを頂いています。その多くが命です。米や野菜、肉や魚などそれらの命を頂き、
私たちの命が保たれているのです。私たちは多くの場合、仕事をすることで命を奪っています。つまり、大きな仕事
をすると言うことはそれだけ多くの命を奪っていることに繋がります。
古来の仕事は米を作ることでした。今は米を作ることを仕事と考えた方が良いでしょう。つまり、命の源が米である
のであれば、米=仕事を行う全ての者が神に感謝する。その日が新嘗祭なのです。
また、この祭祀を最も重要な祭祀と位置付けてきた日本人。祈願よりも感謝を優先していたのです。
さらに、その祭祀は天皇陛下の元で執り行われ、全国の神社でも同じことを行う。しかもこの新嘗祭、天皇の口から
口へと伝わって来た事だそうです。
五穀豊穣を願い、毎年2月に行われる「祈年祭」ではなく「新嘗祭」を最大の祭祀と位置付けた日本人。
そのルーツがここにあります。また、昔は新嘗祭までは新米を食べる事はなかったそうです。(略)


11月22日 「神道の心を伝える」fbより
前回、新嘗祭について書かせていただきましたが、思いのほか反響が多くきく驚いております。やはり、日本人にと
って感謝する事への想いの深さは、計り知れぬパワーを持っているんだなぁ、と考え深いものがありました。
そもそも神道は稲を育てる事に端を発します。また、神社はその土地の神々に感謝する場所です。祈願する場所では
ありません。
皇室祭祀令では2月17日に行われる五穀豊穣を祈願する「祈年祭」を小祭と位置付け、五穀豊穣に感謝する「新嘗祭」
を年中行事の最も大切な大祭とし、陛下自らが栽培された新穀もお供えし、天皇陛下が祭祀を司る最高責任者として
執り行われます。つまり、祈願よりも感謝する事を重要な事としたのです。
また、天皇陛下は新嘗祭まで新米を召し上がる事はありません。この日は天皇陛下と国民がひとつになる特別な日な
のです。その天皇と国民が共に感謝する事で結ばれるのです。この事を、先ず私達大人が理解し、実践し、感謝を押
し付けるのではなく先ずは自らが感謝する、その背中を見せられる、そんな社会を作ることが大切ではないのでしょ
うか?





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本日は「地久節」の日

                              菊のご紋

 
 10月20日、皇后陛下におかせられましては満81歳のお誕生日を迎えあそばされました。
 日本国民として心より慶祝を申し上げ、皇后陛下の御健康、御長寿、御皇室の弥栄を祈念申し上げます。


        10月20日 皇后陛下81歳に



2015年10月20日 NHKニュースより
10月20日 NHK 皇后さま81歳に



2015年10月20日 読売新聞より
http://www.yomiuri.co.jp/national/20151019-OYT1T50121.html
皇后さま、文書回答の全文

(問) この1年、自然災害などさまざまな出来事がありました。戦後70年にあたり、皇后さまは天皇陛下とともに
パラオをはじめ国内外で慰霊の旅を重ねられました。また玉音放送の原盤なども公開されたほか、若い皇族方も戦争
の歴史に触れられました。 1年を振り返って感じられたことをお聞かせください。
8月には心臓の精密検査を受けられましたが、その後のご体調はいかがですか。

(ご回答)
この1年も、火山の噴火や大雨による洪水、土地の崩落、竜巻など、日本各地を襲う災害の報に接することが多く、
悲しいことでした。
ごく最近も、豪雨のため関東や東北の各所で川が溢(あふ)れ、とりわけ茨城県常総市では堤防が決壊して2人が
亡くなり、家を流された大勢の人々が今も避難生活を続けています。
先日、陛下の御訪問に同伴して同市を訪問いたしましたが、水流により大きく土地をえぐられた川沿いの地区の状
況に驚くと共に、道々目にした土砂で埋まった田畑、とりわけ実りの後に水漬(みづ)いた稲の姿は傷(いた)ま
しく、農家の人々の落胆はいかばかりかと察しています。
東日本でも大震災以来すでに4年余の歳月が経(た)ちますが、未だに避難生活を続ける人が19万人を超え、避難
指示が解かれ、徐々に地区に戻った人々にも、さまざまな生活上の不安があろうかと案じられます。
また、海沿いの被災地では、今も2,000名を超える行方不明者の捜索が続けられており、長期にわたりこの仕事に
従事される警察や海上保安庁の人たち、また原発の事故現場で今も日々激しく働く人々の健康の守られることを
祈らずにはいられません。
先の戦争終結から70年を経、この1年は改めて当時を振り返る節目の年でもありました。終戦を迎えたのが国民学
校の5年の時であり、私の戦争に関する知識はあくまで子どもの折の途切れ途切れの不十分なものでした。
こうした節目の年は改めて過去を学び、当時の日本や世界への理解を深める大切な機会と考えられ、そうした思い
の中で、この1年を過してまいりました。
平和な今の時代を生きる人々が戦時に思いを致すことは決して容易なことではないと思いますが、今年は私の周辺
でも、次世代、またその次の世代の人々が、各種の催しや展示場を訪れ、真剣に戦争や平和につき考えようと努め
ていることを心強く思っています。
先頃、孫の愛子と2人で話しておりました折、夏の宿題で戦争に関する新聞記事を集めた時、原爆の被害を受けた
広島で、戦争末期に人手不足のため市電の運転をまかされていた女子学生たちが、爆弾投下4日目にして自分たち
の手で電車を動かしていたという記事のことが話題になり、ああ愛子もあの記事を記憶していたのだと、胸を打た
れました。
若い人たちが過去の戦争の悲惨さを知ることは大切ですが、私は愛子が、悲しみの現場に、小さくとも人々の心を
希望に向ける何らかの動きがあったという記事に心を留めたことを、嬉しく思いました。
今年、陛下が長らく願っていらした南太平洋のパラオ御訪問が実現し、日本の委任統治下で1万余の将兵が散華した
ペリリュー島で、御一緒に日米の戦死者の霊に祈りを捧げることが出来たことは、忘れられない思い出です。
かつてサイパン島のスーサイド・クリフに立った時、3羽の白いアジサシがすぐ目の前の海上をゆっくりと渡る姿に
息を呑んだことでしたが、この度も海上保安庁の船「あきつしま」からヘリコプターでペリリュー島に向かう途中、
眼下にその時と同じ美しい鳥の姿を認め、亡くなった方々の御霊(みたま)に接するようで胸が一杯になりました。
戦争で災害で志半ばで去られた人々を思い、残された多くの人々の深い悲しみに触れ、この世に悲しみを負って生
きている人がどれ程多く、その人たちにとり死者は別れた後も長く共に生きる人々であることを、改めて深く考え
させられた1年でした。
世界の出来事としては、アフリカや中東など、各地で起こる内戦やテロ、それによる難民の増大と他国への移動、
米国とキューバの国交回復、長期にわたったTPP交渉などが記憶に残っています。
また、日本や外地で会合を重ね、学ぶことの多かったドイツのヴァイツゼッカー元大統領やシンガポールのリー・
クァンユー元首相、40年以上にわたり姉のようにして付き合って下さったベルギーのファビオラ元王妃とのお別れ
がありました。
この回答を記している最中(さなか)、日本のお二人の研究者、大村智さんと梶田隆章さんのノーベル賞受賞とい
う明るい、嬉しいニュースに接しました。受賞を心から喜ぶと共に、お二人が、それぞれの研究分野の先達であり、
同賞の受賞こそなかったとはいえ、かつてそれに匹敵する研究をしておられた北里柴三郎博士や、つい7年前に亡
くなられた戸塚洋二さんの業績を深い敬意をもって語られることで、これらの方々の上にも私どもの思いを導いて
下さったことを有難く思いました。また、大村さんや同時受賞のアイルランドのウィリアム・キャンベル博士と共
に、同じこの分野で、国の各地に伝わる漢方薬の文献をくまなく調べ、遂にマラリヤに効果のある薬草の調合法を
見出した中国の屠●●(トゥーユーユー)さんの受賞も素晴らしいことでした。(●は口へんに「幼」)
スポーツの分野でも、テニスや車いすテニスの選手が立派な成果を上げ、また、ラグビーワールドカップにおける
日本代表チームの輝かしい戦いぶりは、日本のみでなく世界の注目を集めました。4年後の日本で開かれる大会に、
楽しく夢を馳(は)せています。
身内での変化は、秋篠宮家の佳子が成年を迎え公的な活動を始めたこと、眞子が約1年の留学を終え元気に戻って
きたことです。
佳子はこの1年、受験、成年皇族としての公務、新しい大学生活と、さまざまな新しい経験を積み、また時に両親
に代わって悠仁の面倒をみるなど、数々の役目を一生懸命に果たして来ました。眞子が帰って来てホッとしている
ことと思います。また、この12月には三笠宮様が100歳におなりで、お祝い申し上げる日を楽しみにしております。
戦後70年となる今年は、昭和天皇の終戦の詔勅の録音盤や、終戦が決められた御前会議の場となった吹上防空壕の
映像が公開されるなど、改めて当時の昭和天皇の御心(みこころ)を思い上げることの多い1年でした。
どんなにかご苦労の多くいらしたであろう昭和天皇をお偲(しの)び申し上げ、その御意志を体(たい)し、人々
の安寧を願い続けておられる陛下のお側(そば)で、陛下の御健康をお見守りしつつ、これからの務めを果たして
いければと願っています。
体調につき尋ねて下さり有難うございました。今のところ、これまでと変わりなく過ごしています。


<宮内庁HPより>
http://www.kunaicho.go.jp/okotoba/01/kaiken/gokaito-h27sk.html
皇后陛下、この1年のご動静

皇后さまには、本日、満81歳のお誕生日をお迎えになりました。
この1年は、ご持病の頸椎症性神経根症によるお痛みに加え、新たに胸痛のご症状がおありになり、ご検査の結果、
冠動脈3箇所に動脈硬化による器質的な狭窄が認められました。いずれも幸い比較的軽度のものでありましたが、
24時間心電図検査において心筋虚血が疑われる明らかな所見が認められ、冠動脈の機能的な狭窄が生じている
可能性が考えられることから、注意深い経過観察が必要とのご診断を受けられました。
ご体調は必ずしも万全ではありませんでしたが、これまでと変わらず、陛下のご健康を注意深くお見守りになりなが
ら、皇后さまとしてのお立場で338件のお務め(祭祀へのお出まし及び各種奉仕団に対するご挨拶を除く)を果たさ
れました。特に、今年は戦後70年に当たることから、改めて戦没者を慰霊され、遺族を始め戦後の苦境を乗り越え支
えてきた人々に寄り添われました。
昨年6月の学童疎開船対馬丸の犠牲者を慰霊されるための沖縄県ご訪問、同年10月の長崎市平和公園及び恵の丘長崎
原爆ホームご訪問に引き続き、陛下と共に昨12月には、広島平和都市記念碑(原爆死没者慰霊碑)に参られ、広島原
爆養護ホーム矢野おりづる園をご訪問になりました。
また今年の8月には、広島市被爆70周年記念事業として東京で開催されたマルタ・アルゲリッチ協演による広島交響
楽団「平和の夕べ」コンサートをご鑑賞になりました。
戦後60年の平成17年6月には慰霊のためサイパン島をご訪問になりましたが、戦後70年の今年4月には慰霊と国際親
善のためパラオ共和国を訪問され、ペリリュー島にある西太平洋戦没者の碑、米国陸軍の慰霊碑に参られるとともに
同共和国大統領ご夫妻、この折に参加されたミクロネシア連邦大統領ご夫妻、マーシャル諸島共和国大統領ご夫妻、
さらにパラオ共和国の多数の人々とお会いになりました。
同じく4月には、戦後復興に尽力し産業災害で殉職した人々を慰霊する高尾みころも霊堂に、5月には東京都慰霊堂に
参られました。
6月には、先の大戦で軍に徴用されて戦没した商船等の船員を慰霊する戦没・殉職船員追悼式にご臨席、また私的ご
旅行として宮城県及び山形県を訪問された折に、戦後、南洋パラオから引き揚げた人々が入植、開拓した宮城県蔵王
町北原尾地区をご訪問になりました。そして7月には満州から引き揚げた人々が開拓した千振開拓地(栃木県那須町)
を、8月には同様の大日向開拓地(長野県軽井沢町)をそれぞれご訪問になりました。
東日本大震災の関係では、両陛下で今年3月に開催された4周年追悼式にご臨席。また同月、宮城県で開催された第3
回国連防災世界会議開会式にご臨席の折に岩沼市の慰霊碑に参られたほか、岩沼市、名取市、東松島市、石巻市の各
市長から復興状況等をご聴取になり、東松島市のいちご栽培、石巻市のかまぼこ製造工場をご視察になりました。
東日本大震災の復興を支援するチャリティーコンサート等にもお出ましになって被災地と支援者を励まされました。
このほか昨年11月には、全国豊かな海づくり大会ご臨席のため奈良県を訪問され、その折に平成23年の台風12号に
よる紀伊半島大水害の被災者とご懇談になりました。
また同月、昨年2月の豪雪の被害を受けた埼玉県深谷市の農家と農林水産祭天皇杯を受賞した、小川町下里農地をご
訪問、昨年12月の広島県ご訪問の折には同年8月の豪雨で被害を受けた地区をお訪ねになり、被災者の代表にお会い
になりました。
今年1月には、「1.17のつどい-阪神・淡路大震災20年追悼式典」ご臨席のため兵庫県をご訪問、5月には全国植樹祭
ご臨場のため石川県にお出ましになったほか、両陛下御成婚記念として建設された「こどもの国」の開園50周年記念
式典にご臨席のため,神奈川県横浜市をご訪問になりました。
7月には国際第四紀学連合第19回大会開会式ご臨席のため愛知県をご訪問、9月には第70回国民体育大会ご臨場のため
和歌山県を訪問され、併せて紀伊半島大水害の被災者とご懇談になりました。
10月には、昭和39年の東京パラリンピックを始め身体障害者スポーツに深く関わり障害者の自立を支援してきた「太
陽の家」創立50周年記念式典にご臨席のため、大分県をご訪問になりました。
両陛下の私的ご旅行としては、6月に宮城県及び山形県をご訪問、宮城県では北原尾地区のほか平成9年の全国植樹祭
でお手植えになった樹木をご覧になり、山形県では東根市のさくらんぼ生産農家をご訪問、河北町の紅花資料館では
ご視察の後に皇太子同妃両殿下時代にお会いになった紅花関係者とご懇談、山形空港で知事から東日本大震災への県
の対応について説明をお聞きになりました。
7月には、一昨年7月の大雨災害のためご訪問をお取りやめになった福島県桑折町のもも生産農家をお訪ねになり福島
市の復興公営住宅で飯舘村等からの避難者とご懇談になりました。
9月に予定されていた栃木県日光市のご訪問は、関東・東北豪雨による災害のためお取りやめになりましたが、10月
に陛下と共に被災地の茨城県常総市をお訪ねになり、被災地を視察され被災者にお会いになりました。
私的ご旅行を含む地方へのお出ましは、ご静養のための御用邸へのお出ましを除き、16県31市13町2村に及びました。
都内の行幸啓としては、全国戦没者追悼式等の式典、国際生物学賞等の授賞式等に陛下と共に34回お出ましになり、
お一方では全国赤十字大会、フローレンス・ナイチンゲール記章授与式、東日本大震災復興支援関連行事等に20回行啓
されました。
宮殿や御所では陛下と共に、文化勲章受章者及び文化功労者、各種大臣表彰受賞者、農林水産祭天皇杯受賞者、人事
院総裁賞受賞者、昭和34年の両陛下のご成婚を記念してハワイ在住日系人等が中心となって創設した皇太子明仁親王
奨学金の奨学生、青年海外協力隊帰国隊員及び日系社会青年ボランティア、シニア海外ボランティア及び日系社会シ
ニアボランティア、日本学士院会員、日本芸術院会員、国際緊急援助隊員等々、文化、福祉、産業、国際協力、学術、
芸術、スポーツ等の分野でその発展に貢献した数多くの人にお会いになりました。
皇后さまお一方では、例年どおり日本赤十字社の名誉総裁として、社長からその活動状況等についてお聴きになった
ほか、皇后さまが高校時代に作詞された「ねむの木の子守歌」の著作権を基に創設され、肢体不自由・重症心身障害
児/者の世話に当たる人に贈られる「ねむの木賞」の受賞者とお会いになりました。
こうしたご接見等は54回に及び、また陛下とご一緒に御所でお受けになったご説明やご進講は53回を数えました。
また、皇居勤労奉仕団及び新嘗祭のための献穀者、祭祀に当たりお務めする賢所勤労奉仕団に対するおねぎらいのお
出ましは63回ありました。
外国との関係では昨年12月、ベルギー国元国王妃ファビオラ陛下が崩御され、両陛下とボードワン元国王・ファビオ
ラ元国王妃ご夫妻との長きにわたるご友情に鑑み、陛下のご判断のもと、皇后さまがお一方で国葬にご参列になりま
した。
国賓の接遇としては、陛下と共に昨年10月にオランダ国国王陛下及び王妃陛下、今年6月にはフィリピン国大統領閣下
をお迎えになり、歓迎行事、ご会見、宮中晩餐、お別れのご訪問をなさいました。
オランダ国国王陛下及び王妃陛下とは、御所でもご昼餐を共にされました。
インドネシア国大統領閣下及び令夫人、ウガンダ国大統領閣下及び令夫人とのご会見、午餐に臨まれたほか、ジョー
ジア国大統領閣下及び令夫人、ポーランド国大統領閣下及び令夫人、ホンジュラス国大統領閣下及び令夫人、トルコ
国大統領閣下及び令夫人と会見されました。また、モンゴル国国家大会議議長夫妻、マレーシア国首相夫妻、欧州理
事会議長夫妻及び欧州委員会委員長、メキシコ国上院議長夫妻、アメリカ合衆国最高裁判所長官夫妻、イタリア国首相
夫妻、スリランカ国首相夫妻、パプアニューギニア国首相夫妻をご引見になりました。
さらにマンモハン・シン前インド国首相夫妻、ヨルダン国国王陛下、王弟アリー殿下及び王族ガーズィ殿下、パラオ国
大統領閣下、英国ケンブリッジ公殿下、デンマーク国皇太子同妃両殿下、パラオ国大統領閣下及び令夫人並びにマーシ
ャル国大統領閣下及び令夫人を御所でのご昼餐に、赤十字国際委員会総裁、スワジランド国国王陛下及び王妃殿下、
クリントン元アメリカ合衆国大統領、ミシェル・オバマ・アメリカ合衆国大統領夫人、アリヨシ元ハワイ州知事夫妻、
フレイ元チリ国大統領夫妻を御所でのお茶に、第7回太平洋・島サミット首脳会議に出席する各国首脳夫妻等21名を
宮殿での茶会にお招きになりました。
なお今年3月に仙台市で開催された国連防災世界会議にお出ましの際には、会議に出席されるオランダ国マルグリート
王女殿下をお茶にお招きになったほか、会議に先立ち各国元首、国連事務総長夫妻始め各国政府要人とお会いになり
ました。
在京の外交団との関係では、陛下とご一緒に、着任後間もない27か国の大使夫妻をお茶に、着任後3年を経過した23
か国の大使夫妻を午餐にお招きになり、離任する16か国の大使夫妻をご引見になりました。
日本から赴任する39か国の大使夫妻にも出発前にお会いになり、同様に帰国した59か国の大使夫妻をお茶にお招きに
なって任地の様子をお聴きになりました。
宮中祭祀については、昭和天皇祭の儀、香淳皇后例祭の儀の折に皇霊殿に、春季及び秋季の皇霊祭及び神殿祭の儀の
折に皇霊殿及び神殿に参られました。出御なさらない祭祀では、御所でご遙拝なさり、祭祀がお済みになるまでお慎
みになっています。
今年6月、宜仁親王殿下の薨こう去から1周年に当たり両陛下は、一周年祭の儀の後に拝礼のため豊島岡墓地に行幸啓
になりました。
お年を召された三笠宮同妃両殿下、ご歩行がややご不自由におなりになった常陸宮殿下のお上にいつもお気を配られ
宮殿行事の折などにも細やかにご便宜を図っておられます。
今年のご養蚕は4月から始められ、恒例の行事を含め24回にわたり桑畑、野蚕室、御養蚕所等にお出でになり、野蚕
の山つけや収穫、桑つみ、ご給桑、わら蔟作り、上蔟、繭掻き、毛羽取り等の作業に当たられました。
今年は約181.5キロの繭の収穫がありました。
今年8月の冠動脈造影CT検査の結果、医師からは冠動脈の機能的な狭窄が生じている可能性が考えられることから、
今後は一応これまでどおり日常のご生活をお続けいただく一方、冠動脈の収縮を招来するような激しいご運動をお避
けいただくとともに、心身に強いストレスをお与えすることがないような配慮が望まれるとの見解が示されました。
皇后さまは陛下のご健康を案じられながら、ご自身の健康管理にも侍医の意見を聴かれつつ注意を払っておられ、ご
歩行に困難が生じないよう毎朝6時半から陛下とお庭をお歩きになっています。
宮内庁としても、注意深く皇后さまのご様子をお見守りするとともに、休日や祝日にもお務めが入ることが多いこと
から、どのようにしてそれを補っていくのか、また心身のお疲れが少しでも軽減されるよう、私的ご旅行や御用邸そ
の他でのご静養の機会を増やすことも検討課題としています。



10月20日 産経 皇后陛下81歳に







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本日は「地久節」の日

                    
                       菊のご紋


                皇后陛下お誕生日 ご近影

10月20日、皇后陛下におかせられましては、満八十歳(傘寿)のお誕生日を迎えあそばされます。
日本国民として心より慶祝を申し上げるとともに、皇后陛下の御健康、御長寿、御皇室の弥栄を祈念申し上げます。
天皇、皇后両陛下におかせられましては、国民が辛い時、苦しい時、悲しい時、いつ如何なる時も常にお心をお寄せ
になられ、国民の心の支えとなり、生きる希望と元気をお与えくださることに感謝せずにはおれません。

            皇后陛下お誕生日 ご近影00
         
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宮内庁HPより
皇后陛下お誕生日に際し(平成26年)

皇后陛下 傘寿をお迎えになって
皇后陛下80年間のお歩みを記録したものです (貴重な映像も有りますので、ご覧になる事をお薦めします)。
http://nettv.gov-online.go.jp/prg/prg10653.html



宮内記者会の質問に対する文書ご回答

(問1)
このたび傘寿を迎えられたご感想とともに、これまでの八十年の歳月を振り返られてのお気持ちをお聞かせください。

皇后陛下
ものごころ付いてから、戦況が悪化する十歳頃までは、毎日をただただ日向で遊んでいたような記憶のみ強く、とりわけ
兄や年上のいとこ達のあとについて行った夏の海辺のことや、その人達が雑木林で夢中になっていた昆虫採集を倦き
ることなく眺めていたことなど、よく思い出します。また一人でいた時も、ぼんやりと見ていた庭の棕梠の木から急にとび
立った玉虫の鮮やかな色に驚いたり、ある日洗濯場に迷い込んできたオオミズアオの美しさに息をのんだことなど、その
頃私に強い印象を残したものは、何かしら自然界の生き物につながるものが多かったように思います。
その後に来た疎開先での日々は、それまでの閑かな暮らしからは想像も出来なかったものでしたが、この時期、都会か
ら急に移って来た子どもたちを受け入れ、保護して下さった地方の先生方のご苦労もどんなに大きなものであったかと
思います。
戦後の日本は、小学生の子どもにもさまざまな姿を見せ、少なからぬ感情の試練を受けました。終戦後もしばらく田舎に
とどまり、六年生の三学期に東京に戻りましたが、疎開中と戦後の三年近くの間に五度の転校を経験し、その都度進度
の違う教科についていくことがなかなか難しく、そうしたことから、私は何か自分が基礎になる学力を欠いているような
不安をその後も長く持ち続けて来ました。ずっと後になり、もう結婚後のことでしたが、やはり戦時下に育たれたのでしょ
うか、一女性の「知らぬこと多し母となりても」という下の句のある歌を新聞で見、ああ私だけではなかったのだと少しほ
っとし、作者を親しい人に感じました。
皇室に上がってからは、昭和天皇と香淳皇后にお見守り頂く中、今上陛下にさまざまにお導き頂き今日までまいりまし
た。長い昭和の時代を、多くの経験と共にお過ごしになられた昭和の両陛下からは、おそばに出ます度に多くの御教え
を頂きました。那須の夕方提灯に灯を入れ、子どもたちと共に、当時まだ東宮殿下でいらした陛下にお伴して附属邸前
の坂を降り、山百合の一杯咲く御用邸に伺った時のことを、この夏も同じ道を陛下と御一緒に歩き、懐かしみました。
いつまでも一緒にいられるように思っていた子どもたちも、一人ひとり配偶者を得、独立していきました。
それぞれ個性の違う子どもたちで、どの子どもも本当に愛しく、大切に育てましたが、私の力の足りなかったところも多く
、それでもそれぞれが、自分たちの努力でそれを補い、成長してくれたことは有難いことでした。
子育てを含め、家庭を守る立場と、自分に課された務めを果たす立場を両立させていくために、これまで多くの職員の
協力を得て来ています。社会の人々にも見守られ、支えられてまいりました。御手術後の陛下と、朝、葉山の町を歩いて
おりました時、うしろから来て気付かれたのでしょう、お勤めに出る途中らしい男性が少し先で車を止めて道を横切って
来られ、「陛下よろしかったですね」と明るく云い、また車に走っていかれました。しみじみとした幸せを味わいました。
多くの人々の祈りの中で、昨年陛下がお健やかに傘寿をお迎えになり、うれしゅうございました。
五十年以上にわたる御一緒の生活の中で、陛下は常に謙虚な方でいらっしゃり、また子どもたちや私を、時に厳しく、し
かしどのような時にも寛容に導いて下さり、私が今日まで来られたのは、このお蔭であったと思います。
八十年前、私に生を与えてくれた両親は既に世を去り、私は母の生きた齢を越えました。嫁ぐ朝の母の無言の抱擁の思
い出と共に、同じ朝「陛下と殿下の御心に添って生きるように」と諭してくれた父の言葉は、私にとり常に励ましであり指
針でした。これからもそうあり続けることと思います。

(問2)
皇后さまは天皇陛下と共に国内外で慰霊の旅を続けて来られました。
戦争を知らない世代が増えているなかで、来年戦後七十年を迎えることについて今のお気持ちをお聞かせ下さい。

皇后陛下
今年八月に欧州では第一次大戦開戦から百年の式典が行われました。第一次、第二次と二度の大戦を敵味方として
戦った国々の首脳が同じ場所に集い、共に未来の平和構築への思いを分かち合っている姿には胸を打たれるものがあ
りました。
私は、今も終戦後のある日、ラジオを通し、A級戦犯に対する判決の言い渡しを聞いた時の強い恐怖を忘れることが出
来ません。まだ中学生で、戦争から敗戦に至る事情や経緯につき知るところは少なく、従ってその時の感情は、戦犯個人
個人への憎しみ等であろう筈はなく、恐らくは国と国民という、個人を越えた所のものに責任を負う立場があるというこ
とに対する、身の震うような怖れであったのだと思います。
戦後の日々、私が常に戦争や平和につき考えていたとは申せませんが、戦中戦後の記憶は、消し去るには強く、たしか
以前にもお話ししておりますが、私はその後、自分がある区切りの年齢に達する都度、戦時下をその同じ年齢で過ごした
人々がどんなであったろうか、と思いを巡らすことがよくありました。
まだ若い東宮妃であった頃、当時の東宮大夫から、著者が私にも目を通して欲しいと送って来られたという一冊の本を
見せられました。長くシベリアに抑留されていた人の歌集で、中でも、帰国への期待をつのらせる中、今年も早蕨が羊歯
になって春が過ぎていくという一首が特に悲しく、この時以来、抑留者や外地で終戦を迎えた開拓民のこと、その人たち
の引き揚げ後も続いた苦労等に、心を向けるようになりました。
最近新聞で、自らもハバロフスクで抑留生活を送った人が、十余年を費やしてシベリア抑留中の死者の名前、死亡場所
等、出来る限り正確な名簿を作り終えて亡くなった記事を読み、心を打たれました。戦争を経験した人や遺族それぞれ
の上に、長い戦後の日々があったことを改めて思います。
第二次大戦では、島々を含む日本本土でも百万に近い人が亡くなりました。又、信じられない数の民間の船が徴用され
、六万に及ぶ民間人の船員が、軍人や軍属、物資を運ぶ途上で船を沈められ亡くなっていることを、昭和四十六年に観
音崎で行われた慰霊祭で知り、その後陛下とご一緒に何度かその場所を訪ねました。戦後七十年の来年は、大勢の人
たちの戦中戦後に思いを致す年になろうと思います。
世界のいさかいの多くが、何らかの報復という形をとってくり返し行われて来た中で、わが国の遺族会が、一貫して平和
で戦争のない世界を願って活動を続けて来たことを尊く思っています。
遺族の人たちの、自らの辛い体験を通して生まれた悲願を成就させるためにも、今、平和の恩恵に与っている私たち皆
が、絶えず平和を志向し、国内外を問わず、争いや苦しみの芽となるものを摘み続ける努力を積み重ねていくことが大切
ではないかと考えています。

(問3)
皇后さまは音楽、絵画、詩など様々な芸術・文化に親しんで来られました。
皇后さまにとって芸術・文化はどのような意味を持ち、これまでどのようなお気持ちで触れてこられたのでしょうか。

皇后陛下
芸術-質問にある音楽や絵画、詩等-が自分にとりどのような意味を持つか、これまであまり考えたことがありませんで
した。「それに接したことにより、喜びや、驚きを与えられ、その後の自分の物の感じ方や考え方に、何らかの影響を与え
られてきたもの」と申せるでしょうか。子どもの頃、両親が自分たちの暮らしの許す範囲で芸術に親しみ、それを楽しんで
いる姿を見、私も少しずつ文学や芸術に触れたいという気持ちになったよう記憶いたします。
戦後、どちらかの親につれられ、限られた回数でも行くことの出来た日比谷公会堂での音楽会、丸善の売り場で、手に
とっては見入っていた美しい画集類、父の日当たりのよい書斎にあった本などが、私の芸術に対する関心のささやかな
出発点になっていたかと思います。
戦後長いこと、私の家では家族旅行の機会がなく、大学在学中か卒業後かに初めて、両親と妹、弟と共に京都に旅をす
る機会に恵まれました。しかし残念なことに、私は結婚まで奈良を知る機会を持ちません。
結婚後、長いことあこがれていた飛鳥、奈良の文化の跡を訪ねることが出来、古代歌謡や万葉の歌のふるさとに出会い
、歌に「山」と詠まれている、むしろ丘のような三山に驚いたり、背後のお山そのものが御神体である大神神社の深い静
けさや、御神社に所縁のある花鎮めの祭りに心引かれたりいたしました。学生時代に、思いがけず奈良国立文化財研究
所長の小林剛氏から、創元選書の「日本彫刻」を贈って頂き、「弥勒菩薩」や「阿修羅」、「日光菩薩」等の像や、東大寺
灯篭の装飾「楽天」等の写真を感動をもって見たことも、私がこの時代の文化に漠然とした親しみとあこがれを持った
一因であったかもしれません。
建造物や絵画、彫刻のように目に見える文化がある一方、ふとした折にこれは文化だ、と思わされる現象のようなものに
も興味をひかれます。昭和四十二年の初めての訪伯の折、それより約六十年前、ブラジルのサントス港に着いた日本移
民の秩序ある行動と、その後に見えて来た勤勉、正直といった資質が、かの地の人々に、日本人の持つ文化の表れとし
、驚きをもって受けとめられていたことを度々耳にしました。当時、遠く海を渡ったこれらの人々への敬意と感謝を覚える
とともに、異国からの移住者を受け入れ、直ちにその資質に着目し、これを評価する文化をすでに有していた大らかなブ
ラジル国民に対しても、深い敬愛の念を抱いたことでした。
それぞれの国が持つ文化の特徴は、自ずとその国を旅する者に感じられるものではないでしょうか。これまで訪れた国々
で、いずれも心はずむ文化との遭遇がありましたが、私は特に、ニエレレ大統領時代のタンザニアで、大統領は元より、
ザンジバルやアルーシャで出会った何人かの人から「私たちはまだ貧しいが、国民の間に格差が生じるより、皆して少し
ずつ豊かになっていきたい」という言葉を聞いた時の、胸が熱くなるような感動を忘れません。少なからぬ数の国民が信
念として持つ思いも、文化の一つの形ではないかと感じます。
東日本大震災の発生する何年も前から、釜石の中学校で津波に対する教育が継続して行われており、三年前、現実に
津波がこの市を襲った時、校庭にいた中学生が即座に山に向かって走り、全校の生徒がこれに従い、自らの生命を守り
ました。将来一人でも多くの人を災害から守るために、胸の痛むことですが、日本はこれまでの災害の経験一つ一つに
学び、しっかりとした防災の文化を築いていかなくてはならないと思います。
歓び事も多くありましたが、今年も又、集中豪雨や火山の噴火等、多くの痛ましい出来事がありました。犠牲者の冥福を
祈り、遺族の方々の深い悲しみと、未だ、行方の分からぬ犠牲者の身内の方々の心労をお察しいたします。又この同じ山
で、限りない困難に立ち向かい、救援や捜索に当たられた各県の関係者始め自衛隊、消防、警察、医療関係者、捜索の
結果を待つ遺族に終始寄り添われた保健師の方々に、感謝をこめ敬意を表します。

………………………………………………………………………………………………………………………………………

この1年のご動静

皇后さまには、本日、満80歳の傘寿をお迎えになりました。
この1年も、陛下のご様子を注意深くお見守りになりながら、数多くのお務めを果たされました。
5月には頸椎症性神経根症による左肩から左腕にかけての強いお痛みのため、出席を予定していた文楽公演のご鑑
賞をお控えになりましたが、それ以外に御不例によるお務めのお取りやめはありませんでした。
この1年間、皇后さまとしてのお立場でお務めになったお仕事は314件、この他に新嘗祭のための献穀や、祭祀に当た
りお務めする賢所奉仕団及び通常の勤労奉仕団に対するお労ねぎらいのお出ましが61件
ありました。
また、御神事では、春季及び秋季の皇霊祭及び神殿祭の折に皇霊殿及び神殿に、また、昭憲皇太后百年式年祭の折に
は皇霊殿に参られています

東日本大震災の関係では、両陛下で今年3月に開催された3周年追悼式にご臨席。7月には宮城県南三陸町、気仙沼
市をご訪問になり、知事等から復興状況等についてのご説明をお聴きになったほか、南三陸町の商店街や気仙沼市の
魚市場をご視察になりました。また、この折に、登米市の国立療養所東北新生園をご訪問になり、霊安堂にご供花の後
入所者とご懇談になりました。ハンセン病療養所は全国14か所ありますが、両陛下は、このご訪問により、昭和43年の
国立療養所奄美和光園(鹿児島県奄美市)のご訪問に始まり、すべての療養所の入所者とお会いになったことになり
ます。東日本大震災に関しては、上記の他、被災した歴史文化資料の再生に取り組む活動を紹介する特別展や、復興
を支援するチャリティーコンサート、映画試写会等にも度々お出ましになりました。
地方へのお出ましは、すべて両陛下の行幸啓として、昨年10月、全国豊かな海づくり大会ご臨席のため熊本県をご訪
問、その折に国立のハンセン病療養所・菊池恵楓園で納骨堂にご供花なさり、入所者とご懇談になったほか、水俣病慰
霊碑にご供花なさり、水俣病資料館をご視察、水俣病の語り部から話をお聴きになりました。
今年3月には、昨年式年遷宮を終えた伊勢神宮をご参拝。5月には、全国植樹祭ご臨場のため新潟県にお出ましにな
り、平成16年に発生した新潟県中越地震の被害とその後の復興を伝える小千谷市のおぢや震災ミュージアムそなえ館
をご視察、また、見附市の葛巻地区ふるさとセンターで平成16年7月に発生した新潟・福島豪雨災害の復旧状況をお
聴きになり、刈谷田川防災公園で水害復旧状況をご視察になりました。
6月には神奈川県横浜市で開催の世界作業療法士連盟大会・日本作業療法学会の開会式及びレセプションにご臨席
になり、展示をご覧。また、学童疎開船対馬丸の犠牲者を慰霊されるため、沈没から今年で70年を迎える沖縄県を訪問
され、慰霊碑・小桜の塔にご供花、ご拝礼後、対馬丸記念館をご視察、遺族や生存者とご懇談。
10月には国民体育大会ご臨場のため陛下と長崎県をご訪問になり、その折に、来年戦後70年を迎えることから平和
公園でご供花なさり、恵の丘長崎原爆ホームをお訪ねになりました。長崎県行幸啓は当初は2泊3日のご予定でしたが
大型で強い台風19号が接近したため、関係者がその備えに専念できるようにとの両陛下のお考えから、2日目の開会
式ご臨席の後のご予定をお取りやめになり、還幸啓になりました。
都内の行幸啓としては、全国戦没者追悼式等の式典、国際生物学賞等の授賞式等に陛下と共に42回お出ましになり、
お一方では、全国赤十字大会、特別支援学校・旭出学園工芸展、東日本大震災復興支援関連行事等25回の行啓があ
りました。
昨年からお始めになった両陛下の私的ご旅行としては、5月に栃木県の渡良瀬遊水地と足尾銅山跡地をご訪問、鉱毒
水の下流域対策や鉱毒ガス、乱伐等による山林荒廃を再生するための植樹活動の様子等をお聴きになり、わたらせ渓
谷鐵道沿いの新緑を列車からお楽しみになりました。
また、9月には青森県をご訪問。東日本大震災により被害を受けた八戸港をご視察、復興状況につきご聴取になった後
、種差海岸をご散策、翌日は黒石市のリンゴ生産農家と青森県産業技術センターりんご研究所をご訪問になりました。
私的ご旅行を含む地方へのお出ましは、ご静養のための御用邸へのお出ましを除き、12府県25市4町1村でした。
また、宮殿や御所では、陛下と共に、文化勲章受章者及び文化功労者、各種大臣表彰受賞者、農林水産祭天皇杯受賞
者、人事院総裁賞受賞者、昭和34年の両陛下のご成婚を記念してハワイ在住日系人等が中心となって創設した皇太
子明仁親王奨学金の奨学生、シニア海外ボランティア及び日系社会シニアボランティア、日本学士院会員、日本芸術院
会員、ソチ冬季オリンピック・パラリンピック入賞選手及び役員等々、文化、福祉、産業、国際協力、学術、芸術、スポーツ
等の分野でその発展に貢献した数多くの人々にお会いになりました。
皇后さまお一方では、例年どおり、日本赤十字社の名誉総裁として、社長からその活動状況等についてお聴きになった
ほか、皇后さまが高校時代に作詞された「ねむの木の子守歌」の著作権を基に創設され、肢体不自由・重症心身障害
児/者の世話に当たる人を対象とする「ねむの木賞」の受賞者とお会いになりました。
こうしたご接見等は47回、このほか陛下とご一緒に御所でお受けになったご説明やご進講は54回でした。
外国との関係では、昨年11月から12月にかけ、陛下に随伴され一昨年に国交樹立60周年を迎えたインド国を国賓とし
てご訪問になりました。昭和35年に訪問されて以来53年ぶりのご再訪でした。デリー市では、歓迎式典、ムカジー大統
領閣下とのご会見、同大統領閣下主催の晩餐会に臨まれたほか、既に知り合われていたシン首相夫妻のお招きで、御
四方での親しい午餐会に臨まれました。このほか、市内のロディー庭園では、お迎えに出た地元市民や在留邦人大勢と
お会いになり、ネルー大学で日本語学科の授業をご視察、図書館で蔵書をご覧になり、学生や教授たちとお話しになり
ました。インド国際センターでは、日印関係の友好親善に功労のあったインド関係者とお会いになりました。その中には、
インドの政治的立場の問題から、ご訪問が取りやめとなった平成10年のIBBY(国際児童図書評議会)ニューデリー大
会での基調講演をお願いした当時の関係者も含まれておりました。(因みに、このニューデリー大会には「子供時代の読
書の思い出」と題する基調講演をビデオに収録して現地に送られ、責任をお果たしになりました。)次いで、日本人学校
では、児童による和太鼓演奏やよさこいソーラン踊りをご覧になり、大使公邸では、53年前のご訪問時に植樹された菩
提樹を大使館員や現地職員等とご覧になった後、在留邦人代表とのご接見や大使夫妻主催のレセプションに臨まれま
した。
初めてのご訪問となった南部タミル・ナド州の州都チェンナイでは、ロサイア州知事及びジャヤラリタ州首相とお会いに
なり、同知事主催の午餐会に臨まれました。また、カラクシェトラ芸術学院では南インドの伝統的な舞踊と音楽に触れら
れ、タミル・ナド障害者協会では、障害のある子供たちのリハビリと職業訓練の様子をご覧になりました。ギンディー国
立公園内の児童公園では多くの地元市民とお会いになり、その後、ご宿舎で在留邦人との茶会に臨まれました。
国賓の接遇としては、陛下と共に、3月にベトナム国主席閣下及び令夫人、4月には米国大統領閣下をお迎えになり、歓
迎行事、ご会見、宮中晩餐、お別れのご挨拶にお出ましになりました。また、スイス国大統領閣下及び令夫人、マーシャ
ル国大統領閣下及び令夫人、エストニア国大統領閣下及び令夫人と会見されたほか、ハンガリー国首相夫妻、トルコ
国首相夫妻、イスラエル国首相夫妻をご引見になりました。さらに、タイ国王女チュラポン殿下、ルクセンブルク国皇太
子同妃両殿下を御所でのご昼餐に、カタール国前首長妃モーザ殿下、ベルギー国王女マリア・ローラ殿下を御所での
お茶に、日本・アセアン特別首脳会議に出席する各国首脳夫妻14名を宮殿での茶会にお招きになりました。
在京の外交団との関係では、陛下とご一緒に着任後間もない15か国の大使夫妻をお茶に、着任後3年を経過した16
か国の大使夫妻を午餐にお招きになり、離任する13か国の大使夫妻をご引見になりました。日本から赴任する45か国
の全大使夫妻にも出発前にお会いになり、同様に帰国した51か国の大使夫妻をお茶に招いて任地の話をお聴きにな
りました。
今年6月8日に宜仁親王殿下が薨去され、両陛下はお悲しみのうちに5日間の喪に服され、ご遺族と悲しみを共にされ
ました。薨去の直後4回にわたり桂宮仮寓所及び赤坂東邸を訪問されたほか、斂葬の儀及び百日祭の儀の後に拝礼
のため豊島岡墓地に行幸啓になりました。
お年を召された三笠宮同妃両殿下、御歩行がややご不自由におなりになった常陸宮殿下のお上にいつもお気を配られ
、宮殿行事の折などにも細やかにご便宜を図っておられます。
今年のご養蚕は4月から始められ、恒例の行事を含め17回にわたり桑畑、野蚕室、御養蚕所等にお出でになり、野蚕の
山つけや収穫、桑つみ、ご給桑、わら蔟作り、上蔟、繭掻き、毛羽取り等の作業に当たられました。特に、今年は文化庁等
の行事として2月19日から4月5日まで、フランス国パリ日本文化会館で「蚕―皇室のご養蚕と古代裂、日仏絹の交流」
展が開催され、皇后さまのご養蚕のご様子と皇室の伝統文化が広く紹介されました。DVDの映像で皇后さまが蚕に直
に触れてご養蚕に携われるお姿に驚きの声が聞かれました。
皇后さまは、今も時に発症する頸椎症性神経根症による痛みや痺しびれ、おみ足の不具合などに辛抱強く対応されつ
つ、日々のお務めを果たしておられます。陛下のご様子を案じられながら、ご自身の健康管理にも侍医の意見を聴かれ
つつ注意を払っておられます。
両陛下とも、毎日6時にはご起床になり、ニュースをご覧になってから吹上御苑内を歩かれ、7時に朝食をお取りになる
ことを日課とされています。お仕事の合間に短時間でも読書をしたり、ピアノを弾かれたりされています。
8月には例年どおり軽井沢と草津にお出でになって、草津夏期国際音楽アカデミー&フェスティヴァルに参加されるご
予定でしたが、広島県で大雨により多数の死者や行方不明者が出る災害が発生したことをお知りになり、お取りやめに
なりました。
お具合の良いときには、時折、陛下と短時間ですがテニスをご一緒にされます。御用邸へは、葉山御用邸に3回、那須御
用邸に1回お出ましになりました。

10月20日のお誕生日当日は、午前10時半から12時までは皇族方始め内閣総理大臣、衆参両院議長、最高裁判所長
官、閣僚、宮内庁職員等による祝賀を6回にわたりお受けになります。正午からは、皇族方始めとのご祝宴、午後からは
旧奉仕者による祝賀、元側近奉仕者等との茶会、母校の先生方やご進講者等との茶会が催されます。夕刻には敬宮さ
ま始め未成年の内親王、親王殿下方のご挨拶をお受けになり、夜にはお子さま方ご夫妻とお祝御膳を囲まれます。

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2014年(平成26年)10月20日[月曜日] NHKニュース
10月20日 NHK 皇后陛下傘寿

◇貴重な映像や写真を公開
宮内庁は、皇后さまが、80歳の誕生日を迎えられたことを受けて、ふだんは目にする機会のない公務や日常生活の様子を映像と写真で
公開しました。このうち映像では、皇后さまがお住まいの御所で、名誉総裁を務める日本赤十字社の社長らから活動について説明を受け
たり、障害がある子どもたちの教育や福祉に貢献した人たちと懇談されたりする場面が公開されました。
また、皇居の宮中三殿で、皇后さまが祭祀に臨まれる場面を撮影した貴重な映像もあります。去年8月、静養で訪れた群馬県で国際音楽
祭に参加し、コンサートホールでピアノの演奏を披露された時の映像や、ことし5月、天皇陛下との旅行で観光用のトロッコ列車に乗車さ
れた際の様子を車内から撮影した映像も見られます。このほか、皇居の畑で、ご一家で稲や粟(あわ)の種をまいたり収穫されたりする
様子も映されているほか、御所の庭で宮内庁の職員とぎんなんを拾ったりわらびやぜんまいを摘まれたりしている映像もあります。
一方、皇后さまが聖心女子大学時代に取得した中学校の英語の教員免許や、大学の卒業証書の写真のほか、幼稚園のときに作られた
工作の写真も公開されました。さらに、皇后さまが天皇陛下と初めて出会われた軽井沢でのテニス大会のトーナメント表を宮内庁が再現
した資料の写真もあります。宮内庁はこれらの映像や写真を基に、皇后さまの80年の歩みを振り返る1時間の映像を制作し、20日から
政府のインターネットテレビで公開しています。(URLは http://nettv.gov-online.go.jp/prg/prg10653.html )

◇皇后さまの80年の歩み
皇后さまは、昭和9年10月20日、正田英三郎さんと富美子さんの長女として誕生されました。
戦争が続く中で
幼少期を過ごし、戦後の復興期に青春時代を送られました。聖心女子大学では自治会長を務め、卒業した年の夏、軽井沢のテニスコート
で当時皇太子だった天皇陛下と出会い、24歳で結婚されました。一般の家庭から皇太子妃が選ばれたのは初めてで、皇后さまは時の人
となられ、ファッションは若い女性の間で大流行しました。結婚の祝賀パレードに50万人を超える人たちが詰めかけるなど多くの国民から
祝福を受けられました。天皇陛下と国内外で公務に励むとともに、3人のお子さまを手元で育て、新たな皇室像を示されました。
昭和天皇が崩御して天皇陛下が即位されると、54歳で皇后となられました。一貫して、災害の被災者や病気や差別に苦しむ人、障害のある
人など、社会で弱い立場にある人たちに心を寄せられてきました。
平成7年の阪神・淡路大震災では、皇后さまが被災地に持参されたスイセンの花が復興のシンボルとなりました。
東日本大震災では、被災から間もない時期から7週連続で東北3県などを回り、その後もたびたび被災地を訪ねて被災者を励まされていま
す。日本赤十字社の名誉総裁として医療や福祉の関係者をねぎらうとともに、数多くの福祉施設やハンセン病の療所などを訪れて入所者を
いたわられてきました。
障害者のスポーツにも高い関心を持ち、長野パラリンピックでは、選手の健闘をたたえるウエーブに参加されました。
皇后さまは、天皇陛下の即位10年にあたっての記者会見で、「困難な状況にある人々に心を寄せることは、私どもの務めであり、これからも
更に心を尽くして、この務めを果たしていかなければいけないと思っています」と述べられました。
皇后さまは、天皇陛下と共に全国各地に出かける一方で、去年、53年ぶりにインドを訪れるなど、これまでに56か国を訪ねて国際親善に尽
くされました。
また、天皇陛下と同様、先の大戦に向き合われてきました。戦後50年を迎えた平成7年には「慰霊の旅」に出かけ、被爆地広島と長崎、そして
地上戦が行われた沖縄などを訪ねられました。さらに、戦後60年には太平洋の激戦地サイパンを訪問。追い詰められた日本人が身を投げた
断崖で黙とうをささげられました。
皇后さまは、文学や音楽に造詣が深く、とりわけ児童文学に大きな関心を寄せ、絵本など児童図書の普及に取り組む人たちを後押しされてき
ました。平成14年には、児童図書の世界大会が開かれたスイスをお一人で訪問し、児童文学への思いを語られた講演が大きな反響を呼び
ました。
一方で皇室の伝統も大切に受け継ぎ、世の中の出来事や家族への思いを短歌で表現するとともに、明治以降、歴代の皇后が続けてきた皇居
での養蚕にも熱心に取り組まれてきました。

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2014年10月20日 産経ニュースより

皇族、首相らが宮殿でお祝いのあいさつ

80歳の誕生日を迎えられた皇后さまの祝賀行事が20日、皇居・宮殿で行われた。
午前は皇太子、秋篠宮両ご夫妻ら皇族が宮殿「梅の間」でお祝いのあいさつをされた。
これに先立ち、安倍晋三首相や閣僚、衆参両院議長らのほか、宮内庁の風岡典之長官ら幹部もそれぞれ宮殿を訪れて
祝意を伝えた。
閣僚のうち経産相を辞任した小渕優子氏は欠席したが、午後に法相を辞任した松島みどり氏は出席した。
午後は宮殿の小食堂「連翠」で、皇族や元皇族、親族が出席して祝宴を開催した。皇太子家の長女愛子さま、秋篠宮家
の次女佳子さま、長男悠仁さまの3人の孫が夕方、住まいの御所を訪ねてお祝いを述べる。
夜は皇太子、秋篠宮両ご夫妻や長女黒田清子さん夫妻が御所に集まり、両陛下を囲んで夕食を共にする。







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